ドアの向こう

日々のメモ書き 

彼岸の頃

2009-03-10 | こころ模様

 お彼岸が近づくと思い出すことがある。
 2003年春、京都へいき女友だち三人で好きなところだけまわった。初日は哲学の道から疎水を巡って法然院に向かう。とりどりの椿と、大きくて真っ白な大島桜が満開だった。

 境内を散策し、お喋りが尽きたころ、ふと道をはずれた。そこで全く偶然に、谷崎潤一郎の墓を発見したのだった。大小ふたつの丸みがかった自然石にそれぞれ「寂」「空」と彫ってある。低い仕切りだけで囲いもなく、鬱蒼とする森を背景に静まりかえっていた。
 墓碑があるだけの場所に、落ち葉が舞った。木の間からチロチロと陽が射しこんでいた。 お気に入りの落ち着いた陰翳のなかで、文豪は奥様といっしょに眠っている。 私たちは、しばらく佇んで手を合わせた。


 隣りは、立派な、よく見るような高い墓石に「福田平八郎」と読めた。太字の書体。情緒ある日本画を思い出した。

 ポツリ、ポツリとやって来た雨が、瓦を浸みのように染めてゆく… 点々と黒く滲んでいく雨の色と、灼熱にビンビンと乾いた瓦の、明るいコントラストが美しかった。 その絵を見ていると、だんだん激しくなる雨音まで聞こえ、瓦が濡れ尽くしてしまうまで続くのだった。

 偉大な芸術家が隣り同士で、語らうようすだ。ここには二其しかなく、ほかにはみえなかった、気づかないだけか。 いま、ガイドブックによれば多くの文人が眠っているらしい。
 
 寺を出ると、もと来た道の谷崎桜をみながら帰った。小振りな淡い繊細な花だったように思う が、作家とは関係があるのだろうか。 字はおなじでも「たんざきざくら」と呼ぶらしいから。 遠い記憶… 見落としもあるだろう。
コメント (2)
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