Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ジャーナリズムのエコ視線とは

2013-02-01 | SNS・BLOG研究
シーズン33日目は、日曜日のアイスクライミングが呼び水になったのか、冬の間休んでいたアルパイン協会の若手の指導者が顔を見せた。彼は、クライミング専門ではないので試験では六級を合格しているに過ぎない。だから室内練習場でもそれほど登れるわけではないが、休み明けで体が閉まっていなくて、四週間で戻すという。まだまだ若いので可能かもしれないが、我々になると体を締めるのに何シーズンか必要になる。

我々は六級上からが課題だが、身体ならしにまだ登っていなかった六級マイナスを汗掻いて登った。気温が急上昇して、摂氏二ケタ台に登ると寒気を入れるためにドアー開けっ放しにして外気を入れていたが、それでも汗を掻いた。流石に若いパートナーもトップロープながら綺麗にこなして見せた。

その次に上部二分かれしていて未知の左の庇の六級上を登った。二股の分岐点の精査とオヴァーハング越でザイルを掛けるところがポインツであった。天井に辿り着くと、左へと降り気味になるので、ついつい天井桟敷を握ってしまったが、技術的には全く問題なかった。要点はザイルを如何に掛けるかのポジション取りであった。

さて、若い彼はトップロープで何をしたかというと、四つ目のぐらいのカラビナのところでザイルを外せなくなって降りてきた。要するにポジション取りが出来なかったのである。勿論本人の言う通り、リードする場合とフォローする場合ではタイミングが異なるのは当然であるが、ポジションが決まれば全く同じ筈である。

その次は勢いで、三人で技術的な面を試したくて、七級マイナスへと駒を進めた。案の定核心部は。上手にザイルを掛けることができずに、先にかけて試してみた。全部で二か所同じような困難があり、もう少し腰を落としてクラウチング姿勢をとるなりしないと安定しない。技術的な練習が必要である。決して腕力の問題でないことを、御多分に洩れず若い彼も十分に実感していないようだった。だから両方とも完登出来ないのだ。

一晩で三ルートも新規のものをやって、平均の難度も六級を超えているのは素晴らしい。いつもの顔見知りの他所のおやじさん方が、我々の登った後で同じように挑戦をしているのを見るのは愉快だ。競争心を燃え立たせるに十分な登りを見せつけたということになる。こちらは、出来る限り相手にしないような顔をしておきながら、最終的には彼らおやじグループの先を越せたら面白いなとひそかに思っているのだ。

車中のラジオからフラッキング問題などの専門家を集めての座談会が流れていた。内容は十分に聞けなかったが、まさしくこうした文化波の質の高さこそがジャーナリズムの本質であり、民主主義の基本であることを思わざるをえない。特にエコや環境保護などというと、一方ではマルキズムの延長のようなイデオロギーとしか思われず、一方では「専門家」の見解やアングロサクソン諸国の見解を追従した経済戦略を纏めた官公庁のやり方にしか正統性を見いだせない日本の社会のようなところでは、こうした議論の意味が知られていない。

身近な例として、BLOG「NEXT DREAM 記憶と記録」における至近のコメントで寄せられた意見「氷瀑を壊すのはやめてほしい」がとても面白い。六甲山におけるアイスクライミングの対象となっている滝で「氷を壊すな」とのお叱りのコメントである。私見はその反論となんら変わることがないので繰り返さないが、これなどもとても必要な議論の必要不可欠な他者の視座の提示としてとても価値がある勇気あるコメントであり、その行為には敬意を表したい。

勿論我々からすると、思いもつかなかったような視点であり虚をつかれた感じがする。それだからこそ、虚心坦懐に意見を交換してこそ初めて分かる客観像であり ― これを環境認識というのだろう ―、まさしくそこに民主主義の根幹があるだけでなく、所謂科学的な思考というものはそうしたブレーンストリーミングなしには存在しないものなのである。明治維新後に日本人が構築してきた社会や社会観は殆どシナの天下思想とも変わらない既成権益者の権益の安定化にこそはむけられていても、科学的な発展や学術的な構築からは遠く離れていたに過ぎないことは改めて述べるまでもなかろう。

さて滝観の件に関して、それ以前にもコメントしたように、マスメディアがこうした都会近郊にある身近な「冬の風物詩」を社会面記事として出す場合、なぜ見学者に注意を呼びかける必要があるかということを先ず考えて頂きたい。要するに、どのような歴史的社会的な背景がそこにあるにせよ、こうした風物詩の背景にはやはり自然が存在していて、決して町履きで容易に見学できるような観光名所でもないということであり、マスメディアがそれを風物詩として報じるには、少なくとも装備を調えてカメラを携えて見物に訪れる滝観のハイカーと同じように、スポーツアイスクライミングのそれを同時に風物詩として報じなければいけないということでもある。それがそこの現実であり、ジャーナリズムとしての必要最低限の視線であるからだ。

そして、カメラを携えて美しい滝の様子を捉えたいと思うならば少なくとも新聞記者などと同じように朝起きして本気でそこを訪れるか、さもなくば本格的に登山して未知の滝を探さなければいけないのである。そうした努力など失くして何かを得られるという方がおかしく、アイスクライマーにしても朝起きして平日に出かけるほどの努力がなければ目的が叶わない状況は全く変わらない。日本人にはいつまでも馬鹿でいてほしいからこそ、ジャーナリズムを敢えて不在にしているのである。



参照:
1月29日 『関西TVス-パ-ニュ-ス・アンカ-・スポ-ツ・コ-ナ-』七曲滝にて撮影活動
1月23日の『講習企画』 産経新聞社・同行ガイド取材『夕刊記事』 追加情報(1) (NEXT DREAM)
氷瀑を登るアイスクライミングってどう思います? (猫のひとりごと)
壁があるから登るんだ 2012-07-16 | アウトドーア・環境
諸悪の根源ジャーナリズム不在 2013-01-21 | マスメディア批評
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コメント (2)
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