プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

乗替寿好

2018-03-27 21:28:33 | 日記
1968年

若狭高野球部の乗替寿好投手(18)は、二十日夜、西鉄ライオンズ球団との入団交渉で契約に調印、プロ野球入りが決定した。ドラフト会議で西鉄ライオンズは、乗替投手を二番目に指名。同球団の城島正人スカウトが、二十一日夜に来浜、父親の仙吉さん(51)おじの浦谷岩蔵さん(63)若狭高野球部監督の領家亮一氏(34)らと交渉を重ねて来たもの。乗替投手は左投げ、左打ち、身長百七十四㌢、体重七十二㌔。夏の甲子園大会に二度出場。福井国体高校野球で優勝した。すでにノンプロの三菱重工に就職が内定していたが、西鉄球団のリストアップで、まず乗替投手自身がプロ入りを希望。三菱重工と円満に話し合いをつけるため、城島スカウトには即答を避けたものの、父親の仙吉さんらが、京都まで出向いて三菱重工の了解を求めたうえ、契約条件を改めて話し合い、三日間の交渉で西鉄球団入りが実現した。契約金などの諸条件は、西鉄側が提示したものを、乗替選手側が全面的に受諾、同投手は二十日付けで、若狭高野球部に退部届けを提出した。城島スカウトは「期待している選手なので、学校の了解さえ得られれば、今月中にでも平和台球場での、秋季練習に参加してもらう」と話していた。

乗替投手の話 あこがれていたプロ野球にはいることが出来た。うれしさが胸いっぱいにこみ上げてくるようだ。この感激を忘れず稲尾投手や池永投手のような大先輩について、一生懸命に練習し、負けないようがんばりたい。
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浜納一志

2018-03-27 21:09:51 | 日記
1971年

広島の藤井、横溝両スカウトは十九日、ドラフト八位指名の鳥取西高・浜納一志内野手(18)(1㍍75、60㌔、右投げ右打ち)を鳥取県岩美郡岩美町の実家にたずね交渉、広島入りが決定。
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千藤三樹夫

2018-03-27 07:06:52 | 日記
1971年

東映・瓜生スカウトは七位指名の拓殖銀行・千藤三樹夫外野手を愛知県海部郡七宝町桂の実家にたずね、入団交渉を行なった。千藤側の代理人になっている早大・石井監督がこの日出席しなかったため、条件面の話し合いにまで進展しなかった。
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東田正義

2018-03-26 23:14:36 | 日記
1967年

西鉄・城島チーフ・スカウトは、二日午後三時、伊勢市一志町の旅館吸霞園で獲得交渉を進めている三重交通・東田正義外野手(21)=1㍍81、78㌔、右投右打=と会い契約金一千万円、年棒百八十万円(推定)の条件を提示、東田はこれを了承して入団が決まった。また電電東海・後藤清投手(20)=1㍍80、60㌔、右投右打=も入団が決定しており、それぞれ十九日、福岡市内天神二丁目の球団事務所で契約する。新人の入団が決まったのは大分商・河原投手を含めこれで三人となった。東田はことしの都市対抗で西濃運輸の補強選手として出場、熊谷組戦では本塁打一本を含む四打数四安打、3打点。十一月の産業対抗でもやはり日本通運の補強選手として出場、十七打数五安打、5打点、一本塁打で準優勝に貢献、優秀選手に選ばれた。西鉄は選択会議で二位に指名、すぐ深見スカウトが交渉にのり出し他。だが、深見スカウトが広島にコーチで招かれたため交渉は一時中断していた。東田は二日朝、勤務先の三重交通松阪営業所に退社届けを出す予定だったが、所長が不在のため三日に延ばされた。会談が終わったあと、城島スカウトは奈良県桜井市大福の自宅に末義さん(47)=運送業経営=と敏子さん(44)の両親をたずねて了承を求め、さらに三日、東田とともに本社(三重県津市)に円子監督をはじめ、関係者にあいさつする。
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藤沢哲也

