Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

新しい靴でボルダーリング

2014-02-14 | アウトドーア・環境
また走った、月曜日に続いて週二回目である。理由は、前日室内壁であまりにも体を使ったからである。その疲れを解き解くには体を動かして一汗流すほか方法はないのである。十代の時にもそのような方法に気が付いていれば良かったのだが、当時は無理して動かすことは出来てもその後に解すために運動するような習慣とはなっておらず、その疲れに対応できていなかったように思う。基本は動かし慣れているかどうかということである。

僅か25分ほど3900歩の往復、登り13分2185程のいつもの林道の往復であるが、走っているうちに体の疲れ具合やその部位を感じるので、疲れがとても分析できるのである。同時にその疲れから、昨日の反省をするのだ。

日曜日から、所謂アメリカの難易度で5.11の入り口を登っているのだが、それを続けざまに三つ試すと体ががたがたになった。何よりも被っていたりオヴァーハングの下で扱いの難しい手がかりを使って進もうとすると体全体への負担が大きい。更にしっかりと手が掛かるとそれで持ち上げるような動作をしながら次の一手を打たなければいけない可成りスポーティーな運動が要求されるから、身体の張りも背中などに多い。難易度からすれば最終目標値に近いが、技術体力的にそれを克服するには二年ほどは掛かりそうである。

その前に、天気が良いのでボルダーで初めて新しい靴を試してみた。被っていないところだが、小さな足場に上からぶら下って押し付けながら体重移動をするので、その足場への押さえつけの威力を感じた。陽射しはあったのだが、気温が摂氏4度ほどで寒かったので、靴のゴムには温度が低すぎたかもしれないが、独特の吸い付くような感じの片鱗が見えたのでとても満足した。心配していた大きさも、後ろからしっかりと踵を抑えてくれるために爪先が頼りない感じも全くなく、先ずは痛みを感じないで練習できるのが幸いと思った。指が温まるまでは凍りそうになるので、足まで冷たくなるとやっていけない。明らかにポンタスIIに比べるとシャマーンはボルダーやオヴァーハング向きのシューズである。

上海マラソンマンが購入した靴は、スカルパのフェルーツェでなくて、ヴァッポーVというもので寧ろアールラウンドで使いやすそうな靴であった。バイテンションという爪先に力が入りやすい構造はなかなか良さそうで、丁度彼が求めていたものである。ラスポーティヴァの刀の部類のようだが、より敏感なようでも、親指の内側は鈍いらしい。それほど高度なフットワークは直ぐには身に付かないのであるから、鈍さが分かるようになれば中級者かもしれない。足の使い方などを見ていると、「町医者」と同じ初心者の特徴を見せているが、この靴で一年間登り続ければ結構上手くなるかもしれない。



参照:
泥濘を爪先立ちで走りながら 2014-02-12 | 生活
とっても疲れた週末 2014-02-02 | 生活
笑窪が嬉しいダウントー 2014-01-30 | 雑感
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NHK問題の本質の矮小化

2014-02-13 | マスメディア批評
新聞の文化欄のメディア面にNHK問題が論評されている。日本では「慰安婦発言」として籾井会長が語った発言を検証している。つまり新会長の最初の会見で明確にしたように、中立的な独立機関としての放送局ではなくて、「政府が右と言えば、左とは言えない」と語り、局は「日本の立場」を示すと断言していたというのである。要するに、今もまだ信用のあるNHKは、氏の任期三年の間に政府のプロパガンダ放送局となるべきであり、反対する声は望まれるところではないとして、「NHKの番組は、将来的に政府の立場をあまり逸脱するべきではない」としているというのである。

日本では、慰安婦問題に隠れて殆ど報道されていないこの発言は、通常の国であれば破局的というよりも即解任であり、安倍政権の官房長官のような反応は安倍政権の異常さを増している事実を示すとして、在京合衆国大使館が政府の修正主義者と国粋主義者のNHKへの影響を見捨て置けなくなったことを紹介している。そこでは、東京裁判を批判する馬鹿げた発言と、それを広島長崎や東京空襲への目を逸らすためのアメリカの計略として批判して、日本の戦争責任を否定するまでの言動を紹介している。たとえジャーナリスムをあまり理解していない元三井物産の副社長としてもあまりにもの得体の知れない理論を展開するとされる。

日本のネットを見ていてもこのNHK問題がここまで酷いとは思わなかったが、現在寝床で見ている孫崎氏の著書「戦後史の正体」に親書の検閲をしていたという江藤淳の記述に関連して五千人にも及ぶ進駐軍協力者の日本人が戦後日本の政財官学界のみならず言論界のリーダーとして合衆国のスパイであったという事実から、日本の情報統制は歴史の中でとても巧妙な形で行われていることを改めて認識することとなる。

そうした巧妙さが、新しい言論の自由度ランキングでも日本は、NHK会長が厳守を言及している秘密法によっても、僅かランキングを五つ下げただけでチリなどと並んで59位と嵩上げしている。ある意味、こうして歪な形が極端化して表面化してきている現象をつぶさに観察することが求められているのではないだろうか。



