Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

カジュアルと手軽さのシャルドネ

2012-05-02 | ワイン
如何にフランスの白ワインがカジュアルで格安かをこのシャドネーが語っている。フランスの白ワインへの賛辞でもある。この地域認証のワインの良さは南フランスの強い陽射しが柑橘系の香りとして瓶詰めされていることだろう。まるで砂糖付けされたレモンを丸齧りするような爽快感と2011年産特有の苦味のようなものが見事である。

醸造所で試飲したときにはまだまだ落ち着きが無く出来上がっていなかったように思えたのは瓶詰めのストレスがあったからかもしれない。そして粗一月して二本目を開けると開きかけていることを確認した。急に暑くなった外気温も関係しているかもしれないが見事である。逆に試飲のときに感じたその奥が見えてしまって、これで全貌が見えてしまった。フランスの至るところで見られる石灰質土壌にその陽射しと乾燥が齎した果実である。

現地の地形は丘のスロープも弱く、殆ど平地での栽培と変わらないが、水捌けは良さそうで独自の水系などが地下にありそうな耕作地である。その耕地面積も広い。ゆえに価格は、アルコール13%で5ユーロを超えないのである。その価格帯で、ドイツの白ワインを比べると、ここまでの完成度の高いワインを探すのは困難である。

なによりも果実の健康な完熟が難しく、アルコール13%に至る糖加重を得る葡萄はグローセスゲヴェックスとなり、手摘みでしかそうした上質の果実を収穫できない。その時点で優に6ユーロを超えてしまうのである。勿論スーパーに行けば3ユーロからドイツの白ワインは提供されているが、リースリング以外の果実からのそれはこうした高貴な味覚があるわけでもなく、不健康な粒の混じったリースリングはモノトーンな味覚しか提供しない。

同様にザールなどの辛口リースリングでは、糖比重を上げられないので収穫を落とさないことには、最初は繊細なバランスをとっていても経年変化で水のようになってしまうのである。その反対にフランスの高級な白ワインは、経年変化を見越して手練手管の醸造をしていることから、最初から若年寄りであり世界市場では扱いやすいが最初から新鮮味も薄い。その点、こうした産地直売のワインは、新鮮で簡単に飲み干せるのが魅力であるが、リースリングと同じように自然の恵みを素直に味わうことが出来る。

纏めると、フランスの白ワインは気候的な有利から廉価であっても上質なものは数限りなくあり、新鮮な瓶詰め二年目以内に飲むならば、恐らく新世界の遺伝子操作した葡萄からのワインを除けば世界で敵無しであろう。しかし、更に財布に余裕があるとして一本10ユーロまでの予算があるとすれば、二年以内に飲み干すリースリングにCP上の軍配が上がる。現在の10ユーロ以下のリースリングと10ユーロ超えのシャブリでは明らかにリースリングの方に軍配が上がる。

さてそれでは10ユーロ代での独仏の白ワインの比較はどうだろうか?その価格帯のリースリングは十分に熟成した果実を使って収穫量を落としているので三年過ぎ四年後の瓶熟成を楽しむことが出来る。経年安定性ではじめてフランスの高級白ワインと比較可能となる。その反面そこに至るまでの瓶詰め後の安定、最初の山、瓶熟成の開始と酸と糖やアルコールとの均衡が複雑なリースリングは不安定であり続けてとても品評するのが難しい。高名なドイツの醸造家でさえそれが的確に説明できない難しさなのである。とても素人が判断できる筈が無い。正しくリースリングがエリートのワインである証である。

さて無差別級の天井知らずとなると、リースリングのグランクリュはまだ十五年の歴史も無い。まだまだ今後のことであるが、バイオ栽培やバイオ醸造などとフランスの現場の教育程度よりも優れているドイツの醸造現場に明らかに有利に働いてきている。その生産量の差から将来的な希少価値や市場価格を考えれば、ドイツの白ワインは超高級品、フランスのそれは日常消費用となることは間違いない。



参照:
硬質な白ワイン @ ワイン日記 (一期一会 【美味しいものとの出会い】)
午前中は雨だった(しかも寒い)今年の花見会 <4>  (Weiβwein Blog)
ほどほどのボディーのKernerです。 (saarweineのワインなどに関してあれこれ)
複雑な構成要素を対極化する 2011-01-28 | 文化一般
キリストの昇天に飲む「神の棺桶」 2010-05-19 | ワイン
試飲百景-アイラークップの古いワイン 2005-01-22 | 試飲百景
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ポストプライヴァシーの良識

