古タイヤの中に溜まった水にあんよが浸かってしまった、困ったコブちゃん。
どうしてもここから動けないでいる。
母ちゃんのところへ行きたいのに。
シマコはどこを向いてるやら。
若布ちゃんが心配している。
しばらくしてやっとシマコはコブちゃんの声のする方へ身を乗り出した。
子育て中、すぐには手を出さないのか?
ある日のこと、地下鉄へ降りる階段に幼い泣き声が響きわたっていた。
降りていくと小さい子の手をひいたお母さんと同じくらいの子を抱き抱えたお母さん二人。
泣いているのは手をひかれた子の方でよく聞いてみると泣き声の合間に、「だっこ~、
だっこ~、だっこしてよ~」と言っている。
そんなに声をはりあげると喉が痛くなるよ、とそばに言って慰めてあげたいくらい
悲痛な必死な声で訴えている。
通り道なのでしだいにギャラリーも増えたが、とうとう地団駄踏みだしてついに座り込んでしまった。
するとおかあさんはつないだ手を離すと先へ歩きだした。振り返らない。
子どもの声は大きくなる一方で、何事かと行き交う人がみな子どもをのぞきむ。
周囲に親はいないのかと見渡す人もいる。交互に見て、そしてそばを離れていく。
かくいうわたしも近くで立ち止まったままでいた。
子どもは泣き止まない。ストライキ‥か。
それとも‥‥。
こういうとき、いったいどうしたらいいんだろうなあと考えてしまった。
それに手を離したとき、母親は何を思っていたのだろう。
あの声を聞きながら、どうしたかったのだろう。
しばらく下を見てコブに呼びかけていたシマコは、急に壁づたいにタイヤの上へ降りようと
動き出した。そしてコブへ手をさしのべている。
ミャゴミャゴ、コッチだ、ミャ~ゴ、さあおいで。
「仁なくして育めず」
「義なくして極まらず」
小さい子に出会うと、じっと見てしまう。
そして、その子の顔が曇っていると、ちょっと胸が騒ぐ感じ。
おろおろ、する感じ。
ほんとのベイビーだった頃も今も、親分はベイビーである。
駄々をこねないのでいい子である。
でも、まだ言葉が通じなかった頃、わたしは我慢した。
我慢して、吠えて地団駄踏むベイビーの前にじっと座っていた。
そのうちベイビーはギャンギャン吠えるのを止め、わたしの顔をペロリと舐め
体をすり寄せてきた。
そんなことが何度も何度も繰り返されたのだが、今、目の前で訳知りな顔をして
わたしを見ている親分、いやベイビー。もう駄々もこねてくれない。
じっと見られると、説教されている気分である。
どうしてもここから動けないでいる。
母ちゃんのところへ行きたいのに。
シマコはどこを向いてるやら。
若布ちゃんが心配している。
しばらくしてやっとシマコはコブちゃんの声のする方へ身を乗り出した。
子育て中、すぐには手を出さないのか?
ある日のこと、地下鉄へ降りる階段に幼い泣き声が響きわたっていた。
降りていくと小さい子の手をひいたお母さんと同じくらいの子を抱き抱えたお母さん二人。
泣いているのは手をひかれた子の方でよく聞いてみると泣き声の合間に、「だっこ~、
だっこ~、だっこしてよ~」と言っている。
そんなに声をはりあげると喉が痛くなるよ、とそばに言って慰めてあげたいくらい
悲痛な必死な声で訴えている。
通り道なのでしだいにギャラリーも増えたが、とうとう地団駄踏みだしてついに座り込んでしまった。
するとおかあさんはつないだ手を離すと先へ歩きだした。振り返らない。
子どもの声は大きくなる一方で、何事かと行き交う人がみな子どもをのぞきむ。
周囲に親はいないのかと見渡す人もいる。交互に見て、そしてそばを離れていく。
かくいうわたしも近くで立ち止まったままでいた。
子どもは泣き止まない。ストライキ‥か。
それとも‥‥。
こういうとき、いったいどうしたらいいんだろうなあと考えてしまった。
それに手を離したとき、母親は何を思っていたのだろう。
あの声を聞きながら、どうしたかったのだろう。
しばらく下を見てコブに呼びかけていたシマコは、急に壁づたいにタイヤの上へ降りようと
動き出した。そしてコブへ手をさしのべている。
ミャゴミャゴ、コッチだ、ミャ~ゴ、さあおいで。
