Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

第三波の寒気団に寄せて

2013-02-12 | アウトドーア・環境
陽が輝いているが、とても寒く感じる。この冬第三波の寒気である。先週の木曜日あたりから零下が続いているところも少なくない。雪は一ついてくるだろうが、週末にかけてはどのようになるかわからない。そこでスキーを担いでクロワールを登る予定を先送りにして、もう一度氷を登りに行く予定にした。週末にかけて冷えがさらに厳しくなれば、もしかすると前回よりも氷の状況はよくなるかもしれない。

昨年十二月の寒さと異なるのは日差しだけでなく、乾燥しているからだろうか?なぜか寒いのは個人的な体感温度だろうか?昨日、クライミングから帰ってきて十分に食事をしていないからだろうか?兎に角、寒いから今晩は鳥の胸肉をカレー風味にするか、ワイン煮にするか考えてみよう。どちらにしても赤ワインで体を温めたい。

シーズン38日目と39日目は、新しい場所を登ることなく、40日目に備えた。金曜日には完璧に登れなかった課題のある場所を銘々に登った。私は特に垂壁の六級上の核心部でザイルを先にかけていた場所を登ってから掛けた。何よりも左のカンテラインに手掛かりを求めてもカラビナが右手側にあって、登ってしまってからでないと手が届かないのだ。初めての時は怖くて試してみる気持ちにはならなかった。そもそもそこに登るのが難しい。なんとかザイルを掛けて、ぶら下がるが、レッドポイントで登るには七級の実力が必要そうだ。そして、手掛かりに戻ってからも、上の手掛かりまでは下からザイルで張力を当ててもらった。そうしないととっても立ち上がれなかった。そして次の右のカラビナに再びぶら下がり、また戻って最後まで登り抜く。あまり登っているのを見たことが無いのは分かるような気がする。それでも最後まで落ちることなく登り切れて自信になった。

相棒には、オヴァーハング越の面倒な二か所三か所を試して貰った。どれも五級上までの課題であったが、完璧に処理したのには感心した。しっかりと課題と問題点を把握すれば直す努力も解決法も見つかるという好例で、これで相棒も際物のクライマーではなく普通のスポーツクライマーの仲間入りを果たしたと見做せる。特にハングの乗り越しで右へと体重を移して、クラウチングしながら左足を浮かして、上の足掛かりにかける動作はもはや技巧であろう。

私自身がもう一つ繰り替えした六級下のハング帯越えは矢張り汗を掻いてしまって満足とまではいかなかった。その理由はザイルを左に掛ける煩わしさと、足場がうまく使いこなせない不住にあるようだが、実際はよくわからない。またいつか試してみるだけである。

日曜日のハイライトは、普段はトップロープで登っている比較的新しい三ルートをリードで登らされてことだろうか。流石に六級の下でも景色が変わるので、最も容易な登り方をとれないということがあり、実際はその難易度よりも難しい登りをすることになった。もう一つは初心者のためのリードの練習方法で、フィクションの短い尻尾をつけさせて、それをトップロープながらカラビナに掛けさせていく方法である。



参照:
2012年の特徴と成果 2012-11-04 | 試飲百景
ハイエンドザイルの威力 2012-12-13 | 雑感
新春の日常をじっくり味わう 2013-01-08 | マスメディア批評
寒気の中で興奮状態の熱気 2013-01-16 | 暦
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GEWA' GEWA' PAPA PAYA

2013-02-11 | 文化一般
芸名イングリート ふじ子ヘミングというピアニストの演奏会に招待された。なぜか地元独日協会の後援になっている。動員が掛かったことは間違いないが、当日は私を入れて三人しか確認出来なかった。それでも新装なったマンハイムのクーアプファルツ候の官邸では三百人近くがリッターザールを満席にした。案の定スポンサーのJTBのバスが出ていて、フランクフルトか日本から日本人を連れてきているようだった。マンハイムであれほど多くの日本人を観たのは初めてである。

さて、感想はとても興味深く、寒い中を厚着をして行った甲斐があった。先ずはご招待に御礼したい。何よりもああした市場が存在して、現にあれだけの人が集まることを、そして普段はあまり演奏会などには行かない人や行く人も含めて ― 所謂ナティオナルテアターに顔を出すようなマンハイム辺りの地方大都市の一般的な聴衆程度 ― をエンターティメントする市場を改めて垣間見せた。

ご本人の演奏をYOUTUBEで確認して、際物というのは当たらないかなと思っており、もう一日の演奏会は閑古鳥が鳴いていた状況も聞いていたので ― 二回も興行を打ってでも地元新聞で広報されていないのは地元博物館の委員も驚いていたようだ ―、先ずはその入りと聴衆やその質に関心を持っていた。