2012-05-01 | 文学・思想
海賊党の大会が週末に無事終わったようだ。注目されていた代表選挙には、反極右を明確に掲げた41歳のベルント・シュレーマーが選ばれた。それはなにもイデオロギーとしての方向を示すものではなくて社会学的な見地からも興味深い現象かもしれない。

問題となった26歳の前任者ネルツのボトムアップからの大船に乗るような優柔不断の態度は、勿論カテリーナ女帝を手本とするメルケル首相の為政者の立場ならば政治力学の物理学的考慮として十分に力を発揮するのだが、なんら党是も決まらないような2009年に二千人から一万人へと拡大してそして今回は三万人へと党員規模の拡大した政治的影響力のある公党としては受け入れられるものではなかったであろう。

それでも党大会に訪れた僅か1500人の党員は同じ権利で同じように演説してその旨を党員に問う直接民主制をなんら混乱なく遂行したのは前回のビンゲンの大会における混乱とは一線を隔していたようである。アウシュヴィッツ修正主義者の立候補には明確にレッドカードが掲げられてと、ある意味連邦共和国の戦後教育の成果がそこに表れているとしても良いかもしれない。

しかし、そうだろうか?なるほど反国家主義教育は教育の根幹であったかもしれないが、反ユダヤ主義や外国人排斥も必ずしもタブーではなくなってから大分経っている。むしろ一昨年の連邦銀行副総裁の書籍がベストセラーとなったようにそうした考え方に確かな根拠や言い分が存在することを多くが認めており、完全にそうしたタブーから開放されている。

それゆえに、こうしたヴァーチァル世代の良識をそこに見出せるのではないだろう。恐らくそれはネットの威力であり、なにも自国やEUからの視点だけでなく全方位な視野を居ながらにして見せてくれるヴァーチァルの利点でもあろう。

専門店の政党であるべきか百貨店へと進むべきかの議論もあったようだが、それ以上に既成政党とは違う政党を堅持することで、こうした一般良識を政治へと反映させる政治結社としての価値が生じる可能性もあるのではなかろうか?要するに政治は、一般良識では御せない政治力学の中でのプロフェッショナルな領域と見做されてきたが、メルケル首相ではないがネットのオピニオンを上手に吸い上げて纏めていくことで直接民主主義に近い政治も出来るかもしれないという希望も生まれる。

ポスト・プライヴァシーもしくはスパッケリア政治つまりプライヴァシー無き社会を目指した社会作りは決して過半数の支持を得ないとする考え方がある。所謂ヌーディズム運動とこれを置き換えれば分りやすいのであるが、ヌーディズムの醍醐味の開放感と平等意識はその反対の所有やその隠蔽への誘惑と相反するものであり、なんら隠し事がないことへの開放感は隠し事をすることが前提となっている。ゆえに主従を考えれば過半数とはならないということなのだろう。これは同性愛運動が過半数を超えることがないのと同じであろう。

その一方で、シュレーマー新代表は外交政策として国際的な海賊党のネット作りなどを考えているようで、政治結社として各地で定着すれば、所謂無党派層という大きな割合を海賊党が世界中で占めるようになるかもしれない。要するに一般社会市民の良識の党なのである。環境なんて専門家のものでアルゴリズムのように抽象的なものだとする一般良識とは、既成の構造や観念を打ち破るスパッケリア結社となるのだろう。



参照:
Schlömer neuer Vorsitzender der Piratenpartei,
Angebot zum Andersein,
Strurktur statt Spielerei, Marie Katharina Wagner,
Der aufhaltsame Aufstieg einer Partei, FAZ vom 30.4.2012
Wahlkampf einer digitalen Seele, Melanie Mühl, FAZ vom 27.4.2012
降臨の気配に天国作戦 2007-12-29 | 雑感
立ち入り放題のユートピア 2005-04-22 | アウトドーア・環境
民主性が問われる勃興政党 2012-04-24 | マスメディア批評
海賊党が問題提議したもの 2012-04-22 | 文化一般
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