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映画・演劇のレビュー

『僕らの青春白書』

2017-07-28 21:17:06 | 映画

 

このなんとも安易な日本版タイトルに騙されてはならない。この傑作映画をスルーするのは、あまりに残念だ。とか、言いながら、自分も今まで見てなかったのだから偉そうには言えない。実は一昨年の夏、ロードショー公開時にとても気になっていた。シネマートで貰ったモノクロのチラシに引っかかっていたのだ。モノクロというのはそういうデザインということではない。予算のためか、わざとカラー刷りしていないチラシがまかれていたのだ。あれはただの仮チラだったのかもしれない。後日正式のチラシがまかれたのかもしれないが、僕は手にしていない。(日本では劇場公開時からあまり期待されてなかったのだろうか。公開も一瞬で終わったようだし)

 

その時のデザインがDVDのパッケージと同じだ。そこには主人公の4人が写っている。でも、なんだか不機嫌そうな顔だ。普通なら笑顔の写真がパッケージになるところなのに。もちろん、それは映画の内容とシンクロしているのだが、それだってなんだか安易に思える。キラキラ青春映画ではない。

 

これは80年代の韓国の田舎町の農業高校が舞台となる青春映画だ。ケンカばかりしている高校生群像。よくあるパターン。ソウルからマドンナとなる女の子が転校してくる。主人公の軟派男は彼女にアタックする。だが、なかなか彼女は手厳しい。でも、そうなると、男は余計に燃える。幼なじみの女の子はそんな彼が好きで、腹が立つ。彼女はスケバン(うわぁ、もう死語だ!)で、隣の工業高校の番長と付き合っているけど、実は彼のことが忘れられない。

 

もう、このストーリーを聞いただけで、あまり見たいとは思えなくなりそうな映画だろう。『ビーバップハイスクール』じゃないんだし。だが、このベタなだけに見える青春映画が、思いがけない傑作なのだから、映画は見なくてはわからない。

 

「昔の青春」というノスタルジア。「昔の韓国」というもの。急激な経済成長を経て世界の一等国になったこの国のほんの30年ほど前。それをシビアに描くのではなく、甘くもなく、ただ、等身大に描いた。そこには、この国の未来が見える。かつて日本もそんなふうにして成長したことがある。僕が60年代の日活青春映画を飽きることなく見た時、感じた甘く切ない想い。改めてそんな昔がよみがえってきた。

 

この映画を説明するのは難しい。ほろ苦い懐かしさを、シビアに体感させてくれる。それが何なのか、上手く言えない。だけど、これは簡単なノスタルジアではない。90年代、台湾映画に嵌まったときの方がわかりやすかった。

 

この映画が描く世界は決して単純な世界ではない。屈折した想いや打算もある。まぁ、自分の想いがちゃんと伝わらないのはいつだって同じだ。長い時間をかけても伝わらないこともある。だが、この驚くほどのハッピーエンドの描こうとするモノは、純粋な想いが未来へとつながるという素直な気持ちだろう。アイゴー、アイゴーと叫ぶ韓国映画は最近ではもうない。だが、80年代の終わりから90年代に見た韓国映画の暗さにつながるものがこの明るい田舎町の物語にもある。

 

 

 


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