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映画・演劇のレビュー

『マッドバウンド 哀しき友情』

2022-02-28 11:13:13 | 映画

2016年のネットフリックス映画だ。こういう大作映画をちゃんと買い付け、公開している。今ではどんどん自主制作しているけど、これは当時アカデミー賞受賞のため配信と同時に劇場公開もされ、4部門にノミネートされ話題になった作品らしい。

たまたま予告編を見て興味を持ち、見てみた。確かに凄い映画だ。この手の黒人差別を扱う映画は枚挙に暇はないし、膨大な数の作品が今もどんどん作られている。もちろん、それでも足りないのだろう。これからもまだまだ作られる。昔とはもう違う、と言いたいところだが、差別は変わらない。スピルバーグの『ウエスト・サイド・ストーリー』のような映画も生まれる。50年前の名作リメイクが懐古趣味ではなく、確かに今の映画としてよみがえるのだ。それはここに描かれる問題が過去のことなんかではない、ということだ。

映画は暗い。TVで見ると、そこに何が映っているのか、判明しないシーンが多々あるのだ。(お話も確かに暗いのだが)それはあくまでもこの映画が劇場公開を前提にして作られてあるからだ。もともと、これは劇場公開用の映画で、それをネットフリックスが高額で買い付けたため、全国一斉公開にはならなかった。地味な映画なので、大ヒットは望めない。それならネットフリックスに買ってもらった方がいい、という判断だったのだろう。なんだか、不思議な時代になったものだ。映画が映画館で上映されない時代がやってくる。というか、やってきた。まぁ、そんなことは作品自体の出来とはまるで関係ない話なのだが。

2時間15分の大作である。第2次世界大戦下のミシシッピーの綿花農場を舞台に、そこで生きるふたつの家族の物語が女性監督であるディー・リースの繊細で淡々としたタッチで綴られていく。白人と黒人。地主と小作。支配者と被支配者。だが、どちらの家族からも同じように戦争に行く。ヨーロッパの戦場で彼らが見たもの、体験したこと。それを引きずったまま、帰国する。そして、変わらないこの国の現実と向き合う。南部の黒人差別は戦争が終わっても変わることはない。この映画が描く差別が興味深いのは、金持ちと貧乏人という図式ではなく、地主である白人も貧しい生活をしているところにある。KKKの活動をする白人たちも実は貧しい。よくある紋切り型のドラマではない。

戦争から帰ってきたふたりの帰還兵の友情が映画の後半中心に据えられるからこの日本語サブタイトル(『哀しき友情』)になったのだろうが、彼らの交流を「友情」という安易なことばで表すのは少し単純すぎる。もっと複雑な想いがそこには横たわる。差別主義者の父親の埋葬(ここでは知らされないが、息子が彼を殺した)から映画は始まり、ラストでは再びそのシーンに戻ってきて、その死が殺人であったことが明確になるところまでの物語。(その後も少し描かれるし、少しほっとするエピソードもある)それをふたつの家族のさまざまな人々のナレーションで綴られていく。この土地の持ち主である家族。兄と弟。兄の妻、幼い子供たち。そして父親。ここで働く黒人家族。両親と息子、妹たち。その特定の誰かを主人公にしていない。この映画の主人公はこの荒れ果てた大地ではないか、とすら思わせる。

 


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