「されど我らが日々」(柴田翔)
というタイトルの小説がずいぶん昔にあったのですが、
自分の中で内容が、
「青春の蹉跌」(石川達三)とごっちゃになってます。
どっちも若い頃の失敗の話だったような気もするんだけど…
「されど…」の方は学生運動の話だったような、
でも「青春の蹉跌」は学生運動と関係ないような。
読んだ本の記憶って結構曖昧なものです。
そのとき感銘を受けていても、
次の本、また次の本と読み出していくと、
前の本の内容が脳みそのザルがら漏れちゃっていくなぁ。
さて。
我らが日々、かぁ。
若かりし頃に、バイクに乗っていたんです。
神戸の住まいから、大学までバスで通っていたんだけど、
バスがえらいこと遠回りして目的地に着くものだから、
40分はかかっちゃってたんです。
時間がもったいないと思って、
教習所に行って中型二輪の免許を取ったんです。
そして、バイトをうんと頑張って、
中古のバイクを手に入れたのはよかったのですが、
どうにもこうにも、運転が怖かったんです。
主に早朝練習をしてたのですが、
練習中にガス欠やバッテリーが上がっちゃって、
しょっちゅうバイクが止まっちゃってました。
ある程度運転できるようになってから、
通学に使うようにしました。
あるとき、
確か精神的に参っていた頃なのですが、
バイクに乗っているのが危険だと突然思ったんです。
農村部を走っていて、
カーブで田んぼに突っ込みそうになったり、
あるいは田んぼに突っ込みたくなったり。
それ以来、バイクは運転していないのです。
今、実家の車庫の中でバイクは眠っています。
精神的にも安定したし、
そろそろ運転しようかな?と思った矢先、
筋無力症でまぶたがあやしくなってしまい、
運転が延期になって、今に至ります。
一時期、バイクを売ってしまおうとも思ったのですが、
バイクを売ってしまうと、
青春時代というものを、
そこで終わらせてしまうピリオドみたいな感じがしたので、
売るのはやめたんです。
これからも歳を重ねていくけど、
いつまでも青春していたいし、
その気持ちを絶対に忘れたくないのです。
そのシンボルとして、バイクはなくてはならないかな。
ちょっと懐古主義的かな?
というタイトルの小説がずいぶん昔にあったのですが、
自分の中で内容が、
「青春の蹉跌」(石川達三)とごっちゃになってます。
どっちも若い頃の失敗の話だったような気もするんだけど…
「されど…」の方は学生運動の話だったような、
でも「青春の蹉跌」は学生運動と関係ないような。
読んだ本の記憶って結構曖昧なものです。
そのとき感銘を受けていても、
次の本、また次の本と読み出していくと、
前の本の内容が脳みそのザルがら漏れちゃっていくなぁ。
さて。
我らが日々、かぁ。
若かりし頃に、バイクに乗っていたんです。
神戸の住まいから、大学までバスで通っていたんだけど、
バスがえらいこと遠回りして目的地に着くものだから、
40分はかかっちゃってたんです。
時間がもったいないと思って、
教習所に行って中型二輪の免許を取ったんです。
そして、バイトをうんと頑張って、
中古のバイクを手に入れたのはよかったのですが、
どうにもこうにも、運転が怖かったんです。
主に早朝練習をしてたのですが、
練習中にガス欠やバッテリーが上がっちゃって、
しょっちゅうバイクが止まっちゃってました。
ある程度運転できるようになってから、
通学に使うようにしました。
あるとき、
確か精神的に参っていた頃なのですが、
バイクに乗っているのが危険だと突然思ったんです。
農村部を走っていて、
カーブで田んぼに突っ込みそうになったり、
あるいは田んぼに突っ込みたくなったり。
それ以来、バイクは運転していないのです。
今、実家の車庫の中でバイクは眠っています。
精神的にも安定したし、
そろそろ運転しようかな?と思った矢先、
筋無力症でまぶたがあやしくなってしまい、
運転が延期になって、今に至ります。
一時期、バイクを売ってしまおうとも思ったのですが、
バイクを売ってしまうと、
青春時代というものを、
そこで終わらせてしまうピリオドみたいな感じがしたので、
売るのはやめたんです。
これからも歳を重ねていくけど、
いつまでも青春していたいし、
その気持ちを絶対に忘れたくないのです。
そのシンボルとして、バイクはなくてはならないかな。
ちょっと懐古主義的かな?