そして演奏家としてのレパートリーも広そうで ― なんといっても一流以外ではこれだけ演奏会を打って舞台で練習を積んでいる例は珍しいだろう ―、中々エンターティメントする技術をも含めて、これはこれでプロフェッショナルだなと思い知らされたのである。例えば、一流に違いない内田光子が演奏中にショールを飛ばす、丁度落語で羽織を脱ぐように、この日本女性も奇抜な着物柄のそれを着たり脱いだりして魅せるのである。ある意味「芸者趣味の人たち」を喜ばす芸ではあるが、そこだけでもこの人の芸風や市場が示される。

そのピアノ技術に関しては、暴力(GEWALT)そのもので、日本の若い女子大生に多くあるような六十分一本勝負の女子プロレスどころか、先日紹介した同じ年齢の小野ヨーコが含まれるフルクセスそのものであり、プロフィールにはヴィーンの学生時代舞台に立ったのか毛色の違うブルーノ・マデルナの名前が挙げられているが、もし挙げるならシュトックハウゼンぐらいが恰好よかっただろう。要するに指で引く必要などはなく、お尻で鍵盤を押せばよいのである ― 猫の抜き足差し足はなるほど通常の芸術になりえるが、それぐらいに、右ペダルのアクセルを吹かしっぱなしで、その間に時々左ペダルのブレーキを踏む、古い東独のアウトバーンを黒煙の煙幕を挙げて疾走するヴァルトブルクのような塩梅である。

そしてこの年老いた女子音楽学生が ― 今まで直に有名になったメラニー・ディーナーなどを含む多くの学生の修了演奏会に招待されたが、その「学生生活」をここまで年老いるまで続けている人を知らない ― 日本でブレークしたと聞くと、百年ほど近く前に兼常清佐の「猫が鍵盤を歩いても同じように音が出る」の啓蒙の域から日本の大衆は全く出ていないことを思い知らされて ― ドイツにおいても芸術文化の趣味ということでは変わらないが、そうしたやくざ社会が白昼のもとに成立しない社会が良くも悪くも存在する ―、それは今後百年も同じことを予想させる。次から次へと大衆は生まれてきて、引き継がれる教養や趣味の良さというものがそもそもないものだから、高度な芸術の合理性や繊細さなどというものとは一切関係ないところでそれらしきものが営まれるのである。これは日本の文化芸術学問社会のあらゆる面において全く変わらない。

そして文化とか芸術などは高度に発達すればするほど毛細血管のようにとてもとても狭いところでとんでもなく厳しく棲み分けと生存競争が行われている世界であるが、それをテロリストのように暴力で風穴を開けようとするフルクセスのような活動が生まれたのだとも講釈可能だ。歴史に残るような超一流のピアニストたちだけでなく、彼らの調律師や、個人的に楽器の話をしたことなどがあるメージャーレーベルでソロアルバムを何枚も出すような世界の一流のピアニストたちのことを頭に描いてせば、如何に自らの芸術を世に問うためには追いつめた世界での挑戦が繰り返されていることかであり、そうした何もかもを簡単に壊して見せる運動がそれなのだ。

私は、超一流のアルフレート・ブレンデルが日本で評価されだした時の「ペダルの多用」などという批評を今更ながら思い出した。当時はその意味がもう一つ理解できなかったのだが、なるほどそこまで楽器と芸を追いつめるかどうかということであり、日本の音楽学生や評論家の程度ではそのようにしか理解されなかったことが改めて理解できるのだ。ピアノほど西洋近代的な文化はないかもしれないということになる。そして、そのブレンデルこそが自らの分を誰よりも弁えていて、レパートリーを絞りに絞ってとても空気の薄い頂点のところで生き続けたのである。

そうした大気圏すれすれのようなところで切磋琢磨しているのが超一流の世界であるのは芸術文化には限らないが、マネージメントにおいての地元の有力新聞紙には声を掛けないとか適当な地方大都市を会場に選ぶとかの腕利きのマネージメントというのはエンターティメント業界にも存在しているのだ。

但しである、趣味の良さ悪さというのはこれはどうしようもない。だからチラシにもあれほど超一流の技術を駆使しながら趣味の悪い音楽家もいないミーシャ・マイスキーがこの女流を称して、「忘れがたいピアニスト」と言うのに尽きる。喋っているのを聞いて彼女が本当に聴覚障害があると思わない。それは、なにも楽聖のように耳に貝を当てていないからというわけではない、単に商売上の完璧なエクスキューズとしか思われない。

兎に角、ピアノを聞きに行って、「やめてけれ、やめてけれ、ゲヴァゲヴァ」と心の中で叫んだのは、シュトックハウゼンの演奏会でもヘスポス作品の会でもなく、今回の演奏会が初めてだった。そして、開始後直に一人の日本人男性が椅子から転げ落ちて大きな音を立てた。奥さんの慣れていない様子から癲癇もちでなかったとすると、文化的環境汚染に毒されて失神したのだろうか。
 


