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ドアの向こう

日々のメモ書き 

妻籠アルバム

2007-06-07 | 道すがら

  門ごとに飾る季節の花が涼しげ。
  みずみずしい芍薬、アザミだけを甕いっぱい溢れるほど活けている。 うきうきと楽しんだ。  

  

 約800Mある妻籠の通り

 両側にびっしりと木造建築が並んでいる。  竪繁タテシゲ格子に、 出し梁造り、防犯用の人見格子など眼を奪う、

 細部まで江戸時代そのまま。 

 

 妻籠宿は1601(慶長6年)、江戸から42番目の宿場として定められた。 今でも景観を守る。 

 アンテナは見えないところに。 防火用水も、公衆トイレも、 色を統一し辺りにとけ込んでいる。
   

 

  「熊笹あります」の張り紙。  

  五平餅、 クルミと味噌の味が良く合う。 栗のソフトクリーム

栗こわめし、 とてもおいしい。

 

 耕地も少なく 生活は森林に 頼った。 木地師が多い
 
檜木笠、めんぱ(弁当箱、 割籠)、お六櫛、下駄を売る。 
 工芸品を扱う店が軒を連ねて。
  
  変化に富んだ木曽路を歩いた。 文豪・島崎藤村が生まれ、
少年時代を過ごした場所。
 街道筋をいくだけでも、 心に響く。 思い出は充分できた。

 かならず、もう一度来よう。 


  あとから思う。
    
 黒船来航から長州征伐、 王政復古へと続く幕末の激動は、 山深い木曽路の宿場にも確実に及んでくる。 平田派の国学を信奉し、 政治運動への参加を願うが、 木曽11宿の総代として街道の仕事は多忙を極め、思いは果たせなかった
  
  彼は五十余年の生涯をかけても、何一つ本当につかむこともできないそのおのれの愚かさ拙なさを思って、明るい月の前にしばらくしょんぼりと立ち尽くした  

 そして、 舞台大詰め、 乱心する半蔵は大まじめに蕗の葉をかぶって、 万福寺の障子に火をつけたのである。  
   彼の無念。 まわりの者の葛藤、 苦しみ。  若い日の記憶はまだ新しい。
                                              

引用  島崎藤村  「夜明け前」 「嵐」 「海へ」より
コメント (4)
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