山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

非常識

2010-01-08 23:09:54 | 日記
ずっと昔「人間この非人間的なもの」という題名の本を読んだことがある。著者は「なだいなだ」だったと思う。
内容といえばほとんど覚えていないが、「人間がすることならばすべて人間的なはずであるがそうではない。非人間的な人間が多く存在する。」という、まずはこの言葉の矛盾をついた題名だったと思う。非人間的な人間が多ければ、その「非人間的なこと」は「非人間的」ではなく「人間的」なことになるはずだが、依然としてそれは「非人間的」といわれている。
非人間的とはどういうものか?もうこの本の内容は覚えていないけれど、打算的だったり、まごころがなかったり、冷血だったりすることを「非人間的」というとすれば、「人間的」であることは、人間としての理想というか、ごく一部分のあるべき望ましい姿とでもいうのだろか。所詮、「人間的」とは人間すべてが備えている属性ではない。
また、非人間的だといえるような振る舞いを、人間以外のものがするかといえば、むしろ人間だからこそするようなことであって、そのことについて「非人間的」という場合も多い。結局、人間がすることであって、のぞましくないようなことを「非人間的」というようだ。

何を考えているのか、自分でもわけがわからないが、急にこの本の題名を思い出したのだ。
というのが、「現代の若者ってのは、なってない」などと思うことが多かったりするが、まんざら変な若者ばかりではないとも思う。このあいだ、AT限定解除の審査で、若者たちと一緒に試験を受けたのだけど、若者のほうから話しかけてくれたり、試験が終わったあと、他の車の若者も、若者のほうから私にむかって「お疲れ様でした」って言ってくれたりして、なかなかいい若者がいるじゃないかと驚いた。
そういえば、最近の若者はぜんぜんつっぱってなくて素直な感じかもしれない。
いつの時代も「最近の若者はどうしようもない」「人間がなってない」なんて大人は嘆くけど、そういうわけでもないだろう。「今どきの若者は~」などという、若者をひとくくりにした言葉がもたらすマイナスのイメージは、実態とは違うのであって、「人間的な」若者が多いのかもしれない。

「非常識」ということばも「非人間的」と同じような部類で、非難されてしかるべき状態であることを示す。しかし、「常識と違う」ということは特に悪いことに限られたことではない。常識でなくても何ら問題はないことも多い。だとすると、「非常識」ということば自体が大げさなイメージをもたらしてしまっているだけかもしれない。
「非・常識」な人はべつに、非人間的であるわけでもなく、普通の人であることも多い、かもしれない。

支離滅裂ですが、べつにお酒を飲んでいるわけではありません。
酔っ払ってもいないのに、わけわかんないのはもっと問題。

私って、七草粥とか食べない。これは「非常識」な人間かもしれない。これは、私だけではなく私の実家もそうで、だいたい母親が七草粥を食べたくない人だから、子供の私もそれを受け継いでいる。夫の家もそんな家だったらしく、「七草粥はないのか?」のような言葉はまるで聞かない。我が家には「七草粥」は存在しない。
っていうか、私は七草粥というものを食べたことがないし、それゆえその美味しさも知らないので食べたいと思ったこともない。(たぶん、あんまり美味しくないと思うし、おそらく世の中の人たちも美味しいから食べてるわけじゃなく、習慣というのか、伝統と言うのか、文化というのか、そういうことで食べてるんだろう。)また、私は七草粥に限らず、お粥というものは病気になっても食べない。

七草粥はお正月料理でもたれた胃を休めるために食べるのかもしれないが、我が家では「粥」以前に、「餅」も存在しない。「お正月には餅を食べる」という意識がない。餅を食べたいと思わない。それでも昨年までは「サトウの切り餅」の一袋くらいは存在したが、今年は正真正銘「餅」を用意しなかった。切り餅もなければお供えもない。当然「おぞうに」も食べない。
また夫も「餅は無いのか?」と聞かない。子供も聞かない。

正月のお飾りは買ったんだけど、これは普通松の内だけ飾って、あとは処分するらしいが、それがもったいないと思ってそのままどこかに飾っておいたりする。玄関のお飾りも部屋の中の壁にかけて飾っているし、車のお飾りも昨日書いたとおりである。