参照:
フルクサスからフラッキング 2013-02-07 | 女 
決して民衆的でない音楽 2008-12-09 | 歴史・時事
胸がムカつき痛み嗚咽する 2012-05-28 | マスメディア批評
蜉蝣のような心情文化 2008-05-14 | 文学・思想
若手女教授の老人へのマカーブル  2010-03-19 | 音 
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二晩続けの寝不足で昼寝

2013-02-10 | 生活
夜中二時半ごろに小用で目が覚めた。ベットに潜り込むとざわざわと人の声などがして、しばらくすると緊急車両のサイレンが近づいては消える。何台も続くうちにベットから起き上がって場所を確認する。思いがけずワイン醸造所の自宅方面だった。一時間ほどの内に近隣から三十台ほどは集まっただろうか。火の手は一瞬上がったがあとは水蒸気となった。てっきり自宅が全焼かと思って、ドイツワイン業界への影響などを想像した。朝起きてみると母屋は残っていたので、道を挟んだ農協のレストランの火事だと分かった。大きな影響は出ないことを確認してほっとする。

パン屋のついでに久しぶりに峠まで上がった。雪道で寒冷スタートは嫌だったので歩いて、途中から走った。峠までは千八百歩ほどで12分であるから良い記録だ。走っているときから傾斜が無いように感じられたから、足が進んでいたのだろう。あれほど足場が悪くて、滑らないところを選んだのだけども軽快だった。下りも腕が振れて、更に肘を開け気味に走ったので、バランスが良くなってつま先う立ちの足が良く伸びた。流石に二十七分ほど走ると疲れた。

先日ダールマイールの新製品「クラシック」を購入した。安売りだったのでいつものプロドーモよりも二ユーロ安くてまずはお試しに購入した。酸が薄いということはコクが弱いということで、香りが強いとはいってもあまり満足感はない。但しかなりまろやかなのでミルクなしに飲むと美味いのかもしれない。

今晩は招待券でピアノ演奏会である。シャツは洗濯屋からとってきたが、天気も悪いので普段着で出かけるつもりだ。但し靴だけは汚れているので黒い靴クリームを塗りこんで誤魔化そう。まるで落語「長屋の花見(貧乏花見)」で体に羽織のペイントをした親父のような感じである。先ずは一寝入りして疲れを取りたい。二晩続きで睡眠不足である。さて、もう一杯コーヒーを淹れようか。



参照:
酒が進まなかった夜 2009-05-31 | 生活
まま燃えさせておこう 2008-02-29 | 生活
午前一時の騒々しい夜 2008-02-28 | 生活
魔に憑かれたような時間 2005-05-30 | 生活
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手塩にかけて育てる

2013-02-09 | アウトドーア・環境
雪の中で作業をしている。ゲオルク・モスバッハー醸造所が手に入れたヴァッヘンハイマー・ゲリュンペルでの枝の整理だろう。通常ならば態々悪天候で大人数で急ぐことはないのだろうが、まだ二年目も収穫なので、雪で折れることを憂慮したのだろうか。

こうした仕事が持続性のある生産と、質につながるのである。農協の機会摘みの手入れではたとえ安くても質に関して話にならないのは当然なのである。量産云々の問題ではなくて手を掛けなければよい農産物は収穫されない。

勿論、ワインも酒であるからアルコールさえ適当に入っていて、憂さ晴らしに美味しく酔えるだけで、就寝時に喉が渇いてもあくる日頭が痛くなっても別にかまわないというなら、安い質の悪いワインを選択すればよいのである。

車中のラディオは、試験管ベビーの父親を知る権利で勝訴した本人がインタヴューに答えていた。社会的な父親と遺伝子的な父親の両方を知る権利が認められたことを喜んでいる。勿論、知られたくない親や精子提供者の立場とは別に本人の権利として認められたわけだ。しかし、自分の素性についてすべてを知っている人間などはいないのではないだろうか?先祖代々とまではさかもどらなくても、親のことも確信しているとは限らないのである。そのように考えると、試験管ベビーを選択した親の義務としか思われない。それならばそれも正しいかもしれない。



参照:
年の特徴と成果 2012-11-04 | 試飲百景
克服すべき倫理と回答 2007-06-12 | 数学・自然科学
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揺さぶられて起こすお腹痛

2013-02-08 | 雑感
安倍政権は、参議院選挙待ちと言われているが、今の状況ではそれまでに前回同様にお腹痛をぶり返すのではないかと予想されている。兎に角、シナなどでは大口を叩くだけで何もできない首相だと思われていて、軍の揺さぶりは、まさしくそうした評価を反映しているのだろう。

先日購入したソフトシェルはポリエステル生地の特徴が届いたときに比べて酢をしみこませたように見違えるほどに柔らかくなってきている。なるほど最初は折り目癖もついているようで、とても固い感じがしたが、もしかすると使っているうちに体にどんどんなじんでくるのかもしれない。麺の場合は洗濯をすると一度固くなるが、ポリエステルの場合は更にこなれるのだろう。ポリエステル衣料ではただ唯一パタゴニア製のショーツを四十年ほど使っているが、ここ数年は毎日のように使っているがヘタレない。

