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映画・演劇のレビュー

『桃さんのしあわせ』

2012-11-02 19:10:14 | 映画
 今の日本ではなかなか公開されないようになってしまった香港映画界の巨匠アン・ホイ監督の新作である。今回はアンディ・ラウ主演ということもあってようやく日の目を見たのだろうが、これは今年一番の傑作だと断言する。すごい映画だ。

 何が凄いか、というと、身寄りのない老人が老人ホームに入って生活する姿を描くのだが、その部分は幾分ドキュメンタリータッチの見せ方をするのに、そこがとても優しい印象を残す。嘘くさくはないのだ。彼女の不安や、諦め、ほんの少しの希望。そんなこんながリアルに伝わる。突き放したようにならない。これはアン・ホイ監督の距離の取り方の問題なのだろう。彼女の目線からこのホームの姿が淡々と捉えられる。そこには必要以上の脚色はない。見たままを同じように目撃する。

 夜中にひとりでトイレに行くシーンが象徴的だ。すさまじい状況のトイレは一切見せない。さらには、憤りを感じたであろう彼女の気持ちも、表現しない。だが、淡々と掃除をして、そこに入る。受け入れる。別にここが特別酷い環境であるのではない。今までの自分の暮らしてきた場所とは違う、というだけの話なのだ。だが、これからは死ぬまでここにいなければならない。それは孤独で淋しいことではない。いや、確かに孤独で淋しい。そんなところで強がりを言って否定しても始まらない。だが、だからこそ彼女は何も言わない。ただ、黙々と耐え、過ごす。

 比較の問題ではないけど、ここはそんなに酷いところではない。様々な老人たちの介護に追われるスタッフは一生懸命だし、みんないい人たちだ。一緒に生活を共にすることになる老人たちも、いろんな人がいるけど、みんな悪い人たちではない。徐々にここでの生活にも慣れていく。

 彼女は今まで60年以上、ある家でメイドの仕事をしてきた。何代にも亘りその家族に仕えてきた。だが、体がいうことをきかなくなり、ホームに入る決意をした。その一族は今ではアメリカに渡り、香港には映画プロデューサーをしているアンディ・ラウ演じる男だけが残った。彼女はずっと彼の世話をしてきたのだ。独身で、多忙を極める彼の生活のサポートを彼女がずっとしてきた。彼にとって彼女は母親のような存在だ。というか、母親以上かもしれない。

 だから、彼は体の無理が利かなくなった彼女の世話を買って出る。「ヘルパーを付けるから今まで通り一緒に暮らそう」と。だが、彼女は断る。主人の世話をするのが自分の仕事なのに、それが出来なくなったら、もうここにはいられない、から。

 彼は彼女の言うことに従う。彼女は自分のお金でホームでの費用を賄うという。それも彼は受け入れる。彼女のプライドを大切にする。彼は忙しい仕事の合間にできるだけ時間を作り、せっせと彼女のもとに通う。それが、彼女はうれしい。彼が製作した新作映画のプレミア試写会に彼女を誘う。ドレスアップした彼女を、彼がエスコートする。とてもうれしい。彼女にとって彼は息子以上の存在なのだ。

 最後の最後まで彼は桃さんの面倒を看る。それは大切な人だから、彼女のしあわせを大事にしたいから。それだけだ。こんなにもしあわせな晩年はないだろう。

 老後の問題を描きながら、この映画は、そこに理想像を見せるのではない。もちろん悲惨な末路ではなく、幸福な老後だ。だが、それを夢物語にはしない。同じホームで暮らすさまざまな人たちの姿とともに見せていく。そこにはそれぞれの事情があり、それぞれの今がある。ここを夢の場所にはしない。ただ、ありのままの老人ホームとして見せていく。そこではさまざまな人生の終わりがある。桃さんのそれも、そんな人たちのひとつでしかない。殊更、強調したりはしない。

 だが、桃さんはほんとうにしあわせだった。そのこともまた事実なのだ。僕たちはそんな彼女を目撃する。そっと彼女を見守る2時間はとても幸福な時間だった。こんなに淡々とした映画なのに、こんなにもドキドキさせられた。いい映画だった。

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