Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

プリングスハイムバイロイト詣で

2013-02-25 | 文化一般
アルフレート・プリングスハイムの日記発見が話題となっている。おそらくヴァークナー記念年最大の話題となるのであろう。数学者アルフレートは、日本で活躍した指揮者クラウスの父親で、カティヤを通してトーマスマンと義理の兄弟となる。父親はヴァークナーのパトロンの一人で、本人も当初からのバイロイトの会員である。

そうしたことから、指輪の初演の稽古風景がそこに詳しく描かれているだけではなく、ヴァークナーとの毎夜のごとくの会食の風景など、当時のサローン風景が、1876年7月5日から21日までの日記にも描かれている。五月に発刊されるマン全集の一部にこの日記が初公開されるのに先立ってFAZに掲載されている。

誰もが感じるように、大旦那風の巨匠の振る舞いやユダヤ人でも使えば使えるという当然の伝統的な態度も読み取れていて、実際にプリングスハイム家の大きな支援を喜んで受けていたのは当然であろう。面白いのは作曲も覚えのある数学者アルフレートの方が巨匠よりもピアノに卓越していて、巨匠自らは出来る者にピアノを弾かせてもっぱら歌声を披露している。自曲はもとよりレーヴェの歌曲が持ち歌だったようだ。

是非読みたい日記ではあるが、興味のありどころは巨匠やバイロイトの裏風景よりも、当時の熱心な彼らの在り方で、既に読んだ分においても細かなところが聞き取れない音響への疑念や歌詞の不明瞭さ、洗練されていない管の強奏等の批判に本日においても全く変わらない批判が聞かれていることだろう。そうしたものを含めて、当時の文化事情が見えてくるととても面白い。

日本におけるプリングスハイムに関しては柴田南雄著に詳しいが、クラウスの父親のバイロイトでのこの日記は、更に歴史的な面の考証などに、貴重な資料ともなるであろう。当然のことながらマンの「ファウスト博士」に描かれるアルフレート像などにも新たな光が当たるのかもしれない。

マンの義理の母親にあたるヘドヴィック夫人がミュンヘンの邸宅を追われチューリッヒに亡命しているときに焼却したとされる巨匠からの手紙類は今回も発見されていないが、この若きアルフレートのバイロイト訪問の日記はリヒャルトとコジマの最初の娘であるイゾルデビューロの孫娘にあたるダクネー・バイトラーが父親であるフランツ・ヴィルヘルム・バイトラーの遺産を整理中にヴィンターテュールの自宅で発見したようだ。その入手経路は分からないながら、アルフレート・プリングスハイムのチューリッヒでの埋葬式の答辞を述べるなどしていた故人がマン家から贈られたとする推測が正しいようだ。



参照:
Und Cosima grinst freundlichst, FAZ vom 22.2.2013
本物のモンタージュの味 2007-04-15 | 生活
在京ポーランド系ユダヤ 2006-10-08 | 雑感
交響詩「彼岸の入り」 2006-10-05 | 音
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