シーズン35日目の水曜日は残り三つの六級上の中で最も手強いと思われたものと難しいことが分かっていたルートの二本を片づけた。前者は天井に至る屋根になっているのでその当りはまだ一度も登っておらず未知の領域だった。どうしても天井の裏側となると足でしっかりと蹴ることが出来るかが不安であった。その部分では最後から二つ目のカラビナにザイルを掛ける位置取りが味噌だった。一度やり直して、横にある島に足を掛けないことにはバランスが取れなかったからである。そして最後の折り返し点へは気持ち良い手がかりで足が浮くようなことはなかった。まさしく地に足が付いたクモ男状態となった。その下の乗り越えの場所がもう一つのキーポイントであって、それは一度短いルートの折り返しとして経験していたので問題は無かった。完璧に熟せた。もう一つは以前に設置されていた六級よりも難しくなっていて、手掛かりが浅く、とてもザイルを掛ける位置取りが難しかった。ダイナミックな動きをせずに熟すにはもう少し練習が必要そうで、厄介な課題である。これで金曜日は楽になり、最後の課題は問題なく熟せるに違いない。そろそろ七級下を片づけていくことになるが、同時に六級上の問題があったところも反復していく必要がありそうだ。相棒には六級下を反復させなければいけない。



参照:
稚拙な権力者と外交戦略 2013-01-29 | 歴史・時事
口無し死人に安倍の人でなし 2013-01-24 | マスメディア批評
初めてのソフトシェル 2013-02-04 | 雑感
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フルクサスからフラッキング

2013-02-07 | 
小野ヨーコ八十歳の誕生日を前に、ジョン・レノンが殺害されたそのアパートのキッチンを訪ねている。靴を脱がなければいけないようなふかふかの床が奥へ奥へと続くアパートのようだ。毎日のように世界からの観光客が戸口に佇むセントラルパークの立派な建物である。

世界中の知らないものがいない小野ヨーコは最近はフラッキング反対運動家として脚光を浴びているが、ビートルズが解散する前のプロフィールなども詳しく、当時の文化社会事情とともに炙り出している。

これを読むとジョン・レノンをプロデュースしたのはヨーコのように思われ、そもそもロンドンでフラクスス運動の芸術家として名を成していたという。それでも最終的には、合衆国の市民権を得るために支援者のジョナス・ミーカスの助けで収入の確保が必要だったとある。ケージなどの代表的な芸術家は別として、同じ仲間は皆売れるものを生産していたわけではないので当然であろうか。特にヨーコのそれは、「朝のピース」のようなものだったというから尚更である。しかし、そうした流れがジョージ・マチューナスなどに通じて、ミーカスの映像化になる。フランクフルトで展示会があるようだ。

分野は全く異なるが、比較的時代背景が似ている芸術家として、グスタフ・レオンハルトを挙げてはいけないだろうか?先日購入したヴァージンへの制作録音が予想をはるかに超えて素晴らしい。一体、ドィツェハルモニアムンディーでの録音の印象は何だったのだろうかと思わせる。録音技術的に素晴らしいだけでなく、演奏実践のそれが白黒映画でバッハを演じたときのそれのようにとても生き生きとしていて、まるでバッハを鬘をつけて演じているかのようだ。なるほどグレングールドのそれなどと比較すると、ある意味もっともっと行ってしまっているかもしれないが、弟子のコープマンなどとは違って決して拗ねてはいないのだ ― その辺りが、映像やパフォーマンスの於ける活動でも第一世代の直截な表現方法は共通しているのではないだろうか。先日同じように新スイングルシンガーズの録音集をネットで試聴したがあれなどもスキャットでスイングしていて、ヘルヴェッヘのバッハ実践への大きな影響を与えているに違いないと思った。そして古楽演奏の一派の家元であるレオンハルトの演奏も当時のフルクサスなどの影響を最も受けている音楽家とも言えなくはないのではないか?兎に角、詳細を観察すればするほどに、聞けば聞くほどに面白い。



参照:
Jeder Tag ist ein glücklicher Tag, Jordan Mejias, FAZ vom 31.1.2013
「仕方ない」の非神聖化 2012-01-21 | 文化一般
シーズン終わりのセールス 2013-01-30 | 暦
デューラーの兎とボイスの兎 2004-12-03 | 文化一般
「ある若き詩人のためのレクイエム」  2005-01-30 | 文化一般
全日空不時着のフラッキング 2013-01-17 | テクニック
ジャーナリズムのエコ視線とは 2013-02-01 | BLOG研究
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破瓜する死の恐怖の興奮