参照:
Es gab keine Sexsklavinen, und am Zweiten Weltkrieg waren alle anderen schuld, Carsten Germis, FAZ vom 11.2.2014
Zu viel ausgespäht - Amerika fällt zurück, URSULA SCHEER, FAZ vom 12.2.2014
報道管制と欧州ネット構築 2014-02-10 | マスメディア批評
遅過ぎた自主避難などない 2011-10-04 | 雑感
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泥濘を爪先立ちで走りながら

2014-02-12 | 生活
日曜日に誘われて室内壁を登ったので、走れなかった。なんとか時間を見つけて、沢沿いの道を往復した。17分2770歩は泥濘の道としては普通であろう。ゆっくりと身体慣らしに走ったが、最後の四分ほどは頑張って、小汗を掻いた。何もしないよりは短い時間でも走ると体が活性されて気持ち良い。アペリティフのようなものだ。

昨日はナーヘの青スレートのリースリングを空にした。二日目は煮豚に合わせたが、初日は豚の煮凝りであった。開けたてはあまりに薫り高く、更にその雑味の無い良さに久しぶりに感動して、食事の最高のご相伴となった。二日目は流石に酸も引っ込んだのか、ミネラルの苦味が残るが、それでも青りんご系の果実風味でとても素晴らしいリースリングであった。

ゲーテの愛したモンティンガーを代表するシェーンレーバー醸造所は、嘗てのホッホハイムにおけるヴェルナー醸造所のような地元の雄であるが、これだけの質があれば、次の段階である天然酵母などに進むことでドイツを代表するスレート土壌の醸造所となる可能性がある。

兎に角、スレートの味筋は我々プファルツの者からすると全く別のリースリングであるが、その酸と糖とのバランスも重要なのは今回の地所ハレンベルクの2012年産を飲むと理解できる。グランクリュのパイロットとして残してある赤スレート系の地所フリュ―リングㇲプレッツヘンがその果実風味で、その嶺れると自然のバランスを取る可能性があることからすると、これはこれで面白い。

新しいトレイルランニングシューズで走り出してまだあまりたたないが、なによりも良いのは靴先がしっかり作られていることから、爪先の蹴りが安定するようになっている。ランニングファンにとっては、その硬さがハイキングシューズを想起させるようだが、それは違う。例えば以前使っていたローヴァの無骨な靴とは矢張り異なり、足にフィットしてしっかりと爪先蹴りが出来て踵も全く浮かない。本格的な山道ではまだ使っていないが、泥濘でも可成りバランスを取り易かったので、それほど心配はしていない。手ごろな価格で購入出来てとても満足な製品である。



参照:
消えた踵のエラ張り 2014-01-31 | 雑感
XX年、待つのだぞ! 2013-12-03 | ワイン
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原子力への回帰者が勝利

2014-02-11 | マスメディア批評
週明け月曜日のフランクフルター・アルゲマイネ紙は前日の都知事選の結果を経済欄の社説として伝える。

「日本のエネルギー変革」

ドイツのエネルギー変革は、福島の原子炉破局の後、決定した。この国では原子力への回帰など政治的に想像し難い。それでもって過半数を得ようとする政党などない。国民の声は、エコエネルギー発電への助成などによる電気料の上昇への怒りでやや批判的にはなるが、殆どの人はそれでも変革を支持する。新たな電線の設置での諍いは、そこで何一つ影響しない。各地方議員は、支持者を切るかもしれないが、連立内閣をそれで危うくしない。なぜならば、風力の電気は海岸から南ドイツの工場へといかようにして流されなければいけないことを各々承知だからである。

日本は違う。東京では日曜日、人気の元小泉首相が負けた。氏の「原発、もう結構」キャムペーンは、都知事への選挙に繋がらなかった。原子力への回帰者が勝利したのである。もちろん、日本人も放射能を恐れている。そして、自らの酷い経験から、政治家や役所、エネルギー産業などはもはや信じるに足らないということは分かっている。特に食品に関しては、栄養に関心のある日本人は、ドイツ人以上に懐疑的である。しかし同時に日本人は実用主義者なのである。日本人の最も心配するのは、経済が再び軌道に乗るかどうかのことなのだ。二十年間のスタグネーションの後、国は成長を切に望んでいる。それによって、やっと収入が上がるからだ。それにつけ、ドイツでも、ある疑問が益々浮かび上がってくる。如何に高齢化社会が、若者の減少する数に過剰の期待をすることなく、社会保障を提供することが出来るかである。エネルギーコストは、その双方の疑問に答えるにはとても決定的な役割を演じる。

