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イスラエルの巨匠(らしい)ニル・ベルグマン監督の新作。東京国際映画祭で2度のグランプリを受賞した唯一の監督(らしい)で、でもこの映画が今回日本では初の劇場公開作品となる(らしい)。(どうして日本では自国を代表する映画祭で評価した映画すら劇場公開できないのだろうか。情けない話だ。)
なんだか『らしい』ばかりの羅列になったが、たまたま時間が嵌ったから見ることにした。事前情報はほとんどない。実は『ノマドランド』を見るための時間調整のためのつなぎで見ることにしたのだ。なのに、こちらのほうが僕には心に沁みた。お話の内容から、これは甘い映画ではないかと勝手に先入観を抱き、あまり期待してなかったのだけど、素晴らしい作品だった。上しい誤算だ。
自閉症スペクトラムの青年と彼の介助のために仕事を辞めて息子の世話をして暮らす父親の物語、というガイドラインを知った時にはあまり食指をそそられなかったのだけれど、単純なヒューマンドラマではなく、屈折している。とても単純なお話なのに、核心を突いている。誰もが感じる痛いところをストレートに描き答えを提示した。彼の行為は息子のために自分のすべての人生を捧げる犠牲の精神の発露ではない。ただの自分が抱える現実からの逃避だ。息子は言い訳でしかない。仕事に行き詰まりを感じていた。要するに自分のスランプから逃れたかったのだ。
だけど、誰かが彼の面倒を見なくてはならないことは事実だから、それを自分が引き受けようとした。息子は父親の庇護のもと、幸福に過ごしていた、はずだった。だけど、離婚した妻が養育権を主張し、彼から息子を取り上げようとする。母親は息子のために彼を施設に入れようとした。父親はそんなことを受け入れるわけにはいかないと思う。
ここまでが、お話の基本設定で、そこから映画は始まる。父と息子の旅が描かれる。仕事もなく、息子と暮らす父親には養育は不可能だという判断が下される。仕方なく施設に預けるため妻のもとへと息子を連れていくことになるのだが、当然息子は父親と離れることを拒絶して暴れる。この駅のホームでの駄々をこねて暴れる姿が痛ましい。まるで小さな子供と同じだ。そして父親は逃避行を挙行することになる。だからこれはある種のロードムービーである。でも、そんな旅がずっと続けられるわけはない。やがて、当然の終わりがくる。映画のラストシーンが素晴らしい。あんなふうにしてふたりは別れていくのか、と。
これは父親のエゴの物語だ。子供はちゃんと成長する。いつまでも自分の庇護のもとに置いておけるわけではない、という当然のことに気づかされる。たとえ彼が障害を持っていたにしても、である。愚かな父親は自分一人で息子を抱え込もうとした。だが、息子はやがて自立していく。結果的に彼が息子に棄てられることになる。
でも、それをちゃんと受け入れるラストは清々しい。人はひとりでは生きられないけど、自分で生きていく。誰かひとりに支えられなくてもいい。みんなに支えられて生きるのだ。父親はここからもう一度自分の人生を生きようとすることだろう。それでいい。それがいい。