窓の格子越しに裏庭に流れる小川を見ている。
紅い、秋の盛りが水の縁にあってそこだけぽっと明るい。
なんだか置屋の窓辺に婉然と、でも少し哀愁をひきずってる姐さんを
思い浮かべたりして遊ぶ。
そのまま窓辺から眺めていると、妄想は広がるばかり、ほらいまにもそこへ
伊三次がやってきそうだ。
とすると、姐さんの名は‥‥? 鬼平犯科帳のことです、はい。
姐さんはちょっとした手柄を立てたりもしますが、あぶなっかしい可愛い女人。
この恋、袖を濡らさずには読めないけれど惹かれる。
ハッピーエンドよりも、実(じつ)のある深情けのせいだろうなあ。
「五月闇」は鬼平の数ある捕物の中でも忘れがたい話だ。
事の終わりが万事良しか否かよりも、恋が成就したかどうかよりも
そこに信があったかどうか、心に触れてくるのはそのことだ。
勝ち負けでも善悪でもなく、信があるかどうか、それがなければ話に
骨がないのと同じで流れてオシマイ、すぐに忘れ去る。
胸の奥深くにキーンと打ち込まれるくさびの痛みを感じたものは
悲しい話でもいい。
人が生きるのは、善のためでも勝つためでも何事かの成就のためでもないと思うから。
ただそこに、信があるか。
そのことが大事なのである。それが生きた証。
「五月闇」で伊三次を死なせたと、作者の池波正太郎はファンに抗議されたというが、
抗議するファンもまたそれが伊三次への供養と知ってのことではなかったろうか。
たかが物語の登場人物というなかれ。
鬼平のなかの密偵や同心、弱き女たちはすぐそばにいる者たちや自分自身の代弁者
である。
答え:艶っぽい姐さんの名は「およね」ですね、「猫じゃらし」で遊ぶのが趣味の女。
ご用心ご用心、猫じゃらしはつけられぬよう。
紅い、秋の盛りが水の縁にあってそこだけぽっと明るい。
なんだか置屋の窓辺に婉然と、でも少し哀愁をひきずってる姐さんを
思い浮かべたりして遊ぶ。
そのまま窓辺から眺めていると、妄想は広がるばかり、ほらいまにもそこへ
伊三次がやってきそうだ。
とすると、姐さんの名は‥‥? 鬼平犯科帳のことです、はい。
姐さんはちょっとした手柄を立てたりもしますが、あぶなっかしい可愛い女人。
この恋、袖を濡らさずには読めないけれど惹かれる。
ハッピーエンドよりも、実(じつ)のある深情けのせいだろうなあ。
「五月闇」は鬼平の数ある捕物の中でも忘れがたい話だ。
事の終わりが万事良しか否かよりも、恋が成就したかどうかよりも
そこに信があったかどうか、心に触れてくるのはそのことだ。
勝ち負けでも善悪でもなく、信があるかどうか、それがなければ話に
骨がないのと同じで流れてオシマイ、すぐに忘れ去る。
胸の奥深くにキーンと打ち込まれるくさびの痛みを感じたものは
悲しい話でもいい。
人が生きるのは、善のためでも勝つためでも何事かの成就のためでもないと思うから。
ただそこに、信があるか。
そのことが大事なのである。それが生きた証。
「五月闇」で伊三次を死なせたと、作者の池波正太郎はファンに抗議されたというが、
抗議するファンもまたそれが伊三次への供養と知ってのことではなかったろうか。
たかが物語の登場人物というなかれ。
鬼平のなかの密偵や同心、弱き女たちはすぐそばにいる者たちや自分自身の代弁者
である。
答え:艶っぽい姐さんの名は「およね」ですね、「猫じゃらし」で遊ぶのが趣味の女。
ご用心ご用心、猫じゃらしはつけられぬよう。