君は銀河の青い風  八木真由美 岡山

自然に沿って、自分につながって、
心地のよい光とともに。
竪琴ライア 自然農 ライトワーク ヒンメリ

  

右脳 左脳 全脳について④ 考えると感じるの違い

2024年03月13日 | 右脳 左脳 全脳
今日は『考える』と『感じる』の違いについて、書いてみたいと思います。😊

日常生活や慣れている仕事において、たいていのことは自動的にやれていますし、少し考えるだけで足りることが多いですね。それはそれで良しですが、考えても考えてもわからない時にはどうしましょうか・・・。

例えば、失くし物をした時、記憶をいくらたどってもわからないことがありますね。心当たりを懸命に探しても見つからず、顕在意識レベルではお手上げの時、みなさんはどうされますか。?

あきらめる、というのも一つの方法ですよね。
そのうち見つかる、ということもありますから・・。

わたしは、失くしものが見つからないと、ず~っと気になるので、見つけるまであきらめず、または心が落ち着くまではあきらめないでいます。ここ数年は、とくにその傾向にあります。

なぜなら、その体験を通してわかったことがいろいろあるからです。

探し物をする時の段階として、まずは時間を遡る方法がありますね。これは誰もが使うと思いますが、緻密に分析をして、あの時にこうして、それからこうしてなど、行動をふり返って見つけようとします。

それから、記憶はあてにせず目につくところをすべて探す、という方法もあります。少々疲れますが、見つかるとほっとしますね。

その二つを試しても見つからない時は、お決まりの方法があるわけではないのですが、私は『考える』ではなく『感じる』を優先します。

まずはものへの執着から離れて、右脳優位のスイッチを入れます。

そのスイッチは、どうしたら入るのでしょうか・・。

私の場合は、とりあえず、この状況から気持ち的に距離を置いて、頭を使って考えるのをすっかりやめます。手あたり次第動き回って探すのもやめます。すると、自分の周囲にやわらかな時空が漂い始めます。見つけたい気持ちはもちろんありますが、執着のない平和な気分になってゆきます。

さらにその感覚を継続しながら、自分の周囲に広がり(空間)が感じられはじめると、現象界に左右されずに存在している喜びが満ちてきます。これが右脳優位になるスイッチが入った状態です。一言でいえば、考えるのをやめる、力づくで解決しないのがコツと言えるでしょう。

◎◎しなければならない、どうあるべきか、◎◎するしかない、もう限界だ、というような考えで頭がいっぱいの時は、おそらく思考で解決しようとしていて、『どうしたい?』『どう在りたい?』『もっと別の方法を自由に選んでも良いとしたら?』など、質問を変えるだけで気分が変わりますね。私たちはもともと自由で無限の可能性にあふれている存在なのですから・・。

それでは、その状態の体験を書いてみます。若い頃の話です。

😊水筒をしまった場所がわからなくなった時。(40代の頃)
使わなくなっていた水筒をしまった場所がさっぱり思い出せなくなった日のこと。おそらくお台所近辺にしまっているはず、と頭で考えて探すも全然見つからず。そこで、あらゆるお部屋を隈なく探して、ぐったり疲れてしまう。実際には、こんな所にあるはずがないと見過ごしていたのですが、左脳さんがもう無理、って言うので一休み。ソファでお昼寝をすることにしました。

ぼんやり、うとうとしながら『探し物はお昼寝の中で見つけよう~』と、のんびりした気分になり軽く目をつぶり、『そうだ、寝ころんだまま家中をスキャンしてみよう』とふっと思うのでした。

目を閉じて、お家の隅々を思い描きながらスキャンしてゆきます。手が届かない高いところも、つぶさに見ることができます。しばらくスキャンしているうちに、ある場所にきた時に『あっ、ここにある』とわかりました。ソファーから起き上がり、その場所に行くと水筒がありました。

これは、日々生活をしている我が家という限られた空間ならではの方法だったと思いますが、視覚的に詳細をイメージで見るという能力を使えばラクに探せることに気づきました。ありありと五感で感じるのは右脳が得意とするところですから・・。

😊自転車が消えた(40代の頃)
子どもたちが小学生の頃、朝の交通旗当番の日。月に一度、自転車で交差点まで出かけるのですが、その朝、乗っていく直前に自転車が家の軒下から消えていて、びっくり。ちょっと慌てましたが、走って交差点まで行き、当番をすませて歩いて帰りました。

