「古寺巡礼」和辻哲郎著
教科書にも乗るような名著であるので、よく知られているだろうこの著作は
単に古美術研究の書ではなく、日本人の魂の源泉を探しだそうとする強い意志を
もって書かれている。強い意志、あるいは情熱。それを和辻は後年に若書きと
恥じて遠慮しているのであるが、もちろん本人以外にそんな批判をする者はおらず
むしろ心情が吐露された箇所こそ読者をひきつけてやまないようだ。
昭和十二、三年は日本は支那事変つまり日中戦争のただ中にあった。
出征する若者がぜひにと頼んだ本が「古寺巡礼」であったというのを
読んで不思議に思った。
この本の初版は大正八年である。
後年、若書きの著作を書き改めたいと思うようになった和辻のもとへ、是非にも
手に入れたい、出征したらもう生きて戻れないかもしれない、一期の思い出に
奈良へ行く、だから手に入れられないだろうか、雑のうに忍ばせて持って行き
たい、そういう声が届く。書き直したいと思っていたの途方に暮れたと記している。
紙不足だけでなく検閲と統制で結局のところ終戦まで新たに日の目を見ることは
なく、ようやく敗戦直後の昭和二十一年に改訂版が出されている。
わたしが不思議だったのは戦前の人々の意識であった。
なぜに「古寺巡礼」か?と思ったのである。
カメにそれを話すと、「人は死ぬかもしれないという瀬戸際で無意識に魂の拠り所
を求めるようになる。神秘的な美に惹かれる気持ちが湧いてくるものだよ」
そう言われたのであった。
‥‥わからん‥‥、うさこは唸った。
否、と思ったのは、戦意昂揚政策のことがあるからだ。
銃後も兵隊さんもみなお国のために命を捧げるというのが当時の考え方ではあるはず、
そのことだった。
結論から言うと、わたしの間違い、大間違いである。
たとえば保田與重郎のような国粋主義と思われかねないような作家でもすでに統制と
検閲の対象になっていたことをすっかり忘れていた。
日本人はそもそも冷静であれば、美しいものが好きなのであった。
その求める美は西洋のそれとは著しく異なって、他との比較の上にある美ではなく
真の内側からしみ出してくるような美、慈愛に満ちた恵みである。
名誉と権力に固執し、威張り腐り、私利私欲で暴走する頭の悪い軍人に美は通じない
が、それはごく一握りの少数派であった。
少数派に蹂躙されて多くの命が海山の屍、骸となった時代の空気を想像する力が
わたしに足りなかった。
素直にカメの話を聴かなかったのは、田中裕子演じるドラマ「おしん」に毒されて
しまっていたからかもしらん。
おしんはあまりにおろかでけなげである。だが、本当の庶民はもっと賢い。
ましてや和辻の本を読もうというのだから学生か教養のある人だろう。
テレビで描かれている「戦争の時代」はステレオタイプであるのが多いな。
いかんいかん、そんなもの観ても忘れるにこしたことはない。
忘れてならないのは、かたよりのない事実だ。それは活字に残ったものを拾う
しかないのである。
夢殿の観音像(救世観音)と中宮寺の観音像(弥勒菩薩半跏像)についての記述が
最後にある。
観音の表情とえもいわれぬ雰囲気に圧倒され魅了され、
「わが国の文化の考察は結局わが国の自然の考察に帰って行かなくてはならぬ。」
と結ばれている。
「聖徳太子の十七条憲法が極度に人道的なのもまた偶然ではない」という和辻の言葉
と、近年の歴史学者や言語研究者が「聖徳太子作という憲法は後世の偽作」と断じた
論とを比べてみるまでもないことだが、古寺巡礼の旅で和辻が感じ取った魂の源流の
方を戦前の読者もわたしも魅力的に思うだからしかたがない。
今も幸いかな、「古寺巡礼」は岩波書店から版を重ね続けている。
仏像を観るにしても、研究とはいっても、観るための目は同じである。
心がそこに通うか否か。
統計ばかりとって数値に頼るようなやりかたでは、何もわからんちん。
七世紀も二十一世紀も同じことじゃないか?