2018-03-26 22:13:04 | 日記
1971年

中日・山崎スカウトは、ドラフト会議で一位に指名した鶴崎工・藤沢哲也投手(18)=1㍍82、72㌔、左投左打=を獲得するため大分入り、同市鶴崎葛木の鶴崎工をたずねて森永野球部長、内川監督に交渉を始める前のあいさつを行なった。正午すぎ、同校をおとずれた山崎スカウトは藤沢が野球部を退部していることを確認、これから交渉を始めることを伝えた。森永部長は「本人と学校の将来のために法大に進学をすすめている」とプロ入りに反対の立場をとっているが、交渉することについては同意した。山崎スカウトはこのあと藤沢家(同市鶴崎)で父親・直氏(48)=セメント瓦製造販売業=母親・寿子さん(45)と交渉する予定だったが、不在のため会えなかった。次回交渉は二十七日に行なわれるが、本人がプロ入りの意思表示をし、家族も賛成していることから中日入りは確実とみられる。
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金子勝美

2018-03-26 21:58:03 | 日記
1971年

中日がドラフト会議で四位に指名した早大・金子勝美内野手(22)=1㍍75、74㌔、右投右打、大宮高出=の入団が二十五日、決まった。中日・中川代表、田村スカウトは同日午後五時半すぎから大宮市吉敷町の自宅に金子をたずね、父親・兼吉さん(61)母親・とみさん(58)をまじえ、約一時間入団交渉を行ない、中日側は規定最高額の契約金一千万円、年棒百八十万円(ともに推定)を提示、金子側も快諾した。なお正式契約は来月四日、名古屋市中区栄町の球団事務所で行なわれる。この日の話し合いは二十一日の第一回交渉で事情説明などがすんでいたためスムーズに進み、あっさり入団が決まった。金子は高校二年の春、三年の夏と二度甲子園に出場。四十二年のドラフト会議ではロッテに指名されている。早大では二年春から三塁手としてレギュラー、三年春には打率四割三分四厘で首位打者になっている。今秋から外野手にコンバートされているが、中日では内野手として使う予定。

中川代表「ウチは内野手が手薄なのでレギュラーになるチャンスは多いと思う。即戦力になってもらいたい」

金子内野手「一日も早く中日の水になれ、お役に立ちたい。今秋は成績が満足のいくものではなかったが、初心にかえり、全力を尽くしたい。内野手としてとってもらったのはうれしい」
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上水流洋

2018-03-26 20:14:35 | 日記
1971年

近鉄に五位で指名された鹿児島商・上水流(かみずる)洋投手(18)=1㍍76、76㌔、右投右打=は二十六日午後、鹿児島市川上町下花棚の自宅で、父親・慶志氏(61)、母親・キミさん(51)とともに伊香スカウトに会い、近鉄入りを表明した。条件面の交渉は二十七日に行なわれる。電話でのあいさつはしていたが近鉄は初交渉。その席で上水流が「住友金属に就職が決まっているが、プロで自分をためしてみたい」ことを伊香スカウトに伝えた。野村野球部長、稲富監督も「がんばってみろ」とプロ入りを勧めており、二十七日に行なわれる条件面の交渉で近鉄入りが決定しそう。上水流は昨年、夏の甲子園大会の一回戦で江津工の三沢(新日鉄広畑ー中日)と投げ合い0-2で敗れ、今季は甲子園に出なかったが通算25勝5敗。本格派の投手で各球団からマークされていた。

上水流投手「プロで自分をためしてみたい。直球とカーブしか投げていないが、一試合平均十個の三振をとってきた。直球なら高校クラスでは自信を持っている」
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望月充

