今日は、右脳と身体のつながりについて書いてみます。
😊眼鏡が消えた(50代)
もともとの視力は1.5、近くも遠くも良く見えていましたが、50代になる頃から近くが見えづらくなり眼鏡をするようになりました。
そんなある日。
眼鏡がない・・と気がつき、まずは心あたりを探して、それから記憶をたどりました。でもさっぱりわからないので気分を変えることに。
右脳優位に切り替えて身体に尋ねます。
とりあえず眼鏡のことは気にしないで、純粋に今を感じながら、『何がしてみたい?』と身体に尋ねました。
すると身体は『古代黒米の籾種をポケット入れて、田んぼに行ってパラパラと蒔きたい。』と言うではありませんか。ええっ!なぜに・・。
思考が『もう籾蒔きは終わっているのに、どうして?』とささやきます。でも、そのささやきはポイっと空間にゆだねて、身体の声に従うことにします。
エプロンのポケットに少しの籾を入れて、自然農の実習田に歩いて行き、田の入り口で再び身体に尋ねます。『この籾をどこに蒔きたいの?』。
すると身体が『あの辺りにパラっと蒔きたい』と遠くを指さします。
その声に従って初夏の田に入りました。草をかき分けてその場所に近づくと『ここです』と声が聞こえたので、手のひらからモミをパラパラと落として、その草の中を見つめると、なんとそこに眼鏡がふんわりと草に包まれていたのです。
眼鏡を落とした瞬間を、わたしの身体は知っていたのでしょうか・・。
直観的な右脳と身体はこれほどにまで繋がっているのか、と思いました。身体の声を聞くということは、右脳をひらくということでもありますね。
😊カメラのレンズのフタが消えた(60代)
ああっっ、やってしまった。
カメラ(Sonyα6400)を購入してワクワクしていた矢先、レンズのフタを落としてしまいました。この時は、田んぼで紛失したのだろうと予測がついたのです。
前述の眼鏡を落とした同じ田んぼでしたが、左脳さんが『探すのは無理』とつよく申しまして、右脳の出る幕はなく、潔く同じものを購入することにしました。
何しろレンズのフタはとても小さくて、田んぼは広く、ましてや自然農の田は一面の草原ですから・・・・。
しかし、それから数日後。
稲作教室の実習時、一輪車に農具をのせてみんなで運んでいる時のことです。いつも一輪車を置くのは畑の北側のスペースなのですが、その日に限って私は『中央の畔をどんどん行ってね、そうそう、どんどん行ってね。それからその畔を西に曲がってね、そうそう、もう少し先まで行ってね、ああ、そのあたりにとめてくださ~い。』と、絶好調の口ぶりで一輪車を押していた方にお願いしたのです。
なぜ、ここのなのかなぁ・・?
わたしの口が勝手にそう言ったのですから、わかりません。
でも、その理由はすぐにわかりました。
一輪車から農具や荷物を降ろそうと足元の田んぼに目をやったとき、小さな黒いものがポツンと・・、そうなんです、レンズのフタがすぐそばに落ちていたのです。
なんだか、可笑しいですよね。潔くあきらめたのに、こんな見つかり方をするのですから・・・。身体感覚ってすごいな、と思いました。無意識領域のなせる業ですね。
ワタシはある時期、探し物というテーマで右脳&身体感覚を鍛えていたのか、と思うほどですが、最近はそのテーマを卒業しています。😊 楽しかったなぁ。
それでは今日は💗このあたりで・・。
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