Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

福音師の鬼征伐

2006-10-14 | 文学・思想
承前)今日、最も世界が注目するのは、中華人民共和国の対外政策であり、本来共産主義によって解決されるべき民族問題は、伝統的な「華夷」の意識に収束しているとする。だからこそ、その対抗軸として「黄禍」の言葉の源泉と事情背景をプロシアにみる。

1878年のパリ万博を境にして、欧州では極東趣味のみならず日本趣味が沸騰した。絵画においても、文学、音楽等においてもその数多の例は事欠かない。もちろん、人的交流も盛んになっているのは、特に日本側から見ても当然のことであった。

その多大な影響は、主に何処にどの様に見られるか?ただドイツ語圏における新異文化の受容は、比較的素朴な形で行われているような印象がある。どうもそれは、反対方向のベクトルである大日本帝国初期のプロイセンの司法システムの導入、そして軍事的手本となった文化の輸入やその関心所に依拠するように見られる。そして、そうした懸け離れた文化圏同士の関係が、様々な分野で時を隔てて変遷して行くとともに、自らの植民地における利権絡みとなり現実的な脅威となって行く。

それに遡ること1900年春には、列強の睨み合う清帝国において、反西洋・反キリスト教を掲げた中国の秘密結社「ボクサー団」が一揆(義和団の乱)を興し、多くの北京の在外公館は包囲されキリスト者は殺害される。プロシアから派遣されたキリスト福音師が殺害されたことで、六万から九万人規模の国際軍(英インド、ロシア、日本、米、独、仏、墺太利、伊太利)が組織されプロシア将軍が指揮を取った。その中に処刑・おしおきグループが組織されて、村々を虐奪して焼き放つ虐殺行為が繰り返される。その指導的役割を果たしたプロシア軍への送辞が冒頭のドイツ皇帝の演説であった。

こうした、ビスマルクのなし遂げた強化された軍事力を背景に、拡張的植民地主義を推し進める皇帝ヴィルヘルムに、人種差別的ナショナリズムの色彩を与えたのが英国生まれのヒューストン・スチュワート・チェンバーレインであった。

彼は、熱烈なヴァーグナー狂で、皇帝の友人となって人種主義を耳元で吹き込む。その反ユダヤ思想は、後の英国首相チャーチルやアルベルト・シュヴァイツァー博士にまで愛読された。文通を介して後に著書を認めたコジマ・ヴァーグナーのその娘エヴァーと婚姻して、1908年以降バイロイトのヴァーンフリート邸の人となる。

ナチスが台頭する前の1923年10月1日、34歳のヒットラーは、作曲家リヒャルト・ヴァーグナーの聖地バイロイトを訪問する。訪問を受けてヴァーグナーの息子ジークフリートの妻であるヴィニフレート・ヴァーグナーと意気投合する。1930年にはその旦那でリストの孫になるジークフリートは死亡して、英国生まれの嫁は遺志をついで音楽祭の運営を司る。

第三帝国総統は、再びチェンバーレインの死後ここを訪れて、「彼はナチョナル・ソチアリズムが振るう剣を打った。」と絶賛している。こうして彼は、ドイツ帝国から第三帝国までヴァイマール期を挟んで一貫してアーリア人種の優越性と、ユダヤ人排斥を主張した。人種主義の福音師と呼ばれる。植民地主義は、人種主義や民族の浄化を名目として推進される。

ビスマルクの更迭からヒットラーの勃興までの時代は、様々な立場から若しくは発言形態にて、その状況を詳しく窺うことが出来る。これを1930年代から1940年代の皇国日本の「使命論」と対比するのは丸山真男であるが、実際には双方向へのベクトルが場合によれば相殺されつつ働いていた。

そして山県有朋の定めた主権線と利権線の発言を受けて、「権力政治に、権力政治としての認識があり、国家利害が国家利害の問題として自覚されている限り、そこには同時にそうした権力行使なりの 限 界 の意識が伴っている。これに反して、権力行使がそのまま、道徳や倫理の実現であるかのように、道徳的言辞で語られれば語られるほど、そうした 限 界 の自覚はうすれて行く。」として、前者には本質的に限界があるとしている。

1871年(明治四年)に福沢諭吉が子供向けに記した「ひびのおしへ」から引用して終わりとしたい。

「桃太郎がおにがしまにゆきしは宝をとりに行くといえり。けしからぬ事ならずや。たからはおにのだいじにしてしまいおきしものにて、たからのぬしはおになり。ぬしのあるたからをわけもなくとり行くとは、桃太郎はぬすびとともいうべきわるものなり。もしまたそのおにがいつたいわるものにて、よのなかのさまたげをなせし事あらば、桃太郎のゆうきにて、これを凝らしむるははなはだよき事なれども、たからをとりてうちへかえり、おぢいさんとおばあさんにあげたとは、ただよくのための仕事にて、卑劣せんばんなり」。(終わり)



参照:
革命的包容政策の危機 [ 文化一般 ] / 2006-10-11
ポストモダンの貸借対照表 [ 歴史・時事 ] / 2005-09-02
世界の災いと慈善活動 [ 文学・思想 ] / 2005-11-29

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