木曾路はすべて山の中である。 あるところは岨ソバづたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の…
島崎藤村 「夜明け前」 の、こんな書き出しが思い出された。
(写真:水車塚 水にうもれたる蜂谷の家族四人の記念に 島崎藤村しるす)
長編すべてを読んではいない。
馬籠宿の本陣、庄屋、問屋を兼ねる第17代当主 青山半蔵は、 劇団民藝の俳優、 滝沢修になって、 声も姿もはっきりと脳裏にある。
彼は父の吉左衛門に似て背セイも高く、青々とした月代サカヤキも男らしく目につく若者である…
風貌もぴったりで、 熱演だった。
名優は厳しい鍛錬のすえ主人公を演じきった。 完璧な舞台にかける情熱は、 半蔵の志に重なるところもあるように思われた。
若き日、 観劇は快い緊張感をともなって、 原作や俳優、装置、音楽、照明、演出。 どれも魅了し、 暗転の虜になっていった。
小さな旅へ。 移りゆく風景が心をほぐす。 石をのせた板屋根、 栗の多い林(渋皮のむけし女は見えねども栗のこはめし爰ココの名物 十辺舎一九)
… 舞台がもう目の前にある。
-☆-
6月2日、 誘われてウォーキングに参加。 資料館も記念館も表から見るだけ、 ところどころガイドの解説はあったが拝観もしない。 ただひたすら歩く旅。 なにしろ片道4時間半もかかるのだから。 バスに揺られて馬籠マゴメに着く、 そこから徒歩ホで妻籠ツマゴまで、 歴史の道をゆく。 行程8㎞余り、 所要2時間30分。 妻籠にて自由行動約1時間、 渋滞を避け直ちに乗車、 とって返す強行軍だ。
-☆-
急な上り坂をいくつか超えると、 馬籠峠に出た。 青山半蔵が仰いだ恵那山は頂を雲に隠している。 吹きわたる風が、 汗を冷気に変えてくれた。 遙かな山並み、 眼下の棚田、 森、 パノラマが藤村の語る風景そのままに広がっている。 あそこに深い谷がある、 あそこに遠い高原がある…
「お民、来てごらん。 きょうは恵那山がよく見えますよ。 妻籠の方はどうかねえ、木曾川の音が聞こえるかねえ。」
「えゝ、 日によってよく聞こえます。 わたしどもの家は河のすぐそばでもありませんけれど。」
「妻籠じゃそうだろうねえ。ここでは河の音は聞こえない。そのかわり、恵那山の方で鳴る風の音が手に取るように聞こえますよ。」
「それでも、まあよいながめですこと。」
「そりゃ馬籠はこんな峠の上ですから、 隣の国まで見えます。 どうかするとお天気のよい日には、遠い伊吹山まで見えることがありますよ――」
林も深く谷も深い方に住み慣れたお民は、 この馬籠に来て、西の方に明るく開けた空を見た。 何もかもお民にはめずらしかった。 わずかに二里を隔てた妻籠と馬籠とでも、 言葉の訛りからしていくらか違っていた。この村へ来て味わうことのできる紅い「ずいき」の漬物なぞも、 妻籠の本陣では造らないものであった。
美濃の平野が遠く見渡される。 天気のいい日には近江の伊吹山までかすかに見える… 妻籠から嫁いできた妻、お民。
宿場らしい高札場コウサツバは、 広報を掲示したところ。
遠くの斜面にミズキが雪崩るように咲いている、 白い花の階段があちこちに見られた。 ヤマボウシは乱舞する蝶のようだし、 花びらの真ん中に緑の粒がかわいらしく固まっている。 これが花だよ、 ようやく分かった。
叢に入るとマムシ草が首をもたげ、 こちらを窺う。 今にも動き出す風情で不気味だ。 街道沿いに、 レンゲ、赤詰草 ・ 白詰草、 キバナコスモス、キンポウゲ。 朴が大輪の花をつけ、 つよい芳香であっと言わせる。 ほら、あそこ! 指差して知らせる。 エゴノキのシャンデリアもニセアカシア(針槐ハリエンジュ)もまっ盛りだ。
つづく