フクシマ以降、日本の数多い原子炉は停止している。エネルギーの不足分は、ガスの輸入によって賄われている。日本ではそのガスは、欧州の倍、問題の多いフラッキングによって特に安価な北アメリカの五倍の価格となっている。グローバル経済の中では、日本の工業会は、このコスト上の不利を長くは続けられない。経済の要請によって、日本政府は、この選挙直前に、新原子炉の建設を告知した。これは、ドイツにとっては一体どういうことか?エネルギー変革の余裕があるということに他ならない。

ホルガ―・ステルツェナー編集長

Japans Energiewende, F.A.Z. vom 10.2.2014

この記事を読んで連邦共和国の指導者や知識人たちは何を考えるだろう。フクシマ後のあの時の議論を思い出すに違いない。「日本でさえも手が付けられなくなった原発」を止める結論へと至った過程である。あの時、総選挙前に町中で議論されていた問題と結論である。そして、それを可能にした自信と若干皮肉の混じった余裕の気持ちである。

そして、日本は、ドイツと比較できないほど危険な原発から未だに脱却できずにいる。そして、その経済的な影響は上に書かれているようなことに終わらない。円熟した経済国へとの脱皮はまだまだ先のことであり、そのころにはドイツなど欧州はその一周先を走っているに違いない。



参照:
原発政策継続の住民投票 2014-02-09 | 歴史・時事
報道管制と欧州ネット構築 2014-02-10 | マスメディア批評
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報道管制と欧州ネット構築

2014-02-10 | マスメディア批評
冬シーズン第33日目を終えて帰ってきた。都知事選は投票率が伸びなかったので予想通りの結果となっていた。予想よりも悪いのは細川支持票で、これならば出馬の意味すら疑われる。しかし、先行した宇都宮候補も前回の基礎票を固めただけで全く浮動票が獲得できていないので全く話にならないということである。

やはり、日本の報道管制や教育は、外から見れば、北朝鮮並で真面な判断のための情報が流されていないことをひしひしと感じる結果となった。孫崎享の著書にあるように完全に戦後日本の情報管制が成功しているとしか思われない。それを破る筈のネット情報にしても、恐らく特殊な情報が戦略として流されることで、日本語以外を殆ど理解できない層はこれで十分に制御できるようになっているのだろう。戦前戦中の日本人の方が、大本営発表に疑問を呈していた層がかなり分厚かったことを考えれば、情報を見抜こうとする力があったのではないだろうか?

ドイツでは、緑の党がネットに関して、傍聴などを許さない民主的ネット社会を作るための法案などの準備にあたっているという。先日ラディオにても、全てが合衆国に握られているようなネット社会を覆すために欧州若しくはドイツ中心のネット社会を築く準備を早急に進めるべきだとする意見が出されて、また新聞等でもネット社会を守るには政治を変えなければいけないと書かれている。

今回の都知事選挙の結果を見て、正しい情報が民主主義の基本であることを今まで以上に考えさせられた。孫崎氏の書籍に戦前の日本では私書の検閲までは無かったのが、占領下ではそれすらも守られなくなっていたとあるが、合衆国の情報活動は伝統的にその自国内外を通して甚だしい人権侵害を犯していることを示していて、デジタル社会においてそれは一層拍車が掛けられているようである。戦争国には基本的人権すらないということでしかない。

ドイツの企業なども、産業スパイのやり放題となるような合衆国支配のネット社会から自己防衛するために、欧州ネットやドイツネットへと本気で移行することに十分な投資をすることが求められている。



参照:
【都知事選】 マスコミが伝えない 脱原発二候補・敗戦の弁 (田中龍作ジャーナル)
原発政策継続の住民投票 2014-02-09 | 歴史・時事
首都解体への都知事選 2014-02-08 | 歴史・時事
電話の個人情報漏洩事 2013-10-30 | 雑感
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原発政策継続の住民投票

2014-02-09 | 歴史・時事
日曜日の都知事選を「原発継続の住民投票」と書いた日本の新聞はどれぐらいあるだろうか?無いのではないか?赤旗も書かない。そのようなことはどうでもよいからだ。

フランクフルターアルゲマイネ紙は政府の立場を詳しく報じている。今回の選挙で予定通り与党が勝利すれば、小泉・細川が立候補して決定を遅らせた新エネルギー政策が正式決定するというのである。つまり、来月に終わる検査を経て再稼働と同時に島根と青森の新原発炉は計画通りに進められる。

再稼働によって、日本国民は地震毎に生きた心地がしない生活を強いられるようになるのである。経済界も円安とそのエネルギー高に国際競争力の低下を危惧しており、折角の円安効果に拘わらずアベノミクスが崩壊することを危険視しているのである。

しかし、細川が勝利する可能性は調査からほとんどないと言われている。つまり、安全保障を踏まえて原発を維持する新エネルギーミックスはこれによって少なくとも政治的には信任された形となり、もはや再稼働と新原発の増加を止めるには当面実力行使しかなくなるのである。

