この休暇を利用して「西洋音楽史~クラシックの黄昏」(岡田暁生著・中公新書)を読み始めました。これまで、その時々の思いを音楽に託して冷静さを保とうとした、わたしの音楽観に、ひとつの時間軸を通してみたいと思ったからでした。音楽の中に隠された精神性と対峙することによって、わたし自身の生きざまを考えてみたいと思ったからでした。こうして、2006年という新しい年を、レコード音楽とともに迎えました。聴いた曲はグレゴリオ聖歌でした。
ところで、年末年始休暇というのは、一部業種・職種を除いて社会全体が「お休み」という面白い時間を提供してくれます。逆に言えば、ふだんとは別の視点から自らの仕事を見つめ、自らの生きざまを見つめる、貴重な時間を私たちに提供してくれます。ふだんは”行け行けどんどん”で突っ走っている自分が、ふと我に帰る瞬間を感じることができます。「今のままでいいの?」と自問自答することの大切さを思います。「世の中、これでいいの?」と、より高次の課題を提出してくれます。それほどに、私たちは精神的に病んでいるとも言えます。何か、大事な何かを、どこかに置き忘れてはいないか。
ことしは戌年です。犬ではなく戌という漢字の意味を広辞苑で調べてみると①十二支の第11番目に位するもの②西から北へ30度の方角③昔の時刻の名。今の午後8時ごろ。また、およそ午後7時から9時のあいだの時刻、とありました。なにやら人間の知恵の一端を垣間見る思いです。さっそく愛犬ゴンタを連れて初詣にでかけました。愛犬同伴の参拝客が多かったのも嬉しい風景でした。今年のわたしの運勢は「小吉」とありました。
『ひとかたに なびくと見せて 青やぎの ゆくえさだめぬ 人心から』 思うにまかすようで心にまかせぬことがあり おもわぬ幸福がある様でも よく気をつけないと後で 損することあり 女難にことにきをつけなさい
えぇ?女難??それはないでしょう。でも今年は、わたしの職業人生を賭けるほどの大きな事業が待ち構えています。その成否を見定めるたいへん重要な年になります。御神籤に添えてあった開運招福のお守り(小さな達磨さんの縁起物)を、お財布の中にそっと仕舞いこみました。