
昨年『岸辺の旅』で新境地(でも、今までの流れから自然にそこに至った、という感じで、とてもさりげない)を切り開いた黒沢清がなんと『CURE』の頃に戻ってとんでもなく恐ろしい心理ホラーを作る。もうドキドキが止まらない。しかも、香川照之がいつも以上に過激に気味の悪い男を演じるのだ。いつも通りでも十分気味が悪いのに、今回はもう、際限がない。どこまでするのか、と、から恐ろしくなるほど。それがわざとらしくならないのが上手い。受けの芝居になる西島秀俊も実はそうではない、ということがだんだんわかってきて、なんでもないようなやりとりにすらドキドキは高まる。さらには、終盤怒濤の展開で、むちゃくちゃする。作品全体のバランスを崩すも、まるで動じない。ありえないような作り方を敢えてするのだ。これは明らか確信犯だ。『悪魔のいけにえ』のテキサスの田舎町を、なんと東京のど真ん中の住宅地で展開する。
猟奇犯をこんなところに存在させ警察の目の届かないところでどんどん殺人を犯す。家族になり済まし、マインドコントロールして、自分では手を汚さない。そんなバカな、と思うようなことを平気でして、さらに、犯行を積み上げていける。ふたつの事件(ひとつは事件ですらなかったのに)を同時並行で描きながら、だんだんそのふたつが重なり合う。
そんな事件の主犯である「ふつうの異常者」を嬉々として演じた香川照之が凄いのはここまでにも書いたようにもう当然の話なのだが、実は彼に心奪われていく竹内結子演じる西島の妻の、なんで? という反応がもっと凄い。理解不能を理解させる。それは心のない男を演じる西島秀俊もそうなのだ。隣人以上に本来なら巻き込まれる被害者であるはずの西島、竹内演じる夫婦の方がへん、というとんでもなさ。
気味の悪さの限界を軽々超える究極の気味悪さ。(もう、それって日本語にすらなってない!)相変わらずロケーションの見事さにも舌を巻く。西島の勤める大学のピカピカのガラス張りの研究室もわざとらしい。『呪怨』でも出てきそうな、そんな古ぼけたなんでもない住宅を出すのも、わざとらしいけど、それを組み合わせで、見事にこの映画の世界を体現するものとして見せる。行き止まりの3件の家の配置の類似性。究極は家に中にあんな廃墟のような空間を作り、(そこもまた嘘くさい!)その処刑部屋の中でなら現実と隔離した作業が可能で、わざとらしい猟奇殺人がそこで行われる。
きりがない。どこまで細部まで目の行き届いた映画かは自分の目で確かめて貰うしかない。2時間10分の至福。こんな恐ろしい映画を見ることが出来てうれしい。B級ホラーとスレスレのドラマやビジュアルを提示しながら、最高の心理ホラーを成立させた。しかも、「R15+」ではない。過激な描写がないのに、とことん怖い。香川照之の表情を見ているだけで震えるって、どうよ、と思う。そんな映画なのだ。