2013-02-06 | 文化一般
新聞ネタもあり書きたいことはあるのだが野暮用で忙しい。何よりも雪が降る時期となってきたのでクロワールを登ろうという話になって、スキー場があるのでスキーを担いで登りたいとなった。そこで普通のアルペンのスキーブーツにシュタイクアイゼンを装着すると完璧だったから、装備は問題なしということになった。スキー場までの滑降などの可能性を調べている。

就寝前に利尿効果の高い日本茶を飲んだからか夜中に尿意を催してトイレに起きる。寝る前には「眠りの森の美女」を観た。オーストラリアのとフランスの映像とが最近競合した感じであるが、先ずは何よりもフランスのカトリーヌ・ブレイヤ制作の仏独公共文化放送波アルテヴァージョンで観た。とても上手にできていて、いつもの彼女のライフワークである「破瓜」の主題をメルヘンとしてお茶の間で見せる。その分、アラキーと並び称されるいつもの直截的な性表現は背後におかれて、「破瓜」そのものしか映像化されていないので、余計に印象的であった。この男性にはどうしてもわかりにくい主題を見事に表現していて、女史の仕事の円熟を感じさせた。

そういえば、意中の女性の友達のことを思い出した。その友達を怒らせた私の友人の語り掛けを思い出したのである。「年頃の娘なら、男におもねろ」というようなことを言ったのだ。それは言葉は異なっていてもその時の彼女ならば激怒するだろうと思ったら、案の定そのようになったのである。

久しぶりにパン屋の道すがらに走った。二週間ぶりだろうか。アイスクライミング二回があったので週四日体制が続いて、風邪気味で走る気力が無かったからである。久しぶりに坂を駆け上がるテンポは遅く、14分かかって登り、降りるのに11分ほどとなった。記録はどうでもよいが、やはり足にも疲れが感じられ、その分肩や上腕の傷みが下半身に向かって血行が良くなった。

車中のラディオは、ベルギーの少女虐待殺人犯マルク・デュトローの仮釈放請求判決が話題となっていた。勿論誰もがその請求の権利はあるのだが、あれだけの世界を震撼させる変態行為をして数年の執行猶予などは通常の市民感覚からすればあり得ないことである。そうした市民感情に対して、それはキリスト教社会での考え方としての更生の機会なのだと専門家が説明する。勿論発振器を足に付けられて他の性犯罪者と同じようにその移動が監視されることにはなるのだが、先日の放送でもそれについての話題が上がっていた。

つまりデジタル足環が付けられようともそれが実施されているバイエルン州の例ではそれを付けたまま同じように強姦に及んでいるというので、まさしく性犯罪者の変態にはつける薬が無いということである。勿論日本のような死刑制度があればあるほど、ああした変態は興奮するに違いない。死の恐怖ほど恍惚に達するものはないということからすれば、死刑制度などがなんら抑制効果を持たないことは明らかなのだが、反対にデュトローが娑婆に戻るようなことがあればそれはそれで隣人が許さないだろう。



参照:
読者層に合わせた興奮度合い 2011-11-22 | 暦
ポピュリズムにもならない遺物 2012-09-01 | 歴史・時事
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個人で態々訪れる価値

2013-02-05 | 生活
ドイツ高級ワイン協会VDP会長クリストマン氏と肉屋でまた出会った。前回は催し物のためのザウマーゲンなどの買い物のようであった。それで「今日はプライヴェート」と聞くと「そりゃ、個人でも買うよ」と土曜日の朝早くからそこまで二十分近くもかけて来ていることを表現していた。

丁度前日にクリストマン醸造所の2005年産のピノノワールを開けたところであった。2003年よりも良い年だと言われる年度であるので何本か残してあるが、流石に比較的単純なSCは飲み頃かと思って開けた。基本的には若干苦味が感じられるほど酸が弱っていたようで、少し飲み頃を過ぎていたようだ。同じように残してある上級のオェールベルクの飲み頃を予想するには重要である。

その一週間前ほどには2009年産のゼーガー醸造所のスタンダードなピノノワールを開けた。印象は若干言われてみるとジャム風であった。ここの醸造所としては珍しく果実風味がよく出た2009年だからそのようになったのだろう。しかし独自の石灰の土壌は綺麗に出ていて八ユーロもしない価格としては最高品であった。

シーズン34日目と35日目を終えた。34日目の金曜日は大成功だった。先ずは新たに設置された短い四から六級程度の三ルートを登りつくした。最後のそれは右へへ左へとジグザグになっていて、高度の割には長くて、比較的複雑であった。そして、満を持して庇越えに挑む。その場所に二年ほど前から試していたが、確か七級で核心部で辛苦を飲まされていた場所である。現在は弱点を縫うような六級上があって、登れることは自信があったが、形状も複雑で試してみなければわからなかった。案の定庇の乗り越しが複雑で、島に両足を揃えてようやく上の手掛かりに届いた。乗り越しも容易ではなかったが、そのあとのか垂壁からかぶり気味の終了点までも手掛かりが少なく難しそうに見えたのだが落ち着いて熟せたのはとても自信になった。如何に乗り越しで腕力を使わずに乗り超えられたかの証明だからだ。

