アフリカからの難民の女性が、言葉もわからない場所で、ふたりの幼い子供を抱えて生きていく姿を描く。そこがオーストラリアであっても(というか、そうなのだが)どこでも彼女には関係ない。見ず知らずのところで、差別と偏見を受けて、(それは、ただの無知ゆえかもしれないけど)最悪の仕事をする。でも、本当はそうではない。
これは悲惨を描く小説ではない。彼女は、すごく長い時間をかけて、なんとかこの環境に適合し、生きていく。言葉の壁は大きい。乗り越えることは簡単ではない。生活していれば言葉なんてどうにでもなる、というわけではない。この小説は「言葉」がテーマだ。真正面からその問題と取り組む。言葉を通してお話自身が展開する。お話のほうが後から付いてくる。それは生きていくうえで死活問題だ。
ふたりの女の話だ。アフリカからの難民のサリマと、同じようの言葉で苦しむ日本人女性「ハリネズミ」(作者の分身か)のエピソード(こちらは、手紙という形で提示される)が交互に描かれる。後半はふたりの話が、重なりを見せるけど、前半は別々の方向を向いている。それまでは、こんなにもそっぽをむいていたはずなのに、やがて重なりあうのは、意外だ。
生きるということはこういうことなのか、と思わされる。過酷という言葉で済ませることは出来ない。この小説の凄いところは、怒り(事実の告発)ではなく、諦めでもなく、生活として、彼女たちのドラマを淡々と見せる凄さ。生命力とかいうお決まりの言葉にはしたくない。人間であることって何なのか、考えさせられる。
ほっとさせられるラストが用意させているけど、これで彼女たちが安住の地を手に入れたとは思わない。彼女たちの戦いは、まだ始まったばかりだ。でも、ようやくここまでやってこられたことに感謝したい。もちろん僕が感謝しても意味はないことなんか重々分かっているけど、そんな気分にさせられるのだ。
これは悲惨を描く小説ではない。彼女は、すごく長い時間をかけて、なんとかこの環境に適合し、生きていく。言葉の壁は大きい。乗り越えることは簡単ではない。生活していれば言葉なんてどうにでもなる、というわけではない。この小説は「言葉」がテーマだ。真正面からその問題と取り組む。言葉を通してお話自身が展開する。お話のほうが後から付いてくる。それは生きていくうえで死活問題だ。
ふたりの女の話だ。アフリカからの難民のサリマと、同じようの言葉で苦しむ日本人女性「ハリネズミ」(作者の分身か)のエピソード(こちらは、手紙という形で提示される)が交互に描かれる。後半はふたりの話が、重なりを見せるけど、前半は別々の方向を向いている。それまでは、こんなにもそっぽをむいていたはずなのに、やがて重なりあうのは、意外だ。
生きるということはこういうことなのか、と思わされる。過酷という言葉で済ませることは出来ない。この小説の凄いところは、怒り(事実の告発)ではなく、諦めでもなく、生活として、彼女たちのドラマを淡々と見せる凄さ。生命力とかいうお決まりの言葉にはしたくない。人間であることって何なのか、考えさせられる。
ほっとさせられるラストが用意させているけど、これで彼女たちが安住の地を手に入れたとは思わない。彼女たちの戦いは、まだ始まったばかりだ。でも、ようやくここまでやってこられたことに感謝したい。もちろん僕が感謝しても意味はないことなんか重々分かっているけど、そんな気分にさせられるのだ。