1971年
中日がことしのドラフト会議で第四位に指名。真っ先に入団が決まった早大の金子勝美内野手(22)=1㍍76、75㌔、右投げ右打ち=は一日午前十一時から名古屋市中区栄、中日ビル内の球団事務所で正式契約の手続きをすませたあと、午後二時三十分から小山球団社長、中川球団担当、父親兼松さん(61)=大工道具製造販売業=母とみさん(58)の両親らが同席して入団を発表した。
ーことしの六大学リーグ戦では振わなかったようだがー。
ちょっと精神的に迷いがあった。このため、出足がにぶりそれが尾を引いてしまった。
ー中日というチームをどう見ているか。
現代的なチームだと思う。つまり、盛り上がるときは滅法強いが、反面あきらめも早いもろさを持っている。でも谷沢、西田という先輩もおり、働きやすいと思う。
ープロ野球選手としてだれを目標にしたいか。
黒江選手のような機動力のある選手を目ざしたい。
ー性格がきつくプロ向きという評判だが・・・。
確かに性格はきついと思う。客がはいっている方がプレーしやすい。
ーポジションは内野手だが、どこを守りたいか。
どこでもいい。首脳陣がやれといわれるところを一生懸命やるだけだ。
ー中日球場をどう思ったか。
内野の土がとてもこまかく、すごくプレーしやすいと感じた。
条件が提示されると一発で入団をOKしたというだけあって、実にはきはきした好青年である。大学出身とはいえ、記者会見でこれだけ物おじせず、自分の意思を表現したケースもちょっと珍しいぐらいだ。「中日は現代的なチーム。あきらめも早いみたいだが、調子にのればすばらしい」とずばり、チーム分析をしたのは小山球団社長、中川球団担当もびっくり。金子選手は、大宮高時代、四十一年に選抜大会で甲子園出場、四十二年、埼玉国体で投手として優勝を飾ったあと、四十三年早大へ進学した。大学では一年秋にデビュー、二、三年は三塁を守り、三、五番を打った。四年秋のシーズンは外野に回った。四年間の通算成績は、74試合に出場、打数275、安打77、打点32、本塁打3本、通算打率2割8分をマーク。四十五年、三年春には4割3分4厘で首位打者とベストナインに輝いている。担当した田村スカウトの話だと、攻守走三拍子そろっており、しかも動きにキレがある。バッティングではシュアで中距離打者だという。特にすぐれているのは内外角どのコースでもこなせる点だ。また、通算29個の盗塁を記録しており、百㍍11秒6の俊足に加えベースランニングが特にうまいという。谷沢とは二年のとき、一年間一緒にプレー、よく先輩、後輩の仲。また西田も先輩なので「心強い」という。すでに前日、谷沢と会長、この日も西田の案内で中日球場、中日合宿所を訪れた。入団発表のあと、金子は田村スカウトに伴われ、中日スポーツに入団あいさつした。
小山球団社長の話 六大学で実績もあり有望なホープだ。球団としてはさらにプロ選手としての自覚と技術練磨でわれわれの期待に答えてほしい。
田村スカウトの話 むき出しのファイトが大学野球で受け入れられないきらいがあったが、われわれとしてはそれがプロ向きと判断するゆえんだ。特に中日はおとなしい選手が多いので、その意味でもチームにとってプラスになると思う。
父親兼吉さんの話 中日入団を家族一同喜んでいます。これからは私のむすこを中日にさし上げた気でいる。だから、本人が中日で一人前の選手になるまで野球一筋にがんばってほしい。