日曜日は、支部の会長や眼鏡親方、若いリーダーなど八人ほど集まったので各々が練習をした。再びトップロープの七級マイナスを試したが、まだ完ぺきに決まらないところがある。それでも、金曜日の成果を踏まえて、七級へとグレードアップしていく準備は着々と整えつつある。



参照:
フランススーパー売りのワイン 2012-10-09 | ワイン
二年目の真価を示すとき 2012-07-13 | ワイン
距離の伸びそうな冬模様 2011-10-25 | 料理
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初めてのソフトシェル

2013-02-04 | 雑感
初めてのソフトシェルヤッケが届いた。ネットで注文したが、写真以上に見栄えが良かった。袖を通してみると、謳い文句のような着心地の良さは感じられない。現在使っている古いハードジャケットの大ぶりのものとも、新しい薄いカッティングの優れたものとも比較できない。なるほど岩場を登ろうと思うと、表面がポリエステルのウインドストッパーのソフトの方がナイロンのゴアテックスよりも使いやすいかもしれないが、少々肌寒いならばフリースで登った方が軽快だ。

アイスクライミングなどでは特に滝場となると濡れるので役に立たないが、なるほど長い大きな氷のルートなら使いやすいかもしれない。しかし、長大なアイスルートを登る人はソフトシェル購入者の極一部だろう。

個人的には、古いハードがボンドで直したりして流石に草臥れたので来シーズンには使えないことを見越して購入した。三割五分引きで、暮れに購入したハードの安売り分60ユーロ以上をこれで取り返したのだ。室内壁への冬場の行き返りに使うのだが、その他にもカッターシャツの上に羽織って雪の日などに買い物に出かけるにはまったく違和感がなく使えるように黒色を購入した。ブリターニュ風のコートのようで風防頭巾が付いているが、繰り返すが見栄えはとても気に入った。

但し機能的には、スキーなどにも使いやすいだろうが、どうしても期間が限定される感は強い。要するにフリースとハードシェルの中途半端な合体であるので、重量的には軽くなっても機能的には明らかに下回る。重量も可成り軽いものもあるようだが、もしそれを使って大きな氷雪の壁や稜線を登るとすれば、天候などに注意してラッシュでアタックする方法に使えるだろう。その時は多少の防水を犠牲にしても軽く動きやすいソフトを選択しなければいけないだろう。

という塩梅で、まだ採取決断ができないのでタグが剥がせずにいるが、先ずは試してみてもよいと思う。最も優れていると思うのは洗濯機で簡単に洗えることで、本当に野外の遊び着としてがちゃがちゃに使い切ってしまうのも一案だろうか?

週末からまた気温が下がるので、Tシャツの上にこれを切るだけでは寒そうだ。そうなると若干ガサガサするが、下にフリースを重ねて着こむことになる。フリースの上に羽織ると腕が通しにくくなるのが億劫であるが、見た目が悪くないから町ではそれで良しとなるのだろう。トレールランニングとなると、寒い時はTシャツにフリースよりもこれを羽織って走ると暖かそうである。

シーズン二十四日目の金曜日は、庇越えが核心部になる六級プラスを殆ど完璧に熟せた。ここまで登った六級プラスの中では最も容易に対応できた。残るは三つしかないので、綺麗にこなしていく自信がついてきた。殆ど腕力を使うこともなく、来週には七級への道を歩むことになる。今シーズンの終わりはまだ予想できないが、少なくとも来冬シーズンは七級からの挑戦となるのは明確になってきた。これで夏シーズンにはフランスの6bは熟せるだろう。



参照:
スポーティーなヤッケの生地 2012-11-23 | テクニック
求められる第二の肌感覚 2012-11-15 | テクニック
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会えなくて、寂しかったよ!

2013-02-03 | 
一年三か月ぶりぐらいに意中の女性に出会った。もし会えば久しぶりの再会になることは分かっていたので、どのように声を掛けようかと思っていたのだが、いざとなると全く違う状況であった。忘れたころにやってくる災害のようなものだ。

あまりにも唐突だったので彼女の横顔を眺めるしかなかったのだが、彼女の方も知らないふりを装っているかのようだった。そこで声をかけたのだが、状況別の練習にはなかったにも拘らず、必要最小限の気持ちは伝えられたであろう。

その期間を感じさせないほど彼女の雰囲気は全くと言っていいほど変わっていなかった。それでもやはり躊躇させるに十分なほどの時が齎す緊張感のようなものがお互いの間に流れた。彼女のいつもの女友達の方は、相変わらず女教師タイプでとてもとても人を寄せ付けないのだが、それでもいくらかの変化があったようで、我々の間を取り持つように柔らかな表情を見せるようになっていた。