「仁なくして育めず」
「義なくして極まらず」
小さい子に出会うと、じっと見てしまう。
そして、その子の顔が曇っていると、ちょっと胸が騒ぐ感じ。
おろおろ、する感じ。
ほんとのベイビーだった頃も今も、親分はベイビーである。
駄々をこねないのでいい子である。
でも、まだ言葉が通じなかった頃、わたしは我慢した。
我慢して、吠えて地団駄踏むベイビーの前にじっと座っていた。
そのうちベイビーはギャンギャン吠えるのを止め、わたしの顔をペロリと舐め
体をすり寄せてきた。
そんなことが何度も何度も繰り返されたのだが、今、目の前で訳知りな顔をして
わたしを見ている親分、いやベイビー。もう駄々もこねてくれない。
じっと見られると、説教されている気分である。
台風が来る。
道路が壊れやしないか、川が増水しやしないか、枯れ木が倒れて飛んできやしないか、
心配がつのる夜である。
風が強くなってくる。
このあたりは関東よりマシらしいけれど。
崖崩れと地滑りと考えだしたらきりがない。
別荘地で切り売りするために山を削って作った道はもうほとんど崩れて形を変えた。
十年前の記録的大雨のときに土砂崩れで流れた斜面は、その後自然に芽吹いて根を
はった赤松が背丈150センチくらいになってたな。
自然の回復力には目をみはるが、それを頼みにするにはまだまだ無理がある幼木だ。
こんな日はもう、地の神さまにお願いするしかない。
ふだんからよくご挨拶申し上げておりますうさこです、にわかにお願いするわけじゃあ
ございません。
神さま、どうぞ森の動物とみんなの家と、そして我がねぐらをお守りください。
雨があがったら、これまでより、もっともっと努力します。
でもそれは神さまには関係ないことだけど。
ダメですか、ダメでもそれしかないのです。
お願いします。
と暗い樹々を窓から眺め、ブツブツ、ブツブツ、お祈り。
嵐前夜、動物たちはどうしているかと思います。
(木登りのおけいこ中、まだまだ失敗)
「上古は正直にして病無く、治るところはただ天災にあるのみ。
よってそのおしえるところはただ、天政をもってす。
‥‥降りて古、世は不義、しばしば起こるその害は病も大なるゆえに
それをおしえるやもっぱら仁義にあり。
その増す害にしたがってそのおしえを加うるのみ。これ、天文、療醫、
禮節のおしえの立つるゆえんなり。」
(聖徳太子曰く)
弱き者、汝の取り柄は正直なり。
道路が壊れやしないか、川が増水しやしないか、枯れ木が倒れて飛んできやしないか、
心配がつのる夜である。
風が強くなってくる。
このあたりは関東よりマシらしいけれど。
崖崩れと地滑りと考えだしたらきりがない。
別荘地で切り売りするために山を削って作った道はもうほとんど崩れて形を変えた。
十年前の記録的大雨のときに土砂崩れで流れた斜面は、その後自然に芽吹いて根を
はった赤松が背丈150センチくらいになってたな。
自然の回復力には目をみはるが、それを頼みにするにはまだまだ無理がある幼木だ。
こんな日はもう、地の神さまにお願いするしかない。
ふだんからよくご挨拶申し上げておりますうさこです、にわかにお願いするわけじゃあ
ございません。
神さま、どうぞ森の動物とみんなの家と、そして我がねぐらをお守りください。
雨があがったら、これまでより、もっともっと努力します。
でもそれは神さまには関係ないことだけど。
ダメですか、ダメでもそれしかないのです。
お願いします。
と暗い樹々を窓から眺め、ブツブツ、ブツブツ、お祈り。
嵐前夜、動物たちはどうしているかと思います。
(木登りのおけいこ中、まだまだ失敗)
「上古は正直にして病無く、治るところはただ天災にあるのみ。
よってそのおしえるところはただ、天政をもってす。
‥‥降りて古、世は不義、しばしば起こるその害は病も大なるゆえに
それをおしえるやもっぱら仁義にあり。
その増す害にしたがってそのおしえを加うるのみ。これ、天文、療醫、
禮節のおしえの立つるゆえんなり。」
(聖徳太子曰く)
弱き者、汝の取り柄は正直なり。
この先2キロ行き止まり、誰だ? ヘタクソな立札だなあ。
って、わたしだよ!
