自然農にいのち宿りて
自然農でお米を育てれば
一反でだいだい七~八俵の収量です。
温暖地で晩成種の生育期間の長いものならば十俵。
気温の低く夏の期間の少ないところや
高い棚田等では五俵くらいの収量で、
特に多くも少なくもなく 普通に育ちます。
そこに 科学肥料や有機肥料を使えば
一反十俵になるかもしれない
収量が二~三割増えるかもしれない
・・ということは考えられますが、
その二~三割の収量を増やすのに投入している経費を差し引きすると
収量が増えた分だけ 経費として消えてゆきます。
専業農家としては 収入の増加にはつながりません。
人類の食糧問題を考えますと
お米のいのちに生かされる私たち
野菜のいのちに生かされる私たちですが
そのいのちの量は 今日私たちが目安にしている量とは
全く別のものです。
今日では量を重さや升目(大きさ)ではかりますが
そのいのちの量とは別のものです。
姿が大きければ いのちの量が多いのか
あるいは重ければ いのちの量が多いのかというと そうではありません。
いのちの量は ものの世界を超えたところにあります。
例えば
耕して化学肥料農薬を用いて実った一反十俵のお米で
十人の人を一年間養えるとするならば、
一方自然農で実ったお米は八俵で十人の人を養えることになります。
こうしたいのちの世界におけるいのちの量は
ものの重さや量ではなく、
一粒一粒に宿された生命力の違いです。
この自然界において 私たちに与えてくれる自ずからの量が最善の量です。
自然農にいのち宿りて 地の巻 p74より抜粋
「収量といのちの量」
自然農にいのち宿りて 川口由一 著
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