2018-03-26 00:11:50 | 日記
1971年

阪神がドラフト会議で三位に指名していた大昭和富士・望月充外野手(23)=1㍍79、73㌔、右投右打=の入団が三十日、決定的となった。小鶴、櫟両スカウトは入団交渉のため同日午後五時半、富士市松岡の同選手宅を訪れ、父親・弥作さん(36)=建築業=をまじえた席上、規定最高額の契約金一千万円、年棒百八十万円を提示した。望月側は「これからよく話し合って決めたい」と即答をさけたが、望月はすでに大昭和富士・斎藤野球部長にプロ入りの了解をとっており、来年一月六日に予定されている次回の話し合いで「阪神入り」を表明するもよう。

望月選手「規定の最高額という条件でした。これから両親や会社関係の人たちとよく話し合ってから決めたいと思います。斎藤部長には一応、了解はとってあるし、ぼく自身、阪神はきらいなチームではない」
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山本雅夫

2018-03-25 22:30:31 | 日記
1971年

南海・山下スカウトは二十六日午後六時半、ドラフト会議第六位指名の育英高・山本雅夫外野手(18)=1㍍78、75㌔、右投右打=を神戸市灘区高徳町の実家へたずね、父親・賢一氏(58)=塩干乾物商=、母親・清子さん(45)と二時間にわたり入団交渉を行なった。同スカウトは指名したいきさつ、チームの事情などを説明したあと契約金六百万円、年棒百二十万円(いずれも推定)を提示。賢一氏は「本人の意思を尊重してもう一度相談してみます」と即答をさけたが、次回の話し合い(二十九日)でまとまりそうだ。
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道原博幸・山形和幸

2018-03-25 22:24:34 | 日記
1971年

広島が一位で指名、すでに広島入りを内諾している芝工大・道原博幸捕手(21)=1㍍78、75㌔、右投右打=は二十八日正式契約する予定だったが都合で後日に延期された。木下スカウトは二十八日午後、柳井市伊保庄の実家に父親信一郎氏をたずね正式契約のための細部の話し合いを行なったが、相談役である桜ケ丘高・国行監督が急用で同席できなかったため延期された。二十五日の話し合いで規定の最高額(契約金一千万円、年棒百八十万円)の条件を提示、内諾をえている。木下スカウトはこのあと六位指名の桜ケ丘高・山形和幸捕手(18)=1㍍75、72㌔、右投右打=を下松市汐見町の自宅にたずね、父親・百合雄氏(50)=日本石油勤務=と二度目の交渉を行なった。この日、条件(契約金五百万円、年棒百二十万円=推定)を提示したが、山形側は即答を避けた。この条件をもとに、もう一度家族会議を開き、意思表示をするが入団は間違いない。
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野崎恒男

2018-03-25 21:57:31 | 日記
1971年

南海がドラフト会議で第一位に指名した富士重工・野崎恒男投手(24)=1㍍76、75㌔、右投右打、立正大出=の南海入りが二十二日決まった。同日午後五時半から和歌山市和歌ノ浦のホテル万波で近藤常務、堀井スカウトと実兄・吉三氏(33)が話し合い、契約金1千万円、年棒百八十万円の規定最高の条件でまとまった。契約、入団発表は年内に行なわれる。本人不在の交渉だったが延々四時間もかかり、やっと了解を得るまでにこぎつけた。担当した堀井スカウトは「肩の荷がおりました」とホッとした表情だった。ドラフト会議で第一位に指名された野崎は早くから「プロで自分をためしてみたい」と南海入りを表明、交渉はスムーズに運ぶものと思われていた。ところが富士重工側が昨年東映に皆川を指名され、強引に獲得されたいいきさつから感情的になっており、また「戦力的に手放せない」と強く反対、交渉は難航した。そのため野崎獲得はまず富士重工側との交渉が優先され、堀井スカウトは群馬県太田市の富士重工に再三足を運び、十四日の四度目の交渉でやっと会社の承諾を得た。野崎は二十日に富士重工を円満退社している。野崎家との交渉に移った南海は十七日に実兄、吉三氏らと話し合い最高条件を提示、基本的は了解点に達していた。この日は税金面の説明など細部的な話し合いに終始したが、野崎側はすべてこの面で納得した。入団発表は、上京中の野崎が二十四日ごろ和歌山市福町の実家に帰るのでそのあとになる。野崎はシュート、カーブを武器にする技巧派投手で、安定したピッチングが高く評価されている。「昨年東映に入団した皆川より力がある」(堀井スカウト)そうで、投手力の弱い南海では即戦力として大いに期待している。