だって本当に行き止まりなのに、那須や甲子道路へ通り抜けできると
思ってくる人があとを絶たないんだものね(って言っても5、6台ですが)
静かなのが取り柄のこの場所に車やオートバイがスピードをあげて走って
くる。そして、え、家があるじゃんみたいな感じで覗きながらスピードを
ゆるめて通り過ぎ、そしてしばらくすると降りてくる。
またゆっくり覗きながら通って行く。このパターンは実に不愉快なのあるよ。
で、コレって行けないんですか~と聞く人もいます。
行けなかったじゃん、今、行けなかったから戻ってきたんでしょ。
そうは言えないねえ、言えないんだけど、どこに行きたいかを言いなよ先に。
そんなある日のこと、ワンボックスカーが戻ってきた。
門の前で親分と立っていると、止まってオッサンとオバちゃんが「ちは~」と
言った。まだ朝だよ、オハヨーだろと返事すると、「何やってんの、ここで」
とキタもんだ。
それを言うのはこっちだろ、なんだけど、うさこは気がいいので(‥弱いので)
えっと、いるだけです。と間抜けな返事をしたのであった。
オッサンはツッコミ慣れな感じで、「いるだけって、だから何してんだ、ここで」
と畳み掛けてくるし、オバちゃんは「さあ、答えなさい、おねーちゃん、大丈夫よ」
みたいな笑顔を向けてくる。
うさこは困りましたねえ、親分はバンバンしっぽ振って愛想をふりまくし。
ただの迷い人を相手に30分ほどもそこで立ち話をしてしまいました。
あげく、まんまる顔に白髪のひっつめ髪がよく似合っていたオバちゃんから巨峰を
一房もらってしまいました。
「昨日行ったぶどう園で採ったばかり、採りたてだよ、うまいよ!」とオッサン。
ごちそうさまですぅとお辞儀してしまいました。
「あー楽しかった、だから言ったのよ。道間違えてもきっとなんか楽しいこと
あるよって、ね、あったでしょ。」とオバちゃんはオッサンに言い、オッサンは
ああとうなづき、元来た道へと去っていきました。
ええっと、今のは何だったのか?
台所で巨峰を手に立ったまま、うさこは考えました。
あの人たち、泥棒の下見だったりして‥‥、個人情報だいじょうぶ?
ここに居ない曜日、留守の時は誰かいるの? って言ってたな‥‥。
えーーーーー、ぶどうを一つ摘んで口に入れて、甘酸っぱい。
おいしい‥‥はずなのに、なんだか疑心暗鬼の雲が胸のなかに広がって
二粒目に手が出ない。
オッサンの顔に長ーい耳が生えてきたり、オバちゃんの丸顔が狸に見えて
きたりするのでありました。
巨峰はうさこの大好物なのに‥、冷蔵庫にそっとしまいました。
ということで(説明長い!すんません)立札を立てたのであります。
もちろんカメが板を切って即席で作ってくれたのですが、自分で書けと言われたので
挑戦しました。ラッカーで書くのは思うより難しいと知ってはいたんだけど。
ペンキはホームセンター特売で百円だったけど、この字は一円にもなりゃしない。
バカにしてか、立札見ても昇ってくる車があって、うさこはがっくりです。
それから二三日したら、やっと静かになりました。
ここでUターン、でないとなんか出るよ~、でっかい黒いのがいるよ~。
そこから先は言えません。黒くてデカイだけだとは。
どや? こわいやろ!
勢いで、ぷすっとおならをしています。
って、わたしだよ!
