(承前)ユダヤ主義とは、宗教に限らず、文化的伝統だと響きますが。
それは聞き過ごされるものではないです。マーラーは総じてユダヤ的な音楽を書いたとする者がいますが、これは誤りと考えます。なるほどボヘミヤの少年時代に舞踏音楽隊から耳にして、一生懸命になったクレッツマー音楽の要素は確かにあります - 例えば第一交響曲の管楽音楽ですね。然しそれは創作の方法論であって、ユダヤ的ではなく普遍的なものです。
言われるように、個人的にユダヤ教とは無関係だとして、その音楽文化にも無関係と?
それも無関係。ソヴィエトでは私たちはユダヤ人であることひた隠すための全てをしなければいけませんでした。いつでもどこでも反ユダヤ主義をバスでもスーパーでも映画館でも耳にしました。非常に不愉快でした(注四)。勿論両親は私達がどこから来ているのかを思い起こさせました。然し生きたユダヤ音楽文化に触れる機会はなかったのです。
それを残念に思いますか?
勿論ですよ。きっといつかそれを経験することになるかもしれません。ただイスラエルにいる時だけは、自分はユダヤ人だと感じます。イスラエルにいるユダヤ人とは全然違うとして。
もう一度フォア―ベルクでの教育やヴィーンへと戻りましょう。指揮者教育で一体何を習ったのでしょう?
先ずはそこで指揮の技術があります。これは重要であり、しかし最初の二コマ三コマのあとでその技術を理解します。指揮とは実践によってのみ習う。管弦楽団の指揮台で始める訳ではありません。フォア―ベルクでコレプティ―トで可能な限りありとあらゆる楽器のピアノ伴奏で、お年寄りり合唱の指揮で、やらせて貰った実践で学ぶのです。ヴィーンに来てからはそこの大指揮者の練習訪問が加わります。残念ながらカラヤンとかバーンスタインを体験することはなりませんでした。それでもアーノンクールやアバド、ムーティのそれから信じられない程沢山のことを学んだのです。
例えばどんな事を?
既に自分自身指揮者としてメトで振った時のことですが、ムーティがヴェルディ「アッティラ」の稽古をつけていました。全ての練習を見学して、どのように音楽を身近にしていくのかが興味深かったです。どのように彼が、全てを歌に戻って、リズムの網糸に、そのフレージングのエレガンスに還るかです。言ったように、指揮者実践であって、理論は役に立たない。(続く)
注釈四、十五年前のインタヴューでは崩壊後のアンチセミティズムについて語っていた。則ちソヴィエト時代には水面下に抑えられていたということなのだろう。東独でも比較的容易に逮捕されていた様であるから、その治安の在り方が変わったのだろう。
参照:
インタヴュー、時間の無駄二 2016-07-24 | 歴史・時事
夜の歌のレムブラント 2022-10-22 | 音
それは聞き過ごされるものではないです。マーラーは総じてユダヤ的な音楽を書いたとする者がいますが、これは誤りと考えます。なるほどボヘミヤの少年時代に舞踏音楽隊から耳にして、一生懸命になったクレッツマー音楽の要素は確かにあります - 例えば第一交響曲の管楽音楽ですね。然しそれは創作の方法論であって、ユダヤ的ではなく普遍的なものです。
言われるように、個人的にユダヤ教とは無関係だとして、その音楽文化にも無関係と?
それも無関係。ソヴィエトでは私たちはユダヤ人であることひた隠すための全てをしなければいけませんでした。いつでもどこでも反ユダヤ主義をバスでもスーパーでも映画館でも耳にしました。非常に不愉快でした(注四)。勿論両親は私達がどこから来ているのかを思い起こさせました。然し生きたユダヤ音楽文化に触れる機会はなかったのです。
それを残念に思いますか?
勿論ですよ。きっといつかそれを経験することになるかもしれません。ただイスラエルにいる時だけは、自分はユダヤ人だと感じます。イスラエルにいるユダヤ人とは全然違うとして。
もう一度フォア―ベルクでの教育やヴィーンへと戻りましょう。指揮者教育で一体何を習ったのでしょう?
先ずはそこで指揮の技術があります。これは重要であり、しかし最初の二コマ三コマのあとでその技術を理解します。指揮とは実践によってのみ習う。管弦楽団の指揮台で始める訳ではありません。フォア―ベルクでコレプティ―トで可能な限りありとあらゆる楽器のピアノ伴奏で、お年寄りり合唱の指揮で、やらせて貰った実践で学ぶのです。ヴィーンに来てからはそこの大指揮者の練習訪問が加わります。残念ながらカラヤンとかバーンスタインを体験することはなりませんでした。それでもアーノンクールやアバド、ムーティのそれから信じられない程沢山のことを学んだのです。
例えばどんな事を?
既に自分自身指揮者としてメトで振った時のことですが、ムーティがヴェルディ「アッティラ」の稽古をつけていました。全ての練習を見学して、どのように音楽を身近にしていくのかが興味深かったです。どのように彼が、全てを歌に戻って、リズムの網糸に、そのフレージングのエレガンスに還るかです。言ったように、指揮者実践であって、理論は役に立たない。(続く)
注釈四、十五年前のインタヴューでは崩壊後のアンチセミティズムについて語っていた。則ちソヴィエト時代には水面下に抑えられていたということなのだろう。東独でも比較的容易に逮捕されていた様であるから、その治安の在り方が変わったのだろう。
参照:
インタヴュー、時間の無駄二 2016-07-24 | 歴史・時事
夜の歌のレムブラント 2022-10-22 | 音
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