さて、ご本人はというと、以前印象として感じていた鋭い鼻筋が幾分和らかみを感じさせて、逆に彫の深さと知的な印象をより際立たせ、その分神経質な印象が若干薄まっていた ― そうだ、彼女ももはやティーンエイジャーではないだろう。そもそもなぜか彼女の方が私に熱い視線を送ってくれていたのだが、あまりにも彼女の若い年齢的な不安定さを感じて躊躇していたのである。それゆえにこうして久しぶりに幾分女性らしくなった彼女に出会うとなるともはやなんら行く手を遮るものはないのである。

そのクールな所作とか凛とした態度も相変わらずであったが、立ち振る舞いなど、全てこちらの肌に合うというか、とても魅了されてしまう。名は体を表すとは異なるが、ああした振る舞いの一つ一つが何とも言えずに快く、彼女に匹敵するような女性を見たこと記憶が無い。殆ど彼女のプロフィールは分からないのであるが、それが全てだと思わせ、納得させるものを彼女に見出すのである。

正直なところ、これ以上会うことがないとなると、最初の出会いからの流れも過去の記憶の中へとしまわれてしまうのかなという危惧はあった。その一方で、お互いにその気持ちになれば必ず再会するものと思っていた。まさしく今回の不意の出会いはそうしたものであったのだろう。

「ありがとう」としか答えない彼女を取り繕うように彼女の友達が、「安心して、またこれから会えるようになるから」と。これが私の素晴らしい二月の始まりであった。茶系のブロンドの長い髪を短くすることもなく、僅かに目の下の隈が逆にその若さを感じさせるが、紛れもなく本命の女性であることを確認した。



参照:
今が素晴らしければそれで良い 2009-12-26 | ワイン
疲労困憊した朝飯前の一万歩 2010-08-29 | 料理
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アンチウイルスの自己防衛軍

2013-02-02 | テクニック
ノートンというアンチウイルスソフトがある。使ったことはなかったのだが、新しく購入したノートブックについていた。それが何度も購入を迫ってくる。お試し期間が過ぎたとかいうので、無料なら使い続けてもよいと思ったが、金が要るというのに、必要に迫ってくるので、スパムソフトとして処分した。

自慢ではないが、私はソフト開発のプログラマーなどと、アプリケーションやシステムについてソフトもハードについても情報交換したり共同作業することがあるが、一度もソフトウェアーというものを別途に購入したことがない。ネットは全て無料でありとあらゆるデジタルコンテンツが入手できる、海賊党の大海原なのである。

先日あるプログラマーから相談があって、電話で下らないアンチウィルスソフトを消去しろと指導した。要するに無料であってもCMなどが入るものは消してしまった方が安心で、スパイソフトでなくてもその根性が気に食わないのである。そして無料で使えるマイクロソフトエッセンシャルを勧めた。アドミンとしては大規模のイントラネットの場合は別として個人のネットワークにおいては極力厳選してこうした偽善面したソフトを使わないに限る。要するに、アンチウイルスソフトの開発と販売とスパイソフトの開発と使用は紙一重のものであってそうしたものを信じる方が間違っているのである。

ノートンを根絶してしまって済々とした。そもそも社会やその他のものに対して税金や金を払ったから何かを保証してくれるとか考えるのが愚かであり、最終的には自身のことは自己で防衛するしかないのである。するとそのような時間などがないという声が聞こえるが、それならば問い返そう。あなたは最低限必要な時間を無駄な社会や産業構造のために使っていませんかと。



参照:
スパイボットと称するウェアー 2010-10-03 | テクニック
毒こそ効き目のある良薬 2010-09-30 | 雑感
複製消費文化の興亡 2005-12-28 | 文化一般
アドルノ先生とすべき議論 2012-05-12 | マスメディア批評
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ジャーナリズムのエコ視線とは

2013-02-01 | SNS・BLOG研究
シーズン33日目は、日曜日のアイスクライミングが呼び水になったのか、冬の間休んでいたアルパイン協会の若手の指導者が顔を見せた。彼は、クライミング専門ではないので試験では六級を合格しているに過ぎない。だから室内練習場でもそれほど登れるわけではないが、休み明けで体が閉まっていなくて、四週間で戻すという。まだまだ若いので可能かもしれないが、我々になると体を締めるのに何シーズンか必要になる。

我々は六級上からが課題だが、身体ならしにまだ登っていなかった六級マイナスを汗掻いて登った。気温が急上昇して、摂氏二ケタ台に登ると寒気を入れるためにドアー開けっ放しにして外気を入れていたが、それでも汗を掻いた。流石に若いパートナーもトップロープながら綺麗にこなして見せた。

その次に上部二分かれしていて未知の左の庇の六級上を登った。二股の分岐点の精査とオヴァーハング越でザイルを掛けるところがポインツであった。天井に辿り着くと、左へと降り気味になるので、ついつい天井桟敷を握ってしまったが、技術的には全く問題なかった。要点はザイルを如何に掛けるかのポジション取りであった。