だって本当に行き止まりなのに、那須や甲子道路へ通り抜けできると
思ってくる人があとを絶たないんだものね(って言っても5、6台ですが)
静かなのが取り柄のこの場所に車やオートバイがスピードをあげて走って
くる。そして、え、家があるじゃんみたいな感じで覗きながらスピードを
ゆるめて通り過ぎ、そしてしばらくすると降りてくる。
またゆっくり覗きながら通って行く。このパターンは実に不愉快なのあるよ。
で、コレって行けないんですか~と聞く人もいます。
行けなかったじゃん、今、行けなかったから戻ってきたんでしょ。
そうは言えないねえ、言えないんだけど、どこに行きたいかを言いなよ先に。
そんなある日のこと、ワンボックスカーが戻ってきた。
門の前で親分と立っていると、止まってオッサンとオバちゃんが「ちは~」と
言った。まだ朝だよ、オハヨーだろと返事すると、「何やってんの、ここで」
とキタもんだ。
それを言うのはこっちだろ、なんだけど、うさこは気がいいので(‥弱いので)
えっと、いるだけです。と間抜けな返事をしたのであった。
オッサンはツッコミ慣れな感じで、「いるだけって、だから何してんだ、ここで」
と畳み掛けてくるし、オバちゃんは「さあ、答えなさい、おねーちゃん、大丈夫よ」
みたいな笑顔を向けてくる。
うさこは困りましたねえ、親分はバンバンしっぽ振って愛想をふりまくし。
ただの迷い人を相手に30分ほどもそこで立ち話をしてしまいました。
あげく、まんまる顔に白髪のひっつめ髪がよく似合っていたオバちゃんから巨峰を
一房もらってしまいました。
「昨日行ったぶどう園で採ったばかり、採りたてだよ、うまいよ!」とオッサン。
ごちそうさまですぅとお辞儀してしまいました。
「あー楽しかった、だから言ったのよ。道間違えてもきっとなんか楽しいこと
あるよって、ね、あったでしょ。」とオバちゃんはオッサンに言い、オッサンは
ああとうなづき、元来た道へと去っていきました。
ええっと、今のは何だったのか?
台所で巨峰を手に立ったまま、うさこは考えました。
あの人たち、泥棒の下見だったりして‥‥、個人情報だいじょうぶ?
ここに居ない曜日、留守の時は誰かいるの? って言ってたな‥‥。
えーーーーー、ぶどうを一つ摘んで口に入れて、甘酸っぱい。
おいしい‥‥はずなのに、なんだか疑心暗鬼の雲が胸のなかに広がって
二粒目に手が出ない。
オッサンの顔に長ーい耳が生えてきたり、オバちゃんの丸顔が狸に見えて
きたりするのでありました。
巨峰はうさこの大好物なのに‥、冷蔵庫にそっとしまいました。
ということで(説明長い!すんません)立札を立てたのであります。
もちろんカメが板を切って即席で作ってくれたのですが、自分で書けと言われたので
挑戦しました。ラッカーで書くのは思うより難しいと知ってはいたんだけど。
ペンキはホームセンター特売で百円だったけど、この字は一円にもなりゃしない。
バカにしてか、立札見ても昇ってくる車があって、うさこはがっくりです。
それから二三日したら、やっと静かになりました。
ここでUターン、でないとなんか出るよ~、でっかい黒いのがいるよ~。
そこから先は言えません。黒くてデカイだけだとは。
どや? こわいやろ!
勢いで、ぷすっとおならをしています。
出し惜しみすな、というお声が多々ありましたので、コブちゃんを1枚。
ご飯食べたあとに、舌をペロリとしてるね、おいしかったんだね。
(もったいつけてるなあ~とさらに言われそうだけど、実はオトナの事情、
データを持ち出しててここにないのよん、あるものの中から)
だんだんデカクなってくので、たぶんシマコより大きくなりそうです。
これより2週間くらい前にはジャンプするのがやっと、壁に昇れなくて
おいてけぼりになったりしてたコブちゃん。
そのときの写真を望遠(約10M)で撮りましたよ。
撮っているときには気づかないのですが、あとで見ると驚きがたくさん
ありました。親子の写真はいいものです。
かわいらしいだけでなく、なんか生きてるって感じがとてもするのです。
で、手元にないのでもう一つのある意味、生きてる感じのコレで今日は笑いましょう。
ガッツリ喰ってます。
食べ方がすごく早くなって、シマコも押され気味なのが‥‥嬉しいやら困るやらだろうな。