逆に高い投票率で、万が一細川が勝利するようなことになれば、日本が変わることを示している。広島・長崎の犠牲は、決して安全保障としての原子力を許すものではなかった筈である。ありとあらゆるイデオロギーを超えて、そうしてフクシマの犠牲と幸運を無駄にしないことは尋常な人間の判断として欠かせないものではないのか。



参照:
Japan riskiert Kehrtwende zur Atomkraft,
Das Atom und der Preis, Carsten Germis, FAZ vom 7.2.2014
首都解体への都知事選 2014-02-08 | 歴史・時事
ハイエナ経済のバベルの塔 2011-03-18 | 歴史・時事
林光/水ヲ下サイ(詩・原民喜)を聴く (静かな場所)
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首都解体への都知事選

2014-02-08 | 歴史・時事
面白い数値を紹介しよう。ドイツ連邦共和国の全面積の国土利用割合である。ドイツに飛行機で導入してくるとその整然とした美しさと緑の量、そして耕地の美しさに感動する。そこは本当に大きな木の繁る深い森の国なのか?

その耕地面積が国土に占める割合は52.3%と半分以上の面積が農産業に寄与しているのである。二番目になってやっと森が出てくる30.2%と約三分の一である。日本のそれとは比較にならないほど僅かな面積である。三番目には工業・住宅地域が出てきて、6.9%である。そのあと道路5.0%、墓地・空地3.2%、水面2.4%と続く。

驚いたのは比較的工業住宅地が多かったのと、水面が少なかったことである。道路は空から見ていてもに十分に広いのは分かるだろう。さて、耕地面積と森の比率を考えると、まさしく日本の事情と全く異なることが明白となるであろう。

つまり、双方を合わせて82.5%は可成りの割合で産業に寄与していることである。日本の原生林の割合は世界有数である反面、それが産業に寄与している比率はとても小さく、耕地面積は減少する一方に違いない。要するに国土を十分に利用出来ていないのである。

こうした面から細川都知事候補のスローフードも考えなければ片手落ちである。その持続性ある自然や国土のあり方については既に触れたとおりである。序に言えば、細かく素晴らしい政策を打ち出している宇都宮候補の反原発への姿勢は明らかに認識が間違っている。二人の候補への一本化は実現しなかったが、またネットで十分な議論も無かったように見受けられたが、この差は甚だしい。

要するに宇都宮候補ら一般の日本人は、あの時の本当の危機感を未だに共有していないのは明らかで、報道規制とその影響下にあるということである。天皇を頂点に、細川や小泉のようなエスタブリッシュ層は当時も外交関筋などの情報を共有しており、首都を遷都しなければいけない状況を身を持って体験していたのである。我々眠れない日々を過ごした海外の多くの人と体験を共有していたことになる。

それゆえに原発問題は、他の社会福祉などとは同列で語れない問題であり、核開発としての安全保障上の原発保有をもってしても、その危険性は安全上もしくは存続の最大と危機であるのだ。実際には偏西風があるので風向きを考えれば何が危険かは分かっており、浜岡原発を即停止させたのは必ずしも老朽化や地震等の危険性だけではなかったのだろう。最も首都圏を直撃するからであったからが理由であったからに違いない。そして再稼働させようとしている地域の人々はそれに甘んじることが要求されている国策はフクシマ禍以降も全く変わらないことを示している。

都知事選に関しては、【都知事選】 明日の食事と近未来の戦争として田中龍作ジャーナルに綺麗に纏められているが、細川候補のあり方は最終的にはゴルバチョフのような首都圏解体へと導く考え方であり、それは政治的には誤りであるが、思想としては正しい在り方に違いない。福祉などが充実して益々首都圏に人口が集中するとどのような手段を講じてもカタストロフ的な首都の大災害は必至となる。暮らしにくい首都こそが求められる政策に違いないのである。反原発活動最後論は、再稼働後に余震が来て、万事休すとなることを考えれば、政治解決が望めなくなった場合は体を張る闘争へと結びついていくのは当然の帰着ということで、ある意味正しいのかもしれない。



参照:
細川候の持続的環境意識 2014-02-01 | 文化一般
首都圏に退避勧告が出た時 2011-03-24 | マスメディア批評
ハイエナ経済のバベルの塔 2011-03-18 | 歴史・時事
独駐日大使からの福島報告 2011-06-29 | 雑感
日本のゴルバチョフへの条件 2011-06-28 | 文学・思想
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そこに垣間見える闇の力

2014-02-07 | マスメディア批評
発注したCDが届いた。先ずプロコフィエフを鳴らしてみたが、ネットで触りを聞いた印象とは大分違っていた。そのカラヤンサウンドもさることながら、その制作録音の金の掛け方と共に、貴重な制作であることが、初めてCDで分かった。到底PCなどで聞いているようではまともなバランでではならないだろう。そして初めてプロコフィエフの音楽と交響曲が十分に理解できそうである。

