昨日が体育の日かと思っていたら、今日がその日のようで、街に点在する小中学校からは一日中、運動会の歓声が風に乗ってやってきます。そんな秋の休日、わたしはすごくゆったりとした時間を過ごしました。
午前中は、文庫本ローマ人の物語29巻「終わりの始まり」を開き、第一部は皇帝マルクス・アウレリウスを興味深く読みました。出だしから考えさせられるくだりがあります。哲人皇帝が残した「自省録」から塩野さんが引用したのは「人間は公正で善良でありうるかなどと、果てしない議論をつづけることは許されない。公正に善良に行動すること、のみが求められるときがきている」。納得です。言い訳や屁理屈を並べたてて時間稼ぎをする余裕はありません。自ら率先して、行動を通じて検証していくことの大切さを、2000年も前の皇帝が述べている。人間って、その当時から基本的なところはなにも変わってはいやしない。物質的な豊かさが、あたかも進化しているかのような誤解を与えてはいないか。そんなことを考えました。
午後は気分転換にと、新潮社とんぼの本「須賀敦子が歩いた道」を眺めました。わたしにとっては不思議な存在である須賀敦子さんが歩いたイタリアの街々を写真とエッセイでまとめたものですが、10数年前に訪ねたアッシジ、ローマ、フィレンツェ、ミラノ、ヴェネツィアの風景をぼんやり眺めながら、.....すうっとお昼寝の世界に。1時間ほど眠っていました。
いつまでもだらだらした生活でも駄目だろうと、心機一転、今度はお庭に出て、お掃除でした。伸び放題の月桂樹の剪定をしました。庭中に、キンモクセイの香と月桂樹の葉っぱの香が漂い、なにやらおとぎの国のよう。水に漬けておいた「ひょうたん」を思い出し、恐る恐る蓋をあけると、強烈な匂い。でもほっとけないとばかりに種出し作業に取り掛かりました。開けた穴が少し小さかったようで、悪戦苦闘。やむなくノコギリを持ち出して上部を小さく切断して、