Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

市と鉄道と歴史的建造物

2006-09-21 | 歴史・時事
カイザースラウテルンは、先の大戦で歴史的建造物の多くを失っている。ルネッサンス期の城や民家が含まれるが、木造梁作りの民家は、近代になってから貧しい住まいとして駆逐されていった歴史もあるようだ。つまり、裕福な民家や商屋などは競って、クラッシック調の建造物へと立て替えていった事実がある。

現在でも旧市街に珍しく残る木造梁作りの家屋が、旅籠「紡ぎ車屋」スピンレードルである。また、近代を象徴する建造物として、フルヒゥトハレと呼ばれるフローレンスのルネッサンス期の建物を真似た市がある。

名前が示すように農産物の市場でもあったのが次第に、工業化に伴ってザールラントから運ばれた石炭や鉄、加工品などが売られるようになる。そのうちに、ルートヴィッヒ鉄道がザールランドからノイシュタットを通ってルートヴィヒスハーフェンへと開通して、本格的な集積地となっていくらしい。

1846年にルートヴィヒス一世によって開会した市場は、同時に集会場としても構想されていた。1849年5月にはハムバッハーフェストの革命派は、ここに暫定政府を樹立したが、6月にはプロイセン軍に制圧されている。

労働運動と社会主義運動を考えると近くのマルクスの生地トリアーでの組合運動も無視出来ないようだ。これらは余り話題とならないが、最近中国人観光客がトリアーに集結していることを考えれば、再び歴史の中で脚光を浴びることもあるのかもしれない。

再びここの町の近代史へと戻るならば、町の中のあるデパートの建物が目に入る。地上階の上に天井が低く設置されているのが倉庫なのである。こうした市内の発展に平行して工業化が進んでいった。

もう一つここの町の道路の番号表示は色分けされている。これは大変珍しいようで、火災の際の消化水槽組別の色分けになっているらしい。

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6 コメント

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これは行かねば (BUBU)
2006-09-23 06:01:41
これまでのカイザースラウテルンに関する記事をじっくり読ませていただきました。何度も行ってるのに、実にもったいないことをしたと後悔しています。

写真の日本庭園にも大いに撮影欲をそそられました。

フランクフルトからならクルマで1時間なので、今度家族を連れて行ってきます♪
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撮影の題材 (pfaelzerwein)
2006-09-23 06:24:36
歩行者天国を歩くだけでも結構撮影の題材があります。町の壁内は端から端まで歩いても20分も掛からないでしょう。



写真アップのためにまだ幾つか書きますが。是非、週末はガルテンシャウ以外は人も少ないです。



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市と鉄道と歴史的建造物 (old-dreamer(桑原靖夫))
2006-09-23 10:01:15
楽しく拝見しました。カイザースラウテルンは訪れたことはありませんが、旅籠「紡ぎ車屋」の写真に惹かれました。こうした建築様式はドイツでは他にもかなり残存しているのでしょうか。16世紀に栄えたイギリスの毛織物の町ラヴェナムが記憶によみがえりました。ノルウエーから輸入した硬い木材を縦縞とはすかいに並べ、漆喰の壁で抑えているところがよく似ていました。多分、たまたま似ているだけでしょう。ただ、「紡ぎ車屋」が1740年に建てられたということは、産業革命の端緒となったジェニー紡績機発明の少し前、時代環境に興味が湧きました。



トーリアに中国人観光客が多いというのも、大変面白く拝見。あのポルタ・ニグラとマルクスの家とを彼らがどう見ているのか、興味を惹かれます。

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木組み建築 (pfaelzerwein)
2006-09-23 16:27:08
ポルタ・ニグラとマルクス、面白いですね。黒い色も縁起良く赤くしろとか。賑やかなことでしょう。「お土産のワインは当然赤」と言うのもいかにもドイツらしいジョークです。



マルクスで思い出しましたが、以下のマンハイムの技術・労働博物館が、労働関連に上手にマルクスを扱っています。



http://www.landesmuseum-mannheim.de/kalender/tp106.htm



訪問記:

http://blog.goo.ne.jp/pfaelzerwein/e/3805e2d7f00d3bc4c88ddad1d0b2e5db



看板の「鉄の紡ぎ車」は、確かにそのような時代を予想させる形状だったと記憶しています。



イーストアングリアの木組みの家はサフラン・ウォ-ルデンやオールドバラまで結構見ましたが、ドイツのそれとの比較は余りしたことがありません。近所では、オーデンヴァルトなどが有名ですが、目立たない所に点在しているのも事実で古い町ならば数百メートル内に必ず数件見つかると思います。ちなみに今住んでいる住居は、築後250年ほどですが石積みで、木材は床と屋根だけです。



http://de.wikipedia.org/wiki/Fachwerkhaus



http://blog.goo.ne.jp/pfaelzerwein/e/f1e5896bfb59d6854169cb59f04ddb90



総体的に比較すると、英国のものはこじんまりとしていて、地上階を壁で固めるようなものが少ないような印象があります。そうした増築を積極的にしている好例がデューラーハウスです。



増築の経過:

http://blog.goo.ne.jp/pfaelzerwein/e/e4de133b59b9dd685b20e735fe32713e



アルザス・ロレーヌを思い出しますと、前者の方がやはりドイツに近く、多く残されています。形状も似ているようです。材料の木材による違いが大きいのでしょう。
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市と鉄道と歴史的建造物 (old-dreamer)
2006-09-23 19:08:22
ご懇切に色々と教えていただき恐縮です。



ご指摘のように、ドイツの家の方が地上階の作りからして、しっかりしていますね。国民性の相違でしょうか。ラヴェナムの名所スワンホテルにしても、木材の梁と多数の柱を漆喰で固める構造になっていました。床も傾き、天井の鴨居も斜めになっていたことを記憶しています。イギリスの家は住んだ経験がありますが、全般に寒いですね。ただ、良く補修をして風雪に耐えさせているという印象があります。デューラーハウスの増築のあり方も興味深く拝見しました。



マンハイムの技術・労働博物館は訪れたことがあります。日本も同じようなものを作ったのですが、金をかけた割には軽薄な感じです。



http://www.shigotokan.ehdo.go.jp/watashi/abt_list.html#top

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文化的・思想的背景 (pfaelzerwein)
2006-09-24 15:50:59
「床も傾き、天井の鴨居も斜め」-そうです。そのイメージが英国のものには強いです。現在に置いても建造物への手のかけ方はドイツに勝る所は知りません。



痛み始めると強迫観念のように直ぐに現状維持を図る、そうすることで朽ちるのを避けます。国民性の相違と言う人もいれば、国民経済と言う人もいるでしょう。東独の建造物が全て廃墟化していったのが良い例です。建設資材に困窮したと言うのが生の声ですが、余裕が無かったにしろ、政策として見捨てられた思想的背景があるのでしょう。



永世の物を拵えようとする幻想がある訳ではなくとも、エポックとなる意識が強いかもしれません。そうした文化的背景が反映している。その違いがご紹介の「私の仕事館」との相違でもありますね。



コンセプトも大分違うようですが、江戸時代の士農工商の職業階級制度の影も透かし見えるようで、時の流れに陽炎の様に揺らめく幻視の現在を反映しているかの様です。
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