さて、若い彼はトップロープで何をしたかというと、四つ目のぐらいのカラビナのところでザイルを外せなくなって降りてきた。要するにポジション取りが出来なかったのである。勿論本人の言う通り、リードする場合とフォローする場合ではタイミングが異なるのは当然であるが、ポジションが決まれば全く同じ筈である。

その次は勢いで、三人で技術的な面を試したくて、七級マイナスへと駒を進めた。案の定核心部は。上手にザイルを掛けることができずに、先にかけて試してみた。全部で二か所同じような困難があり、もう少し腰を落としてクラウチング姿勢をとるなりしないと安定しない。技術的な練習が必要である。決して腕力の問題でないことを、御多分に洩れず若い彼も十分に実感していないようだった。だから両方とも完登出来ないのだ。

一晩で三ルートも新規のものをやって、平均の難度も六級を超えているのは素晴らしい。いつもの顔見知りの他所のおやじさん方が、我々の登った後で同じように挑戦をしているのを見るのは愉快だ。競争心を燃え立たせるに十分な登りを見せつけたということになる。こちらは、出来る限り相手にしないような顔をしておきながら、最終的には彼らおやじグループの先を越せたら面白いなとひそかに思っているのだ。

車中のラジオからフラッキング問題などの専門家を集めての座談会が流れていた。内容は十分に聞けなかったが、まさしくこうした文化波の質の高さこそがジャーナリズムの本質であり、民主主義の基本であることを思わざるをえない。特にエコや環境保護などというと、一方ではマルキズムの延長のようなイデオロギーとしか思われず、一方では「専門家」の見解やアングロサクソン諸国の見解を追従した経済戦略を纏めた官公庁のやり方にしか正統性を見いだせない日本の社会のようなところでは、こうした議論の意味が知られていない。

身近な例として、BLOG「NEXT DREAM 記憶と記録」における至近のコメントで寄せられた意見「氷瀑を壊すのはやめてほしい」がとても面白い。六甲山におけるアイスクライミングの対象となっている滝で「氷を壊すな」とのお叱りのコメントである。私見はその反論となんら変わることがないので繰り返さないが、これなどもとても必要な議論の必要不可欠な他者の視座の提示としてとても価値がある勇気あるコメントであり、その行為には敬意を表したい。

勿論我々からすると、思いもつかなかったような視点であり虚をつかれた感じがする。それだからこそ、虚心坦懐に意見を交換してこそ初めて分かる客観像であり ― これを環境認識というのだろう ―、まさしくそこに民主主義の根幹があるだけでなく、所謂科学的な思考というものはそうしたブレーンストリーミングなしには存在しないものなのである。明治維新後に日本人が構築してきた社会や社会観は殆どシナの天下思想とも変わらない既成権益者の権益の安定化にこそはむけられていても、科学的な発展や学術的な構築からは遠く離れていたに過ぎないことは改めて述べるまでもなかろう。

さて滝観の件に関して、それ以前にもコメントしたように、マスメディアがこうした都会近郊にある身近な「冬の風物詩」を社会面記事として出す場合、なぜ見学者に注意を呼びかける必要があるかということを先ず考えて頂きたい。要するに、どのような歴史的社会的な背景がそこにあるにせよ、こうした風物詩の背景にはやはり自然が存在していて、決して町履きで容易に見学できるような観光名所でもないということであり、マスメディアがそれを風物詩として報じるには、少なくとも装備を調えてカメラを携えて見物に訪れる滝観のハイカーと同じように、スポーツアイスクライミングのそれを同時に風物詩として報じなければいけないということでもある。それがそこの現実であり、ジャーナリズムとしての必要最低限の視線であるからだ。

そして、カメラを携えて美しい滝の様子を捉えたいと思うならば少なくとも新聞記者などと同じように朝起きして本気でそこを訪れるか、さもなくば本格的に登山して未知の滝を探さなければいけないのである。そうした努力など失くして何かを得られるという方がおかしく、アイスクライマーにしても朝起きして平日に出かけるほどの努力がなければ目的が叶わない状況は全く変わらない。日本人にはいつまでも馬鹿でいてほしいからこそ、ジャーナリズムを敢えて不在にしているのである。



参照:
1月29日 『関西TVス-パ-ニュ-ス・アンカ-・スポ-ツ・コ-ナ-』七曲滝にて撮影活動
1月23日の『講習企画』 産経新聞社・同行ガイド取材『夕刊記事』 追加情報(1) (NEXT DREAM)
氷瀑を登るアイスクライミングってどう思います? (猫のひとりごと)
壁があるから登るんだ 2012-07-16 | アウトドーア・環境
諸悪の根源ジャーナリズム不在 2013-01-21 | マスメディア批評
全日空不時着のフラッキング 2013-01-17 | テクニック
コメント (2)
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