ドアの向こう

日々のメモ書き 

余韻

2009-03-24 | こころ模様

  花に追われる日々です。
  描かないうちに萎れたり、 撮さないうちに崩れたり 気づかぬうちに散り初めている。 眼、鼻 手 耳も、 あらゆるところにアンテナつけて、 薫りや色の、わずかな気配に立ちどまる。 気温10度  寒さが戻ったけれど、 ご近所は花盛りだ。 レンギョウ ボケの花は白、朱、薄桃いろ。 白木蓮、紫木蓮、 椿、 辛夷、 桜・・・

               -☆-

  丸顔に愁少し、颯と映る襟地の中から薄鶯の蘭の花が、 幽なる香を肌に吐いて、着けたる人の胸の上にこぼれかかる。 糸子はこんな女である。 (漱石 虞美人草)

       

  生き生きとした描写… 名文を読むとこころが躍る。 くり返し読んで嬉しくなる。イメージがくっきり浮かんだ。 ああ… 何故いままで、 心深く読んでこなかったかと悔やんだり、 自分が育った分だけ、 饒舌すぎる比喩も小気味よく響く。 味わい尽くしてしまおうと幸せになる。

  読後の散歩も、 余情、余韻を引きずって愉しいものだ。 小説のつづきのような気がしてくる。 雪柳が ふわふわに積もっていた。 
  またの名を 「小米花」とは、 じつに上手い。 ほかにも 「小米桜」とか。
  
  小米桜の後ろは建仁寺の垣根で、垣根の向うで琴の音がするんです 
     
 藤尾と糸子… 小野の丁丁発止、 戦争のような会話も、 春雨と共に崩れてしまったのだが。 琴の音に誘われて 垣間見る女の姿…  

    それらが 絵をみるように描写されて。 

  以前 読んだ本から集めたことばがある。 そのなかの(原文のママではないが)
 
  文章を一本の線としてとらへるのをやめ、 一つの平面だと考へることである。
一本の糸ないし紐ではない。 一枚の織物としての文章… 
      フランスにいう テクスト文章をテクスチュール織物になぞらえる… (丸谷才一)
 
  
  を思い出して、 やっぱりねえ と感嘆する。

                   -☆-

  糸は縦も横も鮮やかな色で主張するが、 重なり、交差して 光沢のある別の布がうまれ、 よい文章として織りあがる。

  さらに ノートには 
 
    心のままに 詞の匂いゆく    

  どこかで拾ったすてきなことば… 
       その余韻は 仄かな香りで、いつまでも漂ってくる。

 

 

コメント (2)
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