ゴーストライター新垣氏の会見の模様を少し垣間見た。そしてその前にYOUTUBEで観た彼自身のショーピースの作曲を重ね合わせると、なるほどと理解できた。明らかに習った人の仕事であり、注文を受けたその目的に応じてそれなりに仕事のできる人であることは明らかであった。

それゆえに、もう一つ突っ込んだことを話してほしい気持ちとなった。要するに彼は、その注文や業界事情に応じて仕事をしていたことを明らかにして欲しかったのである。例えば、「自分自身の交響曲では話にならなかった」ことを専門家として素直に認めていたが、それを強調すると業界を敵に回してしまうことになる。

なるほど、依頼は偽作曲家による個人的なものであったかもしれないが、偽作曲家が突然難聴になったと公にするなどの経過で、「おかしい」と気が付いて、それに応じて仕事をしていくようだ。つまり、その事情はよく分かっている筈で、そこを語らないことには本当の告白とはならないのだ。

オリムピックで自分の曲が流れ、世界中のメディアで今回の件がアナウンスされる可能性があることを考えれば、一発勝負の機会だったのだろう。そうした裏心があるのか、完全に業界を暴く意志はないようで、その後ろに広がる犯罪組織への告発とはなっていなかった。

偽作曲家が、新曲のそれも大オーケストラの楽譜を出版して、大オーケストラと制作録音して、日本全国で大ツアーを行うまでの、仕掛け人や、音楽プロデューサーや、興行主が多額の売り上げのために仕事をしているのである。ゴーストライターなどは只の歯車でしかない。ゴーストライターはその業界で生き続けようと考え、それで幕引きをしようとする闇の力が働いてくるに違いない。



参照:
やめてけれ、悪趣味 2014-02-06 | 文化一般
ネットショッピングの日曜 2014-02-04 | 生活
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やめてけれ、悪趣味

2014-02-06 | 文化一般
佐村河内守の交響曲というのに、「ゴーストライターがいた」とネットにあった。ネットで皆さんの感想などを聞いていたので、大体ものは分かっていたので興味はなかったが、こうなれば新たにとても興味をもってYOUTUBEで聞いてみた。これで日銭を稼いでした日本の音楽業界の結構なスキャンダルだと思った。ショスターコービッチ風と聞いていたが、それ以上にロマンティックなマーラーやブルックナーなどの交響曲に精通しているゴースト作曲家だと思った。その創作については、少なくとも聾唖者の作曲でなければ演奏されることもなく語られることもなかったに違いない、当然注目されることもなかったのは明らかである。

問題は、何億円もの金が動いて大きな商売になっていたことで、まさしく詐欺商法でしかなかったということで、偽物商法でしかなかったことだ。若しくは霊感商法に近いものかもしれない。そして驚いたことに、その興業をしているのが、マンハイムでイングリート ふじ子ヘミングというピアニスの演奏会を行ったサモンプロモーションという如何わしい興行主である。恐らくそこの朝鮮系の指揮者も興行主も事実を全く知らなかったのかどうか、とても疑わしい。それどころか秋山が京都市響で演奏しているというから金のためなら何でもありという感じである。全く情けない。

少なくともこれだけのストーリーを展開するはそれなりの詐欺グループが裏に暗躍して、全ての関係者と綿密な打ち合わせをしていなければならないからである。NHKも絡んでいるからこれまた大スキャンダルだろう。中世のオイレンシュピーゲルの悪戯ではないが、これだけの詐欺を働いたのであるから民事訴訟だけで済むのかどうか?

恐らく、ゴーストライターと聾唖者の間には著作権上の契約があったのだろうが、その分け前で係争となったに違いない。良くある話だが、ストーリー性があまりにも綿密に練られているだけに、どうしてもそこに犯罪性を感じてしまう。偽物絵画のところで書いたが、有名な小林秀雄が偽の壺を撫でまわして悦に入っているようなそうした俗物の身ぐるみが剥がれるところはとても悪趣味だが面白い。そのそも商業主義とはそうした悪趣味なのである。


追記:影武者が表れたという。それ以上に興味あるのは、管弦楽初演練習の際に指揮者などが、余程完璧に書き込まれていない限り、その楽譜について作曲家に相談するのは当然で、それは筆談でも出来ることだ。つまり、真相に気が付かない筈はないのである。間違いなくグルは少ない人たちだけではないのである。大掛かりな詐欺グループだ。



参照:
佐村河内守 交響曲第1番「ヒロシマ」全国ツアー開催中 (YOUTUBE)
佐村河内守 (Samon Promotion)
GEWA' GEWA' PAPA PAYA 2013-02-11 | 文化一般
すは、偽物ファン・ゴッホ作 2014-02-03 | 文化一般
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時代の雰囲気の呼び起こし

2014-02-05 | マスメディア批評
先週の新聞の科学面にネーチャー一月号の論文が扱われていた。とても興味あるハーバード大学での研究内容であったので、調べ物とした。もう少し現場の情報などを集めてみたいと思った。

