映画を見ながらずっと泣いていた。昨日見た東海大付属大阪仰星高の芝居に続いて、ここでもまた、同じようにこの世界の不条理を思う。今、香港で起きていること。最近ではもうほとんどTVで報道されないけど、今も香港はちゃんとある。あれからもなお悲惨な現実は続いている。当たり前の話だ。この映画は、その後の香港のレポートではない。3つの時代を振り返りながら、未来の香港に思いを馳せる。決して明るいものではないことは自明だ。「香港独立」の旗印が空しい。彼らの想いが当局に通じることはない。自分は中国人ではなく香港人なのだと語る。そこに込められた虚しさは底知れない。素直に中国人だと言えないのはなぜか。わかりきったことだから、何も言わないけど、そこには忸怩たる想いがある。
映画は1973年から始まる。(たまたま先日久々に『燃えよドラゴン』を見た。あれは今思うと73年に作られた映画だった。あの映画を通して、僕たちはブルース・リーだけではなく、香港と出会ったのだ。そこにはあの頃の香港の風景が当時のリアルタイムで差し挟まれている。)そこで描かれるのは、文革下の本土から逃れて、香港へと逃げてくる若い男女の姿。お互いを縄で繋いで、夜の海を泳いで渡る。命がけの逃亡。その青年は今もこの香港で生きている。老人になった彼は、今でも日課のように海に飛び込み、泳いでいる。それはあの日の想いを忘れることなく引き継いで香港で生きているという証だ。
映画が描く3つの時代、文革、六七暴動、天安門事件、そして雨傘運動。 異なる時代を生きた実在の3人を中心に据え、ドラマとドキュメンタリーを駆使して香港の過去、現在、未来を描く。再現ドラマとして描かれる劇パートでは、なんと演じる俳優(現在の香港で暮らす若者)とモデルになった人物自身の対話が挿入される。再現ドラマ以上にこの本来ならメイキングに使われる部分のほうが興味深いほどだ。(もちろん、劇パートも素晴らしいけど)
ここに登場するほとんどの人たちは今、獄中にある。中国政府に拘留されている。正しいことのために声を上げた人たちが言葉を封じられ、収監される。激動の時代を生きた人たちのドラマは過去のお話ではない。これは現在進行形の現実だ。この映画が訴える問題は、今回の香港の悲劇だけではなく、ずっと続く香港の戦いのドラマなのである。