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「―青磁を極める― 岡部嶺男展」 東京国立近代美術館工芸館
ことし故宮より学びはじめの青磁は、 出光の「志野と織部」に繋がりました。 沼暮らしには不似合いの織部も求めた。
初心者の知る楽しみを応援とばかり、招待券が届いたのです。 ありがたきこと、 降って湧いた幸運に驚喜しました。 お身内の愛蔵品も出品されるとか、興味津々、春の嵐もものかは 勇んで出かける。 美術の内覧会は初めて。
岡部嶺男は 陶芸家・加藤唐九郎の長男です。織部・志野・黄瀬戸・灰釉・鉄釉など地元の伝統技法をもとに作域を広げ、なかでも全面に縄文を施した織部や志野の作品は極めて独自性が強く高い評価を受けた。(パンフレットより)
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「青織部縄文塊」(上写真) 高さ41.5 幅35.6 奥行き36.2㎝ 圧倒するつよさ、重量感で迫ってきます。 陶芸、彫刻、絵画、音楽、そのいづれでもない、すべてを抱えた芸術、 魂が塊となった作家の激しさに目を見張ります。
(縄文は 羽子板のような形の叩き棒に、荒縄を巻き付けた道具で、土の表面を叩いて作り出された)
大いなる力に取り込まれました。 思い出すことがあります。
「現代を代表する陶芸家として高い評価を受けている岡部嶺男。
しかし一方で彼は「孤高の陶芸家」とも称されている。
戦後最大の美術界の偽作騒動として有名な 「永仁の壺」事件、 父親である加藤唐九郎と絶縁し、その後一切唐九郎との同時掲載を拒否した。 故に、 作品集と呼ばれるものは1冊しかない…」
(小学館 「岡部嶺男作品集~陶愁~」 近刊より)
厳しさ、つよさの根源ともみえる。
その力は荒々しく怖ろしいものでなく、 何度も観るうちに安堵感に変わっていました。 作家の息づかいが感じられる、人の手になる造形は やはりあたたかいものだなと思います。
つよいもの、 絵画的なものに惹かれます。
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やがて秘色へと昇華され、貫入(カンニュウ 釉薬をかけた面にできたひび割れのこと)による宝石のようなのも。 作品をたどるうち、 ものをつくる… ゼロから立ちあげることのすばらしさに感動します。 作家が探求し情熱を注いだ作品は、それぞれ荘厳な楽曲とともに語りかけてくるようで、ゆっくり鑑賞しました。
形の美しさ。 砧や香炉。 水指。 志野のやわらかさ。 織部にひそむ耀き、深々とした濃い緑。 ぬくもり。 逸品に目を奪われ興奮気味… メモをとるのももどかしく 眼も心も忙しい2時間でした。
玉ギョクのような青磁の色、面のなめらかさ、 光、 鋭い固さ。 粉青瓷(しっとりした艶がある。不透明)、透明感のある翠青瓷、はじめて為し得た窯変米色青瓷など。
印象は図録とともに 鮮烈に残りました。 芸術家は 常にあたらしいものに挑戦し 楽しかったに違いないと、こちらまで幸せ。 つよさのなかに 温和な微笑みも感じました。 (展示176点)
ご案内は こちらへ。 写真は 絵はがき・図録よりお借りしました。
お元気そうでなによりです。
久しぶりの訪問で、ひとつ、お身のまわりで寂しくなられることがあったのだなあと知りました。
今は、お母さんのところでゆっくり休んで、いつかまた身を変えてラグタイムさんのところへ戻ってきてくれると思います。
さて、岡部嶺男さん、私はこの方を存知ませんでしたが、写真で見るだけで、その作品の持つ力に圧倒されました。
普通、平面的なものでも、本物を見ないことにはなかなか伝わりにくいものですが、これはすごい、本物はどんなであろうかと期待させられます。
また、ラグタイムさんの鑑賞眼と文章には参りました。わたしもほんの時々展覧会の感想など投稿しますが、これはお手本にさせていただかなければ。
しかし、再開されてからずいぶん経っていたのですねー。少しづつ、読ませていただきます。
以前の記事にもコメント入れさせていただくかもしれません。また、よろしくお願いします。
以前の、 コメントでさえ忘れられませんでした。 うしろの正面さんのblogをご紹介しましょう。http://blog.goo.ne.jp/mado915/
そしてそれを観賞なさるラグタイムさんも素晴しい!です。
本当に自分でそれだけの観賞ができるかと反省しますと、とてもとても足元にも及ばず…です。
たまたま、瀬戸にも遠からずの土地に、生活したこともあって、生け花の教室などで、まだ若い頃(後に有名になられた加藤・・あ、ど忘れ!後で思い出そう)の陶芸家に出会ったりするチャンスもあって…。
もっと興味があったら、もっとその素養があれば…と悔やまれます。
ま~無い物ねだりととっくに諦めてはいますけれど…。
ごめんなさい。いま、息子に駅まで迎えにきてくれないかな?なんて婉曲に携帯メールで頼まれて、急いで迎えに行ってきま~す。
思い出しました。
加藤卓夫さん。工芸の方で活躍している高校時代の私の先輩が「あら、今は偉い地位の大先生ですよ」
その時は、色は黒く痩せていらして無口な青年でしたのに、今は貫禄で大きくおなりでとてもあの頃のちょっと1,2回教えていただいたことなんか…。
あ~余分で、どうでも良い事を書き連ねてしまいました。陶器には懐かしい思い出が溢れてきてしまい、ごめんなさい。
いつものそそっかしいことですが、申し訳ありません。
卓夫ではなく、卓男さんです。訂正してお詫びいたします。
何をするにも、見る、聞くものすべて享受できる器がほしい。 響き返せるまで磨かないとと反省します。 受け取るものも少ない、それは惜しいこと。 大間に合いでつづけます。