1968年
若狭高野球部の乗替寿好投手(18)は、二十日夜、西鉄ライオンズ球団との入団交渉で契約に調印、プロ野球入りが決定した。ドラフト会議で西鉄ライオンズは、乗替投手を二番目に指名。同球団の城島正人スカウトが、二十一日夜に来浜、父親の仙吉さん(51)おじの浦谷岩蔵さん(63)若狭高野球部監督の領家亮一氏(34)らと交渉を重ねて来たもの。乗替投手は左投げ、左打ち、身長百七十四㌢、体重七十二㌔。夏の甲子園大会に二度出場。福井国体高校野球で優勝した。すでにノンプロの三菱重工に就職が内定していたが、西鉄球団のリストアップで、まず乗替投手自身がプロ入りを希望。三菱重工と円満に話し合いをつけるため、城島スカウトには即答を避けたものの、父親の仙吉さんらが、京都まで出向いて三菱重工の了解を求めたうえ、契約条件を改めて話し合い、三日間の交渉で西鉄球団入りが実現した。契約金などの諸条件は、西鉄側が提示したものを、乗替選手側が全面的に受諾、同投手は二十日付けで、若狭高野球部に退部届けを提出した。城島スカウトは「期待している選手なので、学校の了解さえ得られれば、今月中にでも平和台球場での、秋季練習に参加してもらう」と話していた。
乗替投手の話 あこがれていたプロ野球にはいることが出来た。うれしさが胸いっぱいにこみ上げてくるようだ。この感激を忘れず稲尾投手や池永投手のような大先輩について、一生懸命に練習し、負けないようがんばりたい。
若狭高野球部の乗替寿好投手(18)は、二十日夜、西鉄ライオンズ球団との入団交渉で契約に調印、プロ野球入りが決定した。ドラフト会議で西鉄ライオンズは、乗替投手を二番目に指名。同球団の城島正人スカウトが、二十一日夜に来浜、父親の仙吉さん(51)おじの浦谷岩蔵さん(63)若狭高野球部監督の領家亮一氏(34)らと交渉を重ねて来たもの。乗替投手は左投げ、左打ち、身長百七十四㌢、体重七十二㌔。夏の甲子園大会に二度出場。福井国体高校野球で優勝した。すでにノンプロの三菱重工に就職が内定していたが、西鉄球団のリストアップで、まず乗替投手自身がプロ入りを希望。三菱重工と円満に話し合いをつけるため、城島スカウトには即答を避けたものの、父親の仙吉さんらが、京都まで出向いて三菱重工の了解を求めたうえ、契約条件を改めて話し合い、三日間の交渉で西鉄球団入りが実現した。契約金などの諸条件は、西鉄側が提示したものを、乗替選手側が全面的に受諾、同投手は二十日付けで、若狭高野球部に退部届けを提出した。城島スカウトは「期待している選手なので、学校の了解さえ得られれば、今月中にでも平和台球場での、秋季練習に参加してもらう」と話していた。
乗替投手の話 あこがれていたプロ野球にはいることが出来た。うれしさが胸いっぱいにこみ上げてくるようだ。この感激を忘れず稲尾投手や池永投手のような大先輩について、一生懸命に練習し、負けないようがんばりたい。