想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

イモの中のイモ安納芋

2009-10-27 12:00:00 | Weblog
わけあってたき火。キャンプファイヤーの残り火ではないよ。
安納芋(あんのういも)を手に、こりゃありがたい、焼き芋できるわと思っているのはうさこだけ。
(種子島特産のサツマイモ、美味しいんだなあ。それがジャスコで売っていたのである、
めざとく買ってしまった、安いので不審だったけど)
今、紅葉まっさかりではあるが、年末へ向かって忙しくなるのでいまのうちにと
合間を縫って高くなりすぎた木を詰めている、芋を手にしたわたし以外の人たちが。
芯詰めとかいうらしいが、枝もおろす。
その葉をも燃やしているのである。



幹の太いところ、細いところと仕分けして積んでいく。
たくさんあったのに一日がかりでほぼ片付いた。
(前夜のすき焼き効果か?)



黄檗。きいろがきれい。
レモンイエローとか言いたくないけど、イチョウ色とかいいたくないけど、
黄檗はきはだいろ、か。うつくしいなあ、今年も。
赤ばかりではないね、きいろもきれい。気がつけば、去年と同じ事を書いていた。
この木が好きなのだ、好かれるね、あなた。
うさこだけじゃないよ、あの人も言ってたよ「ああ、この黄色いいですねえ‥」
しばらく立ち止まって。
あなたは知ってるか、そうだよね。見ているものね、佇む影を。

ベイビーは‥‥、火のそばを離れない。
芋番、か。
いや、遊びすぎておつかれなのさねえ。
そろそろ戸外は寒くなってきたし。




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赤く赤く赤く

2009-10-27 02:44:17 | Weblog

なんとも表現しがたく赤く染まってゆく紅葉、これは伊呂波紅葉だと思います。
その手前に山紅葉、そしてまた若い伊呂波紅葉。
三段重ねになって、それぞれに赤、赤、赤。

燃える火のように赤い、という言い方は違うな。
比喩は手あかがついているので、じっと見てほんとはどうかとじっと見て、
ああ、これは血の色だ。
するとカメがA型の赤、と言ったので、へーっとまた信じそうになってしまった。



カメの教えはシンプルなのだが、シンプルが一番難しいらしい。
らしいというのは頭のよい人々にということ。
うさこは頭のよくないタチなので、シンプルだとよくわかります。
すっごくわかります。
人はどこから来てどこへゆくのか。
どこへ帰るのか。
ひとのうまれでどころ。
そのことがわからないばかりに、そのことをはっきりとさせないばかりに
(いや、していたのだけれど)赤色をどう言えばいいのかということと同じに
ぴたりと言い当てられないから、もやもやとしてわからないようにしてしまった。
仏陀は確かに言ったはずだ。
けれども仏教では、仏典では、もうわけがわからないから輪廻転生でくるくると
あちらこちらへ行かねばならぬ事になって、それはなかなか信じがたい話。

けれどシンプルだと納得して生きやすい。
半物質、魂、物質としての肉体。人は神性と肉体という物質で成り立っている。
肉はわかるが神がわからん。
神を知らねば己自身をすべてわかったことにはならないわけで。
神は拝むにあらず、なのである。
神は知らねばならない。
知るために、学ぶのである。
本を読んでもダメ、話を聞くだけでもダメ。
生きることだ。
息して食って寝てだけではダメ。
生きることだ。

そこで、赤をじっと見つめて探していたのだった。
この色を何と呼べばいいのかと。


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