数年前に訪ねた中宮寺の弥勒菩薩さまはそりゃあもう、すてきでござんした。
和辻哲郎も書いているように、前におすわりして静かに「はい」と言っている
ほかないような処であった。黒光りの仏様に触れてみたような気になって、
いや触れていただいたような気になって、たいそう満足してお堂を出た。
ユキヤナギが咲いた小径をぶらぶらと歩き、法隆寺でのいらだちと不愉快さを
忘れたのであった。
教科書にも乗るような名著であるので、よく知られているだろうこの著作は
単に古美術研究の書ではなく、日本人の魂の源泉を探しだそうとする強い意志を
もって書かれている。強い意志、あるいは情熱。それを和辻は後年に若書きと
恥じて遠慮しているのであるが、もちろん本人以外にそんな批判をする者はおらず
むしろ心情が吐露された箇所こそ読者をひきつけてやまないようだ。
昭和十二、三年は日本は支那事変つまり日中戦争のただ中にあった。
出征する若者がぜひにと頼んだ本が「古寺巡礼」であったというのを
読んで不思議に思った。
この本の初版は大正八年である。
後年、若書きの著作を書き改めたいと思うようになった和辻のもとへ、是非にも
手に入れたい、出征したらもう生きて戻れないかもしれない、一期の思い出に
奈良へ行く、だから手に入れられないだろうか、雑のうに忍ばせて持って行き
たい、そういう声が届く。書き直したいと思っていたの途方に暮れたと記している。
紙不足だけでなく検閲と統制で結局のところ終戦まで新たに日の目を見ることは
なく、ようやく敗戦直後の昭和二十一年に改訂版が出されている。
わたしが不思議だったのは戦前の人々の意識であった。
なぜに「古寺巡礼」か?と思ったのである。
カメにそれを話すと、「人は死ぬかもしれないという瀬戸際で無意識に魂の拠り所
を求めるようになる。神秘的な美に惹かれる気持ちが湧いてくるものだよ」
そう言われたのであった。
‥‥わからん‥‥、うさこは唸った。
否、と思ったのは、戦意昂揚政策のことがあるからだ。
銃後も兵隊さんもみなお国のために命を捧げるというのが当時の考え方ではあるはず、
そのことだった。
結論から言うと、わたしの間違い、大間違いである。
たとえば保田與重郎のような国粋主義と思われかねないような作家でもすでに統制と
検閲の対象になっていたことをすっかり忘れていた。
日本人はそもそも冷静であれば、美しいものが好きなのであった。
その求める美は西洋のそれとは著しく異なって、他との比較の上にある美ではなく
真の内側からしみ出してくるような美、慈愛に満ちた恵みである。
名誉と権力に固執し、威張り腐り、私利私欲で暴走する頭の悪い軍人に美は通じない
が、それはごく一握りの少数派であった。
少数派に蹂躙されて多くの命が海山の屍、骸となった時代の空気を想像する力が
わたしに足りなかった。
素直にカメの話を聴かなかったのは、田中裕子演じるドラマ「おしん」に毒されて
しまっていたからかもしらん。
おしんはあまりにおろかでけなげである。だが、本当の庶民はもっと賢い。
ましてや和辻の本を読もうというのだから学生か教養のある人だろう。
テレビで描かれている「戦争の時代」はステレオタイプであるのが多いな。
いかんいかん、そんなもの観ても忘れるにこしたことはない。
忘れてならないのは、かたよりのない事実だ。それは活字に残ったものを拾う
しかないのである。
夢殿の観音像(救世観音)と中宮寺の観音像(弥勒菩薩半跏像)についての記述が
最後にある。
観音の表情とえもいわれぬ雰囲気に圧倒され魅了され、
「わが国の文化の考察は結局わが国の自然の考察に帰って行かなくてはならぬ。」
と結ばれている。
「聖徳太子の十七条憲法が極度に人道的なのもまた偶然ではない」という和辻の言葉
と、近年の歴史学者や言語研究者が「聖徳太子作という憲法は後世の偽作」と断じた
論とを比べてみるまでもないことだが、古寺巡礼の旅で和辻が感じ取った魂の源流の
方を戦前の読者もわたしも魅力的に思うだからしかたがない。
今も幸いかな、「古寺巡礼」は岩波書店から版を重ね続けている。
仏像を観るにしても、研究とはいっても、観るための目は同じである。
心がそこに通うか否か。
統計ばかりとって数値に頼るようなやりかたでは、何もわからんちん。
七世紀も二十一世紀も同じことじゃないか?
数年前に訪ねた中宮寺の弥勒菩薩さまはそりゃあもう、すてきでござんした。
和辻哲郎も書いているように、前におすわりして静かに「はい」と言っている
ほかないような処であった。黒光りの仏様に触れてみたような気になって、
いや触れていただいたような気になって、たいそう満足してお堂を出た。
ユキヤナギが咲いた小径をぶらぶらと歩き、法隆寺でのいらだちと不愉快さを
忘れたのであった。