山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

ツマグロヒョウモン?

2008-07-20 22:46:21 | 日記
昨日に引続き庭の草取りをしました。
このままにしておくと、近所のヒンシュクを買いそうだし、一日ひとつのガッツポーズを目指すとしたら、草取りを完璧に完成させるというのも、そのひとつかと思ったのです。

昨日みつけた幼虫と遭遇するのは覚悟の上でした。
そして、やっぱりいました。
黒地に赤い縞模様みたいな毛虫です。
昨日よりなんとなく大きくなっているような気がしましたが、倍にまではなっていませんでした。
そいつらに3匹会い、結局のところあまりにも気持ち悪いので足でふんづけて殺しちまいました。

青虫は蝶に、毛虫は蛾になるんだよな、と思いつつも、どんな成虫になるものだったのかな?とちょっと気になりました。

そういえば、朝ベランダから下の庭を見ていると、我が家の別の花壇にモンシロチョウが一匹いました。そこには、紫のサルビアとピンクと白のインパチエンスが植えてあります。その花の蜜を吸っているのでした。
そして、隣の家の花壇には、茶色っぽい蝶が飛んでいました。モンシロ蝶と同じくらいの大きさでした。名前はしりませんが、確かに蛾ではなく蝶でした。

蝶がいるということは、その幼虫もいるのかなと思いました。

夜になってネットで幼虫図鑑を調べて見ました。
超気持ち悪いです。でも本物ではないので、画面から這い出してくるわけではありません。
でも、変な夢を見そうです。しかし、がんばって探してみました。

ムム?
似たようなのが、「タテハチョウの幼虫」というところに出ていました。
ツマグロヒョウモン

あれっ、私が踏みつぶした幼虫は、蛾の幼虫ではなく蝶の幼虫だったようです。
わあ、かわいそうなことしたなあ。

そして、その幼虫は、確かにパンジーのところにいたのでした。
パンジーの株はもうすっかり終わりになっていますが、まだかろうじて1~2個の花をつけているものもありました。葉はほとんどなくなっています。それらが、夏草の中に紛れ込んでいるのでした。
しかし、毛虫がいたのは、確かにそれらのパンジーの株のあるところでした。
図鑑を見ると、パンジーやビオラのところで発見されると書いてありました。

そうか蝶の幼虫だったのか。
もう少しで蝶になれたのにね。ゴメンね。

ガッツポーズはできません。
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駐車禁止だってば

2008-07-20 20:46:02 | 日記
今日、公営住宅の路上に外部の車が駐車しようとしていた。
他の目撃者の話では、団地内の路上に駐車して、そのまま置いていこうとしていたらしい。
たまたまそばに居合わせたので、「どちら様ですか?」と聞くと、直ぐに移動するとの返事だった。団地の住人でもないし、住人の関係者ではないのだった。
「すぐに移動するとは言ってもそこは駐車してはいけない場所ですよ」と団地住人の最初の目撃者が言うので、私も加勢し、「この道路は駐車が厳しく禁止されているので、住人の関係車両も短時間でさえ置けないんですよ」と伝えた。
すると、車の持ち主は「業者の車なんかいつも置いているじゃないですか」と言い始めた。「業者はいいんです。団地内に用事があったり作業をしにきているんですから。業者以外の車は一切置けないんですよ」というと、相手は逆切れし始め、「すぐに動かすと言ってるだろう、なんだその言い方は、その注意の仕方が気に入らない」などと居直り始めた。
他の人も出てきて「あんまりうるさいことは言いたくないけど、そうやって置いていくところを見た時に、3分でどかすのか、1時間置くのか、こっちには判断ができないでしょう。だから言ってるんですよ」と言った。
「だからこうやってすぐにどかすっていってるだろ。それでいいだろう。ああだこうだうるさく言ってその言い方がおかしいっていってるんだよ」
「すぐにどかすって言うのは、こっちが聞いたから言ったことでしょう。本当はそっちから先に断わらなきゃいけないことだし、人の敷地に勝手に置いておいて、注意の仕方がよくないなんてことを言える立場じゃないんじゃいないですか」
「じゃあ、だれに断ればいいんですか。いちいちインターホンを押すんですか?そんなことをしたらかえって迷惑でしょう。聞かれてちゃんと答えてるんだし、それでいいじゃないですか。」「でもね、この場所は車を置いちゃいけない決まりなんで、誰も置く人はいないんです。少しの間だからいいだろうなどと言って置く人ができると、他の車もそれにつられて置くようになってしまって困るんですよ」「だから、すぐにどかすって言ってるだろ。だいたいその言い方がいやらしいんだよ」
もう水掛け論だ。