キリスト教民主同盟と緑の党の連立政権のヘッセン州エネルギー相が、経済の発展を阻害しないと言及している。当然のことだろう。そうでなければ政権与党にはなれない。それを現実的政治レアロと呼ぶが、連邦政府のメルケル政権の遣り口はかなりプロテスタント系の社会主義に近くなってきているので、労働組合の圧力団体でしかなくなってきた社会民主党の方が特殊な政治結社になってきている。

手元に日本へ注文した書籍が到着した。先ずは孫崎著「戦後史の正体」に目を通してみよう。選挙中の都知事選では、宇都宮候補樹立の節は挨拶をしていた著者であるが、対米関係という大枠から考えれば、明らかに細川候補の方が意味を持つ筈であるがどうであろう。著者がそこで強調していた「なによりも脱原発」という挨拶がとても気になっていて、その真意を考えていたからである。

摘み読みすると、関心を引く個所が出てきた。「細川政権のもとで日本は日米同盟の重要性を軽減する」の見出しの箇所で、その「多面的安全保障」は、米国の警戒を招き細川政権つぶしに発展するのだが、なぜか小池百合子議員がBLOGに書いている人事への米国の介入を総理の回想録「内訟録」では一切触れていないというのである。これは有権者にとっても興味津々であろう。

一方知事選を応援している小泉の方は、「北朝鮮政策をめぐって、ブッシュ大統領からおどかされた」ゆえに強い対米追随路線を歩んだとされていて、その郵政民有化とともにグローバリズムの政策が非難されている。小泉時代はこちらにもネットを通じてそれ以前とは比較できない情報が入ってきているが、著者孫崎氏の指すここ二十年ほどの日米関係の冷戦後の動きはこれを見て初めて知ることとなる。

なるほど、細川の名前が中共のネットにおいても頻繁に出てくる状況はこれでも納得でき、小泉内閣が起こした内外の問題もその枠組みの中で読み取れるようになっている。高校生にでも読めるようにという著述であるが、昭和の宰相のそれらの動きなどをはっきりした単純な座標軸で示していることでとても分かり易い。しかし実際には、その当時の朝日新聞を代表とする日本社会の世論作りとその雰囲気を重ねて呼び起こさせる書き方となっていて、明らかにオジサン向きの読み物である。

繰り返すが冷戦後の二十世紀の終わりまでの所謂失われた時代の日本には1993年11月の三週間しか滞在していないので、当時の細川首相がそのショールか何かで和歌山かどこかの町の喫茶店のおばさんに人気があったことを、そこで食した喫茶店ナポリタンと共に思い出すだけである。寧ろ、進駐軍当時の話は、昔話としてその当時の雰囲気と共に色々と耳にしていることなので、それほど目新しい視点は無さそうだ。



参照:
原発なんてどうでもよい? 2014-01-23 | 文学・思想
細川候の持続的環境意識 2014-02-01 | 文化一般
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ネットショッピングの日曜

2014-02-04 | 生活
ネットショッピングの日曜日であった。今使っている掛布団のカヴァーに亀裂が入っていることに気が付いていたので、次の洗濯若しくは破れてしまうまでに、もう一つ予備のものを購入しておこうと思っていた。そこでアマゾンを覗くと、来週末まで冬物セールで二割引きの商品があったので、探しに捜した。結局、通常価格は70ユーロのマコ・サテンの枕カヴァー付商品が32ユーロほどで購入できた。

ビーバー織も更に安く入手可能だったが、もう一つのカヴァーが同じあような赤系だったので、今回は夏に使い良いサテン織の青系を購入した。もう一の赤系の裏地が柄が違って良かったのだが、売り切れとなった。200CMx135CMの摂氏60度まで洗濯可能な純綿で五年保証である。

もう一つ、長く使っていた英国製の白いシーツが二つとも破れて、分厚い無骨なシーツしか無くなったので、これも色の違うものが欲しかったので、定価50ユーロもするボルドー赤を注文した。客用を兼用でセミダブル用255CMx230CMの大きさを、送料込みで約30ユーロで獲得した。綿200でそれ程分厚くはないがエジプト綿であるので、最低15年ほどはもって欲しい。

序にネットの買い物籠の中のCDが気になって、序に注文できるものを物色していたら余計に気になるCDが出てきた。籠に入っていたのは6ユーロのルドルフ・ゼルキンとアバド指揮のモーツァルトの協奏曲で、小澤指揮のものを十二月に購入した際に見つけていたものである。ゼルキンのピアノは流石に老いてはいるが、どうしてピアノ表現としては立派なもので聞き甲斐のあるものだったので、アバド指揮の評判の良い録音も聞いてみたくなった。