ガツガツ食べてる写真見てたら思い出しました。
O君のさつまいも、売り切れちゃってうさこの分は残らなかった。
でもよかった、よかった、これから先もっとたくさん売れる方法を考えていきたいね。
うさこは力仕事がまるでダメなのでそっちの方でがんばりまーす。
今月もご協力くださったみなさん、ありがとうございました、ほんとにありがとう、です。
「古寺巡礼」和辻哲郎著
教科書にも乗るような名著であるので、よく知られているだろうこの著作は
単に古美術研究の書ではなく、日本人の魂の源泉を探しだそうとする強い意志を
もって書かれている。強い意志、あるいは情熱。それを和辻は後年に若書きと
恥じて遠慮しているのであるが、もちろん本人以外にそんな批判をする者はおらず
むしろ心情が吐露された箇所こそ読者をひきつけてやまないようだ。
昭和十二、三年は日本は支那事変つまり日中戦争のただ中にあった。
出征する若者がぜひにと頼んだ本が「古寺巡礼」であったというのを
読んで不思議に思った。
この本の初版は大正八年である。
後年、若書きの著作を書き改めたいと思うようになった和辻のもとへ、是非にも
手に入れたい、出征したらもう生きて戻れないかもしれない、一期の思い出に
奈良へ行く、だから手に入れられないだろうか、雑のうに忍ばせて持って行き
たい、そういう声が届く。書き直したいと思っていたの途方に暮れたと記している。
紙不足だけでなく検閲と統制で結局のところ終戦まで新たに日の目を見ることは
なく、ようやく敗戦直後の昭和二十一年に改訂版が出されている。
わたしが不思議だったのは戦前の人々の意識であった。
なぜに「古寺巡礼」か?と思ったのである。
カメにそれを話すと、「人は死ぬかもしれないという瀬戸際で無意識に魂の拠り所
を求めるようになる。神秘的な美に惹かれる気持ちが湧いてくるものだよ」
そう言われたのであった。
‥‥わからん‥‥、うさこは唸った。
否、と思ったのは、戦意昂揚政策のことがあるからだ。
銃後も兵隊さんもみなお国のために命を捧げるというのが当時の考え方ではあるはず、
そのことだった。
結論から言うと、わたしの間違い、大間違いである。
たとえば保田與重郎のような国粋主義と思われかねないような作家でもすでに統制と
検閲の対象になっていたことをすっかり忘れていた。
日本人はそもそも冷静であれば、美しいものが好きなのであった。
その求める美は西洋のそれとは著しく異なって、他との比較の上にある美ではなく
真の内側からしみ出してくるような美、慈愛に満ちた恵みである。
名誉と権力に固執し、威張り腐り、私利私欲で暴走する頭の悪い軍人に美は通じない
が、それはごく一握りの少数派であった。
少数派に蹂躙されて多くの命が海山の屍、骸となった時代の空気を想像する力が
わたしに足りなかった。
素直にカメの話を聴かなかったのは、田中裕子演じるドラマ「おしん」に毒されて
しまっていたからかもしらん。
おしんはあまりにおろかでけなげである。だが、本当の庶民はもっと賢い。
ましてや和辻の本を読もうというのだから学生か教養のある人だろう。
テレビで描かれている「戦争の時代」はステレオタイプであるのが多いな。
いかんいかん、そんなもの観ても忘れるにこしたことはない。
忘れてならないのは、かたよりのない事実だ。それは活字に残ったものを拾う
しかないのである。
夢殿の観音像(救世観音)と中宮寺の観音像(弥勒菩薩半跏像)についての記述が
最後にある。
観音の表情とえもいわれぬ雰囲気に圧倒され魅了され、
「わが国の文化の考察は結局わが国の自然の考察に帰って行かなくてはならぬ。」
と結ばれている。
「聖徳太子の十七条憲法が極度に人道的なのもまた偶然ではない」という和辻の言葉
と、近年の歴史学者や言語研究者が「聖徳太子作という憲法は後世の偽作」と断じた
論とを比べてみるまでもないことだが、古寺巡礼の旅で和辻が感じ取った魂の源流の
方を戦前の読者もわたしも魅力的に思うだからしかたがない。
今も幸いかな、「古寺巡礼」は岩波書店から版を重ね続けている。
仏像を観るにしても、研究とはいっても、観るための目は同じである。
心がそこに通うか否か。
統計ばかりとって数値に頼るようなやりかたでは、何もわからんちん。
七世紀も二十一世紀も同じことじゃないか?
