ここ数日、雨が降ったりやんだりしていましたが、きょうは久しぶりの快晴です。すると俄然、街の小さな里山に小鳥たちの賑やかな囀りが戻ってきます。そんな清々しい秋の休日、次男君が大学時代の友人の結婚式に出席するために2泊3日のご帰還です。
ところで、雨が続いて終日小さな犬小屋で過ごしていた愛犬ゴンタ君。可哀そうだからと、しばし居間にご案内をしました。伸びをしたり横たわったりで、ずいぶん寛いだご様子でしたが、温かいタオルで全身を拭いてやりながら、ふと思ったことがあります。「歳をとったなあ」。家内も同じように感じたのだと。毛並みも以前に比べて艶がなくなっています。目元も、お爺さんの風情です。
ゴンタは11月23日が誕生日です。わたしが50歳になる前の年に我が家にやってきましたから、今年で10歳になります。その倍も生きられない、そんな年齢になりました。公私ともに責任がずしんと迫ってくる、そんな年代であったことを考えると、その後の10年間、わたしを慰め励ましてくれたことになります。そう、セラピー犬の役目を果たしてくれたのです。あと何年一緒に散歩できるかわかりませんが、いつまでも元気でいてほしいものです。
そんなゴンタを連れて散歩にでかけたとき、近所の本屋さんに立ち寄りました。季刊誌「考える人」秋号を買うためです。今号の特集は「活字からウェブへの・・・・・。」。少し変わったタイトルですが、長椅子に横たわってぱらぱらめくっていくと、グラビアに活版印刷所の風景が飛び込んできました。懐かしいです。20数年前、広報の仕事をしていた頃、タブロイド版の社内報を担当していました。その当時の印刷が活版印刷だったのです。校正方法も独特の決まりがあって、最終校は街の印刷所に出向いて職人さんと一緒に仕上げました。職人さんの仕事は、鉛製の小さな活字を取り出して木枠のなかに埋め込んでいく根気の要る作業ですが、それは丁寧な仕事ぶりでした。その後、印刷方法は活版からオフセット印刷に変わりました。いまでは、原稿をデジタルデータで印刷会社に送る時代です。
インクの匂いを嗅ぐというよりも、洒落た文字が並ぶ最近の出版物は、何かしら近寄りがたくて、ついつい古本屋さんに足が向いてしまうのは、儚い郷愁にすぎないのでしょうか。いまはインターネット、ウェブの時代だから?????1年ほど前、何十年ぶりかで万年筆を買いました。ま白い紙の上を青いインクが走る。決してきれいな文字ではないけれど、なにか、「私」がそこに生き生きと存在しているような、そんな気がして、ほっとすることがあります。ワードやメールでは感じることのできないものが、そこにはあります。
この夏の初め、わたしは方丈記を読みました。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとに水にあらず」。中野孝次さんは、「存在するいかなるものも一つの同じ状態でいることはなく、自然も人間も万物は必ず変化し流転してゆく。無常、すなわち常なるものなしというのが、その宿命なのであろう」と解説します。人は、どこかに自分の足跡を求めようとしますが、過ぎ去った日々、古き良き時代は、決して再来することはない。神話の里・鳥上の山懐にある斐伊川の源流を眺めながら、方丈記を思い出したのも、もう40日も前のことです。
ところで、雨が続いて終日小さな犬小屋で過ごしていた愛犬ゴンタ君。可哀そうだからと、しばし居間にご案内をしました。伸びをしたり横たわったりで、ずいぶん寛いだご様子でしたが、温かいタオルで全身を拭いてやりながら、ふと思ったことがあります。「歳をとったなあ」。家内も同じように感じたのだと。毛並みも以前に比べて艶がなくなっています。目元も、お爺さんの風情です。
ゴンタは11月23日が誕生日です。わたしが50歳になる前の年に我が家にやってきましたから、今年で10歳になります。その倍も生きられない、そんな年齢になりました。公私ともに責任がずしんと迫ってくる、そんな年代であったことを考えると、その後の10年間、わたしを慰め励ましてくれたことになります。そう、セラピー犬の役目を果たしてくれたのです。あと何年一緒に散歩できるかわかりませんが、いつまでも元気でいてほしいものです。
そんなゴンタを連れて散歩にでかけたとき、近所の本屋さんに立ち寄りました。季刊誌「考える人」秋号を買うためです。今号の特集は「活字からウェブへの・・・・・。」。少し変わったタイトルですが、長椅子に横たわってぱらぱらめくっていくと、グラビアに活版印刷所の風景が飛び込んできました。懐かしいです。20数年前、広報の仕事をしていた頃、タブロイド版の社内報を担当していました。その当時の印刷が活版印刷だったのです。校正方法も独特の決まりがあって、最終校は街の印刷所に出向いて職人さんと一緒に仕上げました。職人さんの仕事は、鉛製の小さな活字を取り出して木枠のなかに埋め込んでいく根気の要る作業ですが、それは丁寧な仕事ぶりでした。その後、印刷方法は活版からオフセット印刷に変わりました。いまでは、原稿をデジタルデータで印刷会社に送る時代です。
インクの匂いを嗅ぐというよりも、洒落た文字が並ぶ最近の出版物は、何かしら近寄りがたくて、ついつい古本屋さんに足が向いてしまうのは、儚い郷愁にすぎないのでしょうか。いまはインターネット、ウェブの時代だから?????1年ほど前、何十年ぶりかで万年筆を買いました。ま白い紙の上を青いインクが走る。決してきれいな文字ではないけれど、なにか、「私」がそこに生き生きと存在しているような、そんな気がして、ほっとすることがあります。ワードやメールでは感じることのできないものが、そこにはあります。
この夏の初め、わたしは方丈記を読みました。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとに水にあらず」。中野孝次さんは、「存在するいかなるものも一つの同じ状態でいることはなく、自然も人間も万物は必ず変化し流転してゆく。無常、すなわち常なるものなしというのが、その宿命なのであろう」と解説します。人は、どこかに自分の足跡を求めようとしますが、過ぎ去った日々、古き良き時代は、決して再来することはない。神話の里・鳥上の山懐にある斐伊川の源流を眺めながら、方丈記を思い出したのも、もう40日も前のことです。