そこで現在スキャンダルの渦中にある自動車クラブADACの割引を使うために他のCDを物色すると偶然同じアバド指揮のムソルグスキーの「ボリス・ゴドノフ」が、三枚組僅か13ユーロでオファーされているではないか。当時話題になっていた録音であり、ザルツブルクの復活祭で上演されて、同じ演出で夏にそれを体験した。録音は、ベルリンでコンサート上演の前後になされている様である。因みに夏の演奏は、ヴィーンの座付管弦楽団で指揮はロシア人ゲルギーエフだったが、大変失望したどころか、その指揮者の名前すら忘れていた。ザルツブルクで数多く経験した出し物の中で最低のものだった。最初で最後にこの指揮者を聞いた経験であるようだ。

それでも要件を満たす最低価格にならないので、更に出物を探す。そして、プロコフィエフの交響曲全集に再会した。小澤指揮ベルリンのフィルハーモカーの演奏で、四枚組で18ユーロである。最初に出会ったときは極安でも買えなかったのであるが、逝去したアバドのムソルグスキーの音に興味をもち、円熟した小澤のベートーヴェンを聞いているうちに、これも聞いてみたくなったのである。触りを聞く限り、歯ごたえや棘は無くともとても熟れた指揮ぶりで、これはこれで面白いと思った。プロコフィエフの交響曲は、第一番や五番などは可成り耳についているが、その他はそれ程に馴染みがない。その意味からすると、ラフマニノフなどよりも楽しめるかもしれない。LP,CDを通して、ベートーヴェン、ショスタコーヴィッチ、シベリウスに続いて購入した五つ目の交響曲全集になる。全部で八枚、〆て30ユーロであるから、一枚当たり4ユーロ以下なので、それほど間違いないであろう。



参照:
長過ぎる買い物・出費リスト 2011-01-03 | 生活
熱を出して寝込んだ 2013-02-15 | 生活
真面な商品だろうな 2013-12-12 | 雑感
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すは、偽物ファン・ゴッホ作

2014-02-03 | 文化一般
偽の美術骨董品が出るとすはと思ってしまうのである。日頃からその市場価値に不信感をもち続けているからであり、芸術作品の本当の価値はそのようなところにはないと考えているからである。ゆえに、訳の分からない高額の価値を付ける市場は、要するに資産価値と言うか、需要と供給の関係での人気投票に他ならないから出る。本当は株式市場も企業の将来性や可能性に市場価値が付くものでなければいけないのが実際には投機的な価値しかつかなくなっているのと同じである。

今回はファン・ゴッホの「パイプを咥えた男」が偽作であるという情報が出た。それは、チューリッヒの美術館に永久貸与として飾られている。カタログに必ず載っている名画なので、ご覧になられた方も多いであろう。

赤のバックに耳を包帯で包んだ緑の上着を着た油絵である。スイスで殺人犯の無罪などを勝ち取っているハンスペーター・ボルンによると、この偽作の素性ははっきりしているようだ。そもそもそれはエミール・シュッフェネッカーによってゴッホの死の直後オマージュとして創作されたものとある。それを作家本人がワイン商に「偽作」として販売して、それがのちにポール・ローゼンバークの手に渡った - 要するに現在においても「ネットにおける有価値化」のようにいつものユダヤ経済である。そして、それがギリシャ人リーダー・スタヴロス・ニルコスの手に落ちて、その息子か美術館に提供したようだ。

ボルン氏と共著しているのは、ムゼーデュフランスの元ディレクターであったウベルト・ランディとなっていて、「Schuffeneckers Sunflowers and Other van Gogh Forgeries」としてE-Bookとして好評発売中である。



参照:
Unter Fälschungsverdacht, FAZ vom 31.1.2014
持続性の無い文化の担い手 2013-08-22 | 文化一般
偽造する人、商う人、騙される人 2012-01-22 | 文化一般
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とっても疲れた週末

2014-02-02 | 生活
室内壁、第30日、31日目は疲れた。一つ課題を残してしまったことが余計に疲れを残した。BASFの上海マラソンマンが上手く立てていないのを先週指摘したので、新しい靴を購入して来た。スカルパ社のフェローチェというものだった。ダウントーが欲しかったようなので、また小さな足場に立つことを狙ったのだろう。この靴のことは耳にしていたが、身近で見るのは初めてだった。

それ程特殊な形状ではなく、足入れも良いようなので人気が高いことも、様々なテスト結果を読んで理解できた。さて、今回購入した本人にとってはどうだろうと考えて、コメントをメールしておいた。余計なことであるが新しい靴を買えと言った手前、若干フォローしておきたかった。

結構精妙荷重が出来るようなので、先ずはそうした精妙な足使いを意識するように示唆しておいた。要するに私が昨年イヴォルヴのポンタスIIで以て、駆使するようになった高度な技術に繋がるものである。彼がそれを年内に身につけられるようになるとは思わないので、一言付け加えておくことは重要だと思った。

