ドアの向こう

日々のメモ書き 

極楽

2007-06-25 | アートな時間

 

   雨障り、 雨つつみして…  なんと奥ゆかしくて いい言葉だろう。 
   去年、万葉の友に教えてもらった。 

  雨障アマツツみ常せす君は久かたの昨夜キゾの夜の雨に懲りにけむかも      大伴女郎   巻四・519                          
  久かたの雨も降らぬか雨つつみ君に副タグひてこの日暮らさむ                四・520

  降り籠められる日々、 せめて、 やわらかに発想したい。

               -☆-

  ようやく 大回顧展 モネ 印象派の巨匠、 その遺産 へ。 

 モネというだけで、 これまでよく見てこなかった、 知ったつもりでサラッとみるだけ。 モネがそこに在れば、 ただ、モネの絵ね、 好き、いいね、 とか。 その世界に浸るだけ、 雰囲気に満足して、 うわべしか見えないし分からなかった。 こちらに用意がなく、 伝わらなかったのである。

 今回は どうだろう。 
 まるで、 モネの隣りにいて、 制作するその手元を、 穴のあくほど見詰める、 どん欲な自分が居た。  筆の勢い、 置いてゆく色のハーモニー、 タッチはスタッカートで、 あるいはレガートでリフレインする。 交響曲が鳴り響く。  微妙な階調もちいさな音色だがよく聴こえる。  臨場感をもって情感もたっぷりに味わえる、 そんな気がする。  この線の…  強さ、 はかなさ…  はにかむようなピンク…      薔薇色とブルーのあはひ…  それらを確かめて、 共感していた。

  かつて、 これほどこまやかに鑑賞したことがあるだろうか。 きっと、 久々のスケッチのせいだ。  水面を追ったばかりで、こころも高揚しているのだ。 イメージもはっきりと、 まだ掌の中にある。 
 「睡蓮」 のまえで、 しぜんに腕が動いた。 画家のそばで 息をあわせ筆をとるように、 ゑのぐを弾く、 なぞる。  臆面もなく 夢をみていた。
  ほんの少し 巨匠の気持ちも分かったようだった。

 ギリシャ神話から、 パリのシャンゼリゼ通りは、日本風に言うと 「極楽浄土通り」または「極楽通り」(Wikipedia) なのだそうだ。

 アルカディアの続きに戻れば
 オランジュリー美術館の「睡蓮」の大画面をみて 
  「パリの極楽浄土」 は モネの「睡蓮」 の世界にこそ存在するのだ といおう。(芳賀 徹) とある。

  まさに、 これほど多くのひとが 睡蓮の絵のまえに佇み、 浄福をうけているとさえ思われた。
  仕合わせである。    (上の画像は カタログから)

               -☆-

     

  国立新美術館  どこを撮っても面白い   
           

 

 ここから 10分程歩くと ル・コルビュジエ に会える   

コメント (4)
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