わかれ際の 「犬はお好きですか?」
「えぇ、好きです。むかし飼ったことがあります」
たったこれだけの簡単なやりとり。
夫と、仕事がらみで知り合ったI氏の会話である。
話しはこれだけで終わらなかった。
翌1988年1月31日、陽気なチャイムが鳴った。
おもてに大柄で柔和な紳士が立っている。
「犬を連れてきました」
何も聞いてない。突然のことで、家族はあっけにとられている。
それらしき荷物もなく玄関に入ってきた。
やがて上着のポケットにさわり視線を集めると、まるで手品師のようなあざやかさで、取り出したのはオモチャのような子いぬ。
片方の手のひらにちょこんと載せてみせた。
わあ、かわいい! ぬれたようなつぶらな瞳がじっと見つめる。
くんくん鼻を鳴らしてる。ちっちゃいのがうごいてる!
何かまさぐるようなしぐさ。いとしさに釘付けになる。
犬は好かないと言ってた母まで夢中になった。
「ほら、こんなに延びるんですよ。」と首周りをつまんでみせる。
皮膚はずるずると自在にうごいた。狭いところに潜りやすいためだ。ご先祖はネズミを捕っていたらしい。
世話をする暇もないし。高額なペット犬のことも耳にしていた。
お金を出してまで飼う気持ちもないな… しかし、
それを言えるだろうか。
家族は顔を見合わせ、目の前のやんちゃな瞳と心の中で格闘していた。
すると「良かったら差しあげます、世話していただけますか?」
「もちろんです。よろしいんですか」
またまた、唐突なご厚意をお受けしたのである。
Iさんにはいつもびっくりさせられる。
いきなり庭箱を贈られ、カナリアを飼うことになってしまった、昔のことも思い出す。
トイマンテェスター・テリア
(ブラック&タン。短毛。成犬でも3.5キロ)
なまえはホクセン・リバーズ・ブロンコ・ダン
こうして新しい家族は、みんなを虜にした。
あまりに長い名前、愛称Rugbyに決める。
思いがけない小さな贈り物は、家族をしあわせにし、一つにまとめる大きな力をもっていた。