ドアの向こう

日々のメモ書き 

蟻になる

2007-03-28 | 道すがら

 

 「熊野へ参らむと思へども 徒歩カチより参れば道遠し すぐれて山きびし 馬にて参れば苦行ならず 空より参らむ 羽たべ若王子」    梁塵秘抄   

  明けばまた越ゆべき山の峰なれや空ゆく月のすゑの白雲   藤原家隆  

 現代は新幹線をバスに乗り継ぎ、 雨上がりの滝尻王子から近露王子まで。 中辺路ナカヘジを歩く。 これから神の世界へと。 木の根が露出し、 杉や檜が生い茂る。 鎌倉時代に移植されたもの。 これらの植物を取り払って想像してみよう。 多くの人が住んでいたことが分かる。

 奈良・平安へタイムスリップ。 檜、榎、ブナや公孫樹、紅葉など広葉樹が繁っていた。 竹林を探せば屋敷跡、竹は柱や竿、水道管などになり、筍が食をうるおす。 こうして、当時の文化や歴史に思いを馳せる。 宿場の面影、 旅籠跡、 賑わい。 古代から中世にかけて熊野三山(熊野本宮・速玉・那智)めがけ、 白装束で歩く人のむれは蟻の如く 1500mもつづく。 

  一里塚には松を植え目印とす。  そこには茶店があったらしい。 大きな穴のあと、カメや壺、 トイレが想像できるはず。 ぼんやり歩かず、 思いを広げる。  万葉講座でいわれる言葉。 万葉歌は 漫然と読まない、 辺りの景色や、花々を 当時のものに重ねてみよう、 鑑賞も深まる。
 きょうの語り部は「残されたもの、跡から、心に復元してみる。 ひとり楽しむ」 と。

        

青岸渡寺 創建 313~399仁徳天皇の時代。
 大門坂から石畳敷の石段は267段、約600m。 息が上がって数えられない。熊野古道の中で、最も当時の面影を美しくとどめている。日本の道百選にえらばれた。 

 さらに参道入り口から急な石段を500段登ってようやく熊野那智大社、 青岸渡寺へたどり着く。

 
    飛瀧権現 ヒロウゴンゲン  (那智の滝)               

 

 

 

 

 

 

 

 

補陀洛や岸うつ波は三熊野の那智のお山にひびく滝津瀬      ご詠歌  

 (補陀洛とは古代サンスクリット語の観音浄土を意味する「ポータラカ」の音訳である。仁徳天皇の治世にインドから熊野の海岸に漂着した裸形上人によって開山されたと伝える古刹 補陀洛山寺フダラクサンジ


 咲きにほふ 花のけしきを みるからに 神のこころぞ そらにしらるゝ  白河上皇
 見るまゝに山風あらくしぐるめり都もいまや夜寒ヨサムなるらむ      後鳥羽上皇

  熊野御幸は 往復およそ1ヶ月かかって 何百人もの従者を連れて行われた
  後鳥羽上皇はおよそ10ヶ月に1度のペースで 計29回
  
後白河上皇は35年の在院期間中33回  

 熊野の詳しいサイトはこちらから 

 ところで 王子とは 熊野三山の御子神を祀る祠。中世に最も盛んで、熊野九十九王子と称された。滝尻王子など上皇や法皇の参詣の際歌会が行われた。向かいの古道館で 藤原定家筆 後鳥羽院熊野御幸記 や 歌を記した熊野懐紙 等見学できる。 それぞれ拡大して御覧ください。

   3/27 新大阪 白浜 三段壁    三段壁洞窟 ・ 千畳敷 ・ 円月島
    28 熊野古道館 ・ 滝尻王子  牛馬童子 近露王子 道の駅熊野古道 中辺路 熊野本宮大社 速玉大社 勝浦
    29 熊野古道 大門坂 熊野那智大社青岸渡寺那智の滝 名古屋 

 

 

                      

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