この道路は行き止まりになっているために、私道とは言っても、交通をふさいでしまうわけではないと思って軽い気持ちで置いたのかもしれなかった。
しかし、その置いた人の意識と住民の意識には大きな隔たりがある。この道路は本当に住民や住民の家に来訪する人間さえも車が駐車できない決まりなのである。
だから、知人や親戚には車では来ないように伝えてあるし、もし来る場合は最初から近所の有料パーキングに止めるようにしている。
住民さえもがそういう対処をしているのに、見ず知らずの近隣に住む人間の関係者が、一時的であるにせよ安易に置こうとするのは住民にとってかなりの違和感であるし、不愉快なことなのだ。しかも、業者でもないし、緊急車両でもなく、この3連休に遊びに来たとしか思えない様子の一般車両である。

しかし、逆切れされるのは全く気分のいいものではないし、こっちが正しいことを言っているにもかかわらず、後味が悪いものだ。

断わる断わらないにかかわらず、一切駐車禁止。そういえばよかったよ。
後で、駐車禁止の標識がなかったのかな~と思って見に行くと、ちゃんと書いてあった。
やっぱり、こっちの言うことが正しいんだよ。
こっちが非難される筋合いではない。
それにしても、団地内にもっと強面の人がいればよかったなあ~。
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ガッツポーズをめざせ!

2008-07-20 16:18:30 | 日記
3時過ぎに何気なくテレビのチャンネルを回していると、ゴルフの練習場で木村拓哉が石川遼選手からゴルフレッスンを受けている場面に出くわした。
特別両者のファンでもないし、ゴルフにも興味はないのだが、二人のやり取りにひきつけられて、そのまま見続けた。
石川遼選手は、16歳とは思えないほどのすばらしい教え方で、ゴルフの才能や能力のみならず、人間としての成熟を感じさせられた。つまり、その年齢でそんなに的確な教え方ができるということは、とても聡明だな~と思うばかりであり、聡明だからこそ分析力もあり、努力することもできて、もうとにかくなんといったらいいか、感心するばかり、敬服するばかりであって、そのうえ性格もよく、甘いマスクで、知的であり・・・・・etc.etc.
もう、表現しつくせないわけだ。
また、一方、キムタクもその魅力には揺るぎのないものがあり、これはすでに世間周知のものでわかりきっていることではあるものの、容姿の美しさとともに内面の充実をやはり再認識するばかりだった。キムタクの、何にでも挑戦し、それをものにしていく意志力には敬服するばかりであり、持って生まれた容姿や才能も大きな要素ではあるに違いないが、けっしてそれだけではなく、むしろその内面が彼の魅力に違いないと感じられた。
そのキムタクにまったく劣らず対等のオーラを発する石川遼選手。
この2人の男たちは、本当にすばらしいものだ。

そして、キムタクから石川選手にあったアドバイスは、「生きていくうえでいくつガッツポーズがとれるか」ということで、試合に限らず、ガッツポーズをとる瞬間をたくさん作っていこうというものだった。
石川選手も言っていたが、ガッツポーズというのは、自分で納得しなければできないものだ。自分が頑張って、そのことによって出た結果に対して初めてガッツポーズがでる。
ガッツポーズは自分が自分にする評価ということだ。

このことは、誰にでも言えることだろう。日常生活でもそうだ。主婦だったら、掃除をしてぴかぴかに仕上げたときや、おいしい料理が出来上がったときに、ガッツポーズをすることができるだろう。
当然のことながら、もともと何もしないで全力を尽くすことなく中途半端なことや手抜きのことばかりしていたのでは、その結果としてガッツポーズなど出てくるはずもない。
だから、まずは苦しさに耐えるとか、目標に向かってがんばり続けることが、ガッツポーズ発生の前提となるだろう。

ガッツポーズは頑張ってものごとを達成した人間だけができる特権である。
そうやってガッツポーズを積み重ねるうちに、人間としての器も大きくなっていくはずだ。

人生のうちにいくつガッツポーズができたか。それで人生の価値が決まる。
努力することは大切だが、努力が努力だけで終わってしまったら意味がない。
ガッツポーズができるところに持っていかなきゃダメなんだと思った。
そうそう思うようにいかないのが現実かもしれないが、ガッツポーズができることが望ましいに違いない。

私の場合、放送大学の単位認定試験も迫っている。こんな年になって勉強はなかなか身につかない。しかし、単位がとれたときにはガッツポーズができるだろう。

そんなことを教えられた。
だから、私もこれからは毎日何らかのガッツポーズがひとつでも多くできるように生きていかなくてはと思った。
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