阪本先生のオリジナル台本を、仰星演劇部が渾身の力を込めて見せきる。ウクライナで起きていることを自分たちの視点から考えるための試みだ。どうして戦争はなくならないのか、何が悪いのか。どうすればいいのか、阪本先生が提示したものを自分たちの問題として受け止め、答えを出す。プロパガンダではなく、真摯な問いかけだ。自分たちに何ができるのか。自分たちの問題として考えていくためには、自分の身に置き換えるのがまず一番だろう。
舞台下手のひまわり畑と倒れた椅子が象徴するものは、明らかにウクライナだろう。ここは戦場で、爆撃がこの学校にも襲い続けている。地下のシェルターに逃げ込んで暮らす高校生たち。自分たちはまるでモグラだ、と思う。日の目を見ることなく、日々を過ごす。この世界で、恐怖に震えながら、外部との連絡も取れず、ただただ爆撃がやむのを待ち続ける。そんな毎日が描かれる。実は彼らはもうすでに死んでいる。描かれているのは、もう今では過去のことで、これは生者と死者たちとの交感が描かれている。
唯一ここで生き残った男がやってきて、ここでの時間を思い出すというお話だ。だが、そこにはことさらなドラマチックな展開は皆無だ。彼らの見た、体験した事実のみが描かれる。彼らのサバイバルや、ここからの脱出が描かれるわけではない。刻々と迫る死期。それを待つ時間。そんな中での、彼らのやりとりが描かれていく。オーソドックスでシンプルな芝居だ。そこにある現実を受け止め、ただ必死に生きている姿を見せていくだけ。
そこにあるのは怒りではなく、諦めでもない。失われた日常への想いだ。平和であることの尊さ。そんな当たり前のことが、こんなにも愛おしい。この静かな劇に秘められた想いがしっかりと伝わってくる。だから客席からはすすり泣く声が聞こえる。共鳴した高校生の声だ。これはどこかで起きた(起きている)自分とは関係ない悲惨な出来事なんかじゃないという確かな想い。だから、知りたい。心と心が響きあうことで、何かが変わるかもしれないと思う。平和な日本にいて、平穏な毎日を過ごして、でも、そんな幸福は明日はもうない、かもしれない。ラストに流れるジョン・レノンの『イマジン』が素直に届く。