家族に伝えると盗難届を出したほうがいいよ、と言われましたが、なんだかなぁ、とぼんやりした気分です。家の軒下に置いていたのに、こんなことがあるのだなぁ、すごいなぁ~、なんて思っていたのです。

ぼんやりとした気分のまま、台所で水仕事をしながら、『自転車は乗ってもらって走るのが喜びだよねぇ・・、私は月に一度しか乗ってなかったから・・、もっと走りたかったよねぇ・・、ごめんね。乗りたい人が乗ってくれたのだから良かったね。』と、自転車の気持ちに思いをはせていました。

すると、自転車のある場所がパッとわかってしまったのです。見えてしまったという感じで、『◎◎駅の南口の駐輪場に居るよ』とのこと。

そこで、『これから自転車を迎えにいくので、◎◎駅まで車で連れて行ってほしい』と家族に頼みました。◎◎駅は少し遠いのですが、私はその自転車に乗って帰る心づもりまでしていたのです。

駅に着くと、ひらめいた場所にきちんと自転車は置かれていました。ハンドルを握って挨拶をすると、エネルギー的にもいつもの穏やかな感じです。帰り道は何事もなかったかのように軽やかに、なんとも爽やかな朝の出来事になりました。

この時も無意識に右脳優位になっていたのだろうと思います。ぼんやりとしながら(トランス状態で)思い巡らせていましたし、脳波はθ波に近づいていて、本来はすべてと一体であるゆえに、自転車や乗っていった誰かさんとも一体であり、情報を自然にキャッチしたのかなと思います。

現象にとらわれず、心はニュートラル、起きている出来事は中立であることを知っている状態ですね。

最近はほとんど失くし物をしなくなりましたが、次回も右脳優位になっ時の面白いエピソードをお届けいたしますね。いつか、変性意識状態についてのお話にも触れてみたいと思っています。

それでは、今日はこのあたりで・・。😊





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自然数の量化 (もみじ葉の岩に潜みし十牛図(レンマ学(直交補)))
2024-11-25 22:10:18
 ≪…『考える』ではなく『感じる』を優先…≫で、球体に接する(浮かぶ)立方体は、12本の≪…ヒンメリ…≫素材の3点接続でできる。
 これを、折り曲げの1本の連続で創り出し[球体]を≪…『感じる』…≫をこころみたい。

 この風景には、こんな記事を見つける。

 [ヒト]は、重力場で立方体を水平面と垂直面で分節すると、
 水平面  上面 下面       の 2面 
 垂直面  左面 右面 前面 後面 の 4面
である。
 立方体の角から、線分[√2]で水平面から垂直面へと交互になぞる経路を指定すと、
上左前を出発角する時
 上面⇒ 右面(後面)⇒下面⇒ 左面(前面)
上左後を出発角する時 
 上面⇒ 右面(前面)⇒下面⇒ 左面(後面)
下左前を出発角する時
 下面⇒ 右面(後面)⇒上面 ⇒左面(前面)
下左後を出発角する時
 下面⇒ 右面(前面)⇒上面 ⇒左面(後面)

上右前を出発角する時
 上面⇒ 左面(後面)⇒下面⇒ 左面(前面)
上右後を出発角する時 
 上面⇒ 右面(前面)⇒下面⇒ 左面(後面)
下右前を出発角する時
 下面⇒ 左面(後面)⇒上面 ⇒左面(前面)
下右後を出発角する時
 下面⇒ 右面(前面)⇒上面 ⇒左面(後面)
いずれも、水平面、垂直面とも対面を通過し、垂直面は、左右面か前後面が通過できない。

 線分(√2)は、[球体]の直径(2)に・・・
として[光のモビール]が≪…『感じる』…≫コトができるか?

 偶然とは何か:北欧神話で読む現代数学理論全6章
by イーヴァル エクランド (著), Ivar Ekeland (原名), 南條 郁子 (翻訳)
 の風景から、
【 「宇宙がもし丸い形だったなら、宇宙のなかにいても、(ものすごくながーい)ロープをつかってそのことを証明することができる」、ポアンカレ予想 】
の雰囲気が≪…『感じる』…≫コトを、≪…ヒンメリ…≫で創り出し夢想しタイ・・・

 [球体]を屈曲する4本の素材の≪…ヒンメリ…≫で、≪…ヒンメリ…≫で創れない[球体]を想う・・・
ヒフミヨは3次元で閉じ(計算でき)ていて4次元で閉じて(遊んで)いる。
 ( 「単連結な三次元閉多様体は三次元球面S3に同相である」 )

 ≪…ヒンメリ…≫に遭遇でき、感謝しています。
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