数年前に訪ねた中宮寺の弥勒菩薩さまはそりゃあもう、すてきでござんした。
和辻哲郎も書いているように、前におすわりして静かに「はい」と言っている
ほかないような処であった。黒光りの仏様に触れてみたような気になって、
いや触れていただいたような気になって、たいそう満足してお堂を出た。
ユキヤナギが咲いた小径をぶらぶらと歩き、法隆寺でのいらだちと不愉快さを
忘れたのであった。
教科書にも乗るような名著であるので、よく知られているだろうこの著作は
単に古美術研究の書ではなく、日本人の魂の源泉を探しだそうとする強い意志を
もって書かれている。強い意志、あるいは情熱。それを和辻は後年に若書きと
恥じて遠慮しているのであるが、もちろん本人以外にそんな批判をする者はおらず
むしろ心情が吐露された箇所こそ読者をひきつけてやまないようだ。
昭和十二、三年は日本は支那事変つまり日中戦争のただ中にあった。
出征する若者がぜひにと頼んだ本が「古寺巡礼」であったというのを
読んで不思議に思った。
この本の初版は大正八年である。
後年、若書きの著作を書き改めたいと思うようになった和辻のもとへ、是非にも
手に入れたい、出征したらもう生きて戻れないかもしれない、一期の思い出に
奈良へ行く、だから手に入れられないだろうか、雑のうに忍ばせて持って行き
たい、そういう声が届く。書き直したいと思っていたの途方に暮れたと記している。
紙不足だけでなく検閲と統制で結局のところ終戦まで新たに日の目を見ることは
なく、ようやく敗戦直後の昭和二十一年に改訂版が出されている。
わたしが不思議だったのは戦前の人々の意識であった。
なぜに「古寺巡礼」か?と思ったのである。
カメにそれを話すと、「人は死ぬかもしれないという瀬戸際で無意識に魂の拠り所
を求めるようになる。神秘的な美に惹かれる気持ちが湧いてくるものだよ」
そう言われたのであった。
‥‥わからん‥‥、うさこは唸った。
否、と思ったのは、戦意昂揚政策のことがあるからだ。
銃後も兵隊さんもみなお国のために命を捧げるというのが当時の考え方ではあるはず、
そのことだった。
結論から言うと、わたしの間違い、大間違いである。
たとえば保田與重郎のような国粋主義と思われかねないような作家でもすでに統制と
検閲の対象になっていたことをすっかり忘れていた。
日本人はそもそも冷静であれば、美しいものが好きなのであった。
その求める美は西洋のそれとは著しく異なって、他との比較の上にある美ではなく
真の内側からしみ出してくるような美、慈愛に満ちた恵みである。
名誉と権力に固執し、威張り腐り、私利私欲で暴走する頭の悪い軍人に美は通じない
が、それはごく一握りの少数派であった。
少数派に蹂躙されて多くの命が海山の屍、骸となった時代の空気を想像する力が
わたしに足りなかった。
素直にカメの話を聴かなかったのは、田中裕子演じるドラマ「おしん」に毒されて
しまっていたからかもしらん。
おしんはあまりにおろかでけなげである。だが、本当の庶民はもっと賢い。
ましてや和辻の本を読もうというのだから学生か教養のある人だろう。
テレビで描かれている「戦争の時代」はステレオタイプであるのが多いな。
いかんいかん、そんなもの観ても忘れるにこしたことはない。
忘れてならないのは、かたよりのない事実だ。それは活字に残ったものを拾う
しかないのである。
夢殿の観音像(救世観音)と中宮寺の観音像(弥勒菩薩半跏像)についての記述が
最後にある。
観音の表情とえもいわれぬ雰囲気に圧倒され魅了され、
「わが国の文化の考察は結局わが国の自然の考察に帰って行かなくてはならぬ。」
と結ばれている。
「聖徳太子の十七条憲法が極度に人道的なのもまた偶然ではない」という和辻の言葉
と、近年の歴史学者や言語研究者が「聖徳太子作という憲法は後世の偽作」と断じた
論とを比べてみるまでもないことだが、古寺巡礼の旅で和辻が感じ取った魂の源流の
方を戦前の読者もわたしも魅力的に思うだからしかたがない。
今も幸いかな、「古寺巡礼」は岩波書店から版を重ね続けている。
仏像を観るにしても、研究とはいっても、観るための目は同じである。
心がそこに通うか否か。
統計ばかりとって数値に頼るようなやりかたでは、何もわからんちん。
七世紀も二十一世紀も同じことじゃないか?
数年前に訪ねた中宮寺の弥勒菩薩さまはそりゃあもう、すてきでござんした。
和辻哲郎も書いているように、前におすわりして静かに「はい」と言っている
ほかないような処であった。黒光りの仏様に触れてみたような気になって、
いや触れていただいたような気になって、たいそう満足してお堂を出た。
ユキヤナギが咲いた小径をぶらぶらと歩き、法隆寺でのいらだちと不愉快さを
忘れたのであった。