何か変な家かな~。
非常識な家のようだな~。
でも、誰にも迷惑かけてないよな~。
それにもしかしたら、こんな家結構多いかもしれない。


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今日の失敗

2010-01-08 02:54:04 | 運転・車・道路の事
何時間寝たのだろうか?
1人ですごしていると、なぜか急に眠くなって、いいかげんに布団を引っ張り出して、変な時間に寝てしまう。
そして目を覚ますが、それでも眠気がおさまらずまた継続して寝続けたあと、ようやく起きるともう日付はとうに変わっている。
1時半ころウサギを散歩させる。ウサギもいい迷惑である。ウサギを長生きさせる秘訣は規則正しい生活をさせることだそうだが、これではダメだ。ちょっと反省。
今はもう2時過ぎ。3時頃には寝るつもり。

ところで、今日は、車のバッテリーがあがっちゃうところだった。
自転車がパンクしてしまったので、仕事から帰ると自転車を修理に持っていった。
そのときに、お正月のお飾りが車の中にかざってあるので、それをはずさなくちゃと思った。忘れないうちにはずしておいたほうがよかろうと思い、自転車屋に行く前に車を開けてお飾りを取り出したが、そのお飾りをどうしようかと迷いつつ、「交通安全」と書いてあるお守りのようなものなので、やっぱり車に乗せておこうかなと思い、車の後部座席のほうに持って行って、バックなどをかけるフックにぶらさげた。そのとき、暗かったので後部座席の電気をつけた。
ドアを閉めて車から降りると、周囲を観察し異常がないことを確かめ、自転車屋に向った。

自転車をあずけて一旦家に帰ると、鍋焼きうどんを作って食べた。そして、1時間ほどして自転車を取りにでかけた。

駐車場をふと見ると、あれっ、うちの車の中、なんか明るい?
なんと、後ろの席のランプがつけっぱなしだった。うわあ~
あわててドアを開けようとすると、当然のことながら鍵がかかっている。家に戻り鍵を取って来てドアを開け、ランプを消し、ためにしにエンジンをかけてみるとエンジンがかかったので、安心した。

自転車屋さんの閉店の時間が迫っていたので、急いで自転車屋さんに向かった。

危機一髪。ルームライトっていうのは、どのくらいの電力を使うものなのだろうか。
ヘッドライトほどではないにしても、長時間付けていたらダメだろう。
もし朝までそのままだったら大変なことになっていたと思う。幸いにして、自転車のタイヤ交換が1時間くらいで終わるので、もう一度出直さなければならなかったというのが、ラッキーだった。

車から降りたときは、ヘッドライトばかり気にしており、しかも、今日の場合は運転をしたわけではなかったので、注意を怠っていたのだ。

そういえば、私はルームライトの消し忘れというのをよくする。
多くは、手元がくらいからと発車前に運転席のルームライトを点けて何かを行った後に、そのままの状態で走っていたりするのだ。
先日も娘の運転で、私が助手席の電気をつけたままにしていて、娘が気付き消したりした。

ルームライト(ランプ?)の消し忘れ、今後、運転するときも降りるときも、気をつけよう。

さて、本当に寝ることにします。



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ワンコうさぎ

2010-01-08 01:54:39 | 日記
今日は、ウサギの期限が悪い。
体の具合でも悪いのかと心配するが、そうでもないようだ。
だいたい、どうも私が人と電話を始めると足ダンを始める。
ウサギっていうのは、声が出ないからか、怒ると後ろ足をトン、トン、と踏み鳴らして大きな音を立てて威嚇するようである。それを「足ダン」と言っている。どこかで誰かが、その言葉を使っていたので、私も使うようになった。
電話でめずらしい人と話していてテンションが上がったりすると、そばにいるウサギが足ダンをすることが多いようである。
「おばさん、うるさい」って言っているのか、「早く電話やめろ」って言ってるのかな。
姉のところの犬も、長電話をしているとワンワンほえ始める。これも、「いいかげん電話をやめろ」と言っているらしい。

うちのウサギも家の中で飼っているせいか、人間のそばにいるからか、だんだん進化していく。犬のようでもあり、人間のようでもある。
基本的には、食べ物にだけしか興味がないと言えるが、ケージから出して自由行動をさせていると、近づいてきて私の足を軽くがぶっと噛む。つかまえようとするとぴょんと跳ねて逃げたりする。こいつふざけてるな、と思う。
おにごっことか好きみたいだ。
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