近藤常務「野崎君との話し合いは会社の関係などから約一か月もかかったが、きょう内諾を得ました。本人が二十四日ごろに帰るので、年内に入団発表したい。一位の選手に決まりホッとしました」
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奥田和男

2018-03-25 21:34:10 | 日記
1971年

中日・山崎スカウトは午後三時、三重県一志郡一志町にドラフト二位に指名した電電東海・奥田和男投手の実家をたずね、母親・照子さんに入団交渉を行なうあいさつをした。
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渡辺守

2018-03-25 21:12:33 | 日記
1971年

阪急は二十日午後三時から大阪・北区高垣町の球団事務所で、ドラフト会議で第六位に指名した千葉鉄道局・渡辺守投手(22)=1㍍76、76㌔、右投右打、千葉・大原高出=の入団を発表した。これに先立って契約金五百万円、年棒百二十万円(推定)で契約書にサインした。背番号は未定。同投手は、三塁手として千葉鉄道局に入社したが、ことしから投手に転向、昨年は都市対抗千葉予選で敢闘賞を受けるなど、ストレート中心の右の本格派。なお発表には父親・清さん(61)と板倉千葉鉄道野球部長(36)が同席した。

渡辺投手「前からプロでやってみたいと思っていた。阪急の試合はテレビで見た程度だが、一日も早く一軍に出られるようになりたい」
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竹内和憲

2018-03-25 20:45:35 | 日記
1978年

昭34.5.3 大阪市平野区 右投右打 187㌢、74㌔
東住吉工高ー南海(53年) 合宿 180万

ドラフト6位指名。契約金400万円で入団。大阪の高校球界では将来性を注目されていた。なるほどストレート主体の球威は素晴らしいが、いかんせん球質が軽いのが欠点。
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植村秀明

2018-03-25 20:38:50 | 日記
1967年

広島は四日午後一時半、市内基町の球団事務所会議室でドラフト会議で二位に指名した奈良郡山高・植村秀明投手(18)=1㍍88、85㌔、右投右打=の入団を発表した。登島球団監査役(東洋工業専務)根本コーチ、木庭スカウト、植村投手の両親が立ち会った。背番号は未定。

木庭スカウトが交渉に当たっていたが、三度目の話し合いで入団が決まった。広島が二番目に指名したのは体力に恵まれていることだ。1㍍88、85㌔はずば抜けている。広島の中では藤井(1㍍83、83㌔)をはるかにしのぐもので、プロ球界でも最高に属する。木庭スカウトは「これまで金田は例外として、こんなにからだの大きい人で大成した選手は少ない。だが彼ならきっとそのカラを破ってくれる」と期待している。同投手は高校一年の秋からエースとして活躍。上手から投げおろす速球、シュートは高校生ばなれしている。先に東京に入団が決定した福山電波の村田と同じようなタイプだ。力でぐいぐいと押していく。四十一年夏の甲子園大会に出場、二回戦で惜敗したが、そのころからスカウトの評判にあがっていた。昨年春の公式戦、高田商には七回コールドではあったが、完全試合をやっている。ことしの成績は二十五試合に出場して23勝2敗、奪三振一試合平均12、最高は15、防御率1.00。また母親の秀子さんは女学校時代(粉河高女)近畿大会の三段とび、幅とびに優勝している。

植村投手「プロ野球はほとんどみていないのでわからないが、一日もはやく戦力になるようがんばる。小細工しないで真っ向から勝負できる本格派の投手になりたい。目標にするのは巨人の金田さん」
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