実際、室内でも靴を上下に振って足元を確かめるような初心者特有の足使いをしたのでそれを指摘しておいたが、そのレベルでは上の靴を使いこなすのはとても難しいと思った。彼が今年目指しているのは、五級の岩場を登ることなので、南プファルツでは摩擦登攀の足遣いが重要になる。勿論好い加減な靴であれば摩擦係数さえ強ければ何とかなるのだが、五級となると普通に立つだけではないのである程度の技術が必要になる。それでも柔らかい靴の方が間違いがなく、安心して登れるのだが、こうした高度な靴を履くとなると間違った足の置き方や動きがあるだけで滑り落ちてしまうのである。

さて、室内壁、彼が参加する南フランスでの春のキャムプの石灰壁でどれほど習得できるだろうか?もし足使いの技術をある程度使いこなせるとすれば、可成り腕を上げることになる。スキーでも同じであるが、子供の時からの長い経験か、余程の努力が無いと、わかればわかるほどますます難しさが見えてくるという好例に違いない。

それにしてもスカルパは、イタリア製なのだろうか材質も良く、造りも良いようで流石である。販売価格も新しく購入した私のイヴォルヴのシャマンよりも若干高価なようである。天然皮を豊富に使っているので伸びてくるだろう。



参照:
笑窪が嬉しいダウントー 2014-01-30 | 雑感
腕がパンパンになる日々 2014-01-25 | 生活
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細川候の持続的環境意識

2014-02-01 | 文化一般
久方ぶりにワイン地所を散策した。僅か三四十分であったが、それなりに気持ちが良かった。最近は時間があれば走っているので、このようなほっとする時間があまりないのだ。ゆっくり走りながら考え事もすることも出来るようになったが、やはり歩くときとは大分その思索内容が違う。

地所を歩いていてそこの新たな変化に気が付くこともあるが、なによりも驚いたのが、マリア塔の下の土手の草木が刈られていることだった。なるほどその斜面一帯は一切手が入っていなかったので、密生した蔦や木など生い茂っていたのだ。その一部は野鳥の憩いの場所となっていたのは知っているのだが、恐らく全て刈り取られるのではないかと思う。

これを見て直ぐに細川候の外国人記者クラブでのインタヴューを思い出した。それは、氏のスローフード哲学の内容を吟味してからだった。今回の都知事への候補での意味合いは文化的にはそこにあるからでもある。

予てから、なぜ欧州の森は下木が整理されていて歩きよく、なぜ日本のそれは原生林でなくとも歩くことも出来ないほど密生しているかに興味があったのだ。その理由は、欧州の森に放牧地のアルムのように手が隅々に入り伐採と植林の営みがあるからだということは十分に理解しているのだが、この僅かな場所で手つかずにおかれると車道の横でもこうした密集が生じるということを目の当りにすることはあまりないのである。

そこで細川候の自然エネルギーや日本人と自然の繋がりの哲学に典型的な日本のそれを感じて、所謂再生可能の持続的環境の保護の運動とは異質のものを感じたのである。論文盗作で失脚したツ・グッテンブルク大臣の父君である指揮者のエノッフ・ツ・グッテンベルクは保守環境保護ブントの創始者の一人であったがで、その運動が環境政党「緑の党」が左派政党から現実路線へ、そして保守緑の党へとの流れの過程で大きな意味を持っている。そして、そこで明らかになるのは緑の党の環境意識はカトリックのそれであり、プロテスタントのメルケル首相の持続性社会の構築はまた強い環境意識の表れであるということである。

つまり、細川候の自然観はなるほど保守的な環境意識であり、一つの哲学とすることは可能であるが、それがなかなか政治的に社会的に大きな運動とはなりがたい意識であることは明らかなのだ。上の密集の例は、その典型であり、自然をこよなく愛すとして、無為自然を貫くことの結果なのである。成程放っておいても野鳥などの住処となって自然に貢献するのだろうが、荒れ放題になって少なくとも人間の経済に貢献するというようなことは無い。要するに持続可能とは正反対の事象なのである。

経済、細川候は経済重視の政策を批判するが、持続性のある経済、つまり環境こそが構築されなければいけない自然なのである。緑の党などの運動が、それどころか「環境」という言葉が十分に咀嚼できない素朴過ぎる日本文化の中で、スローフードの本質がどこまで多くの人に伝わるのかどうか、とても疑問なのである。

それに比較すれば、スターリニズムのポピュリズムやTPP反対などの閉鎖性は、島国文化の特徴と思考には分かり易く、それが容易に受け入れられる素地があるのだ。環境やグローバリズムや新自由主義の本質はそのような次元にあるのではない。反原発運動の市民運動と政治思想については改めて考えよう。



参照:
原発なんてどうでもよい? 2014-01-23 | 文学・思想
時代錯誤への対抗軸 2014-01-15 | 歴史・時事
移民政策 (Hodiauxa Lignponto)
黒雲覆い始める中、マン「ファウスト博士」の下巻へ (壺中山紫庵)
万能細胞なんて要らない (猫のひとりごと)
ドイツワインの復活を期した最高の造り手達の挑戦を記載した本です。 (saarweineのワインなどに関してあれこれ)
「脱原発」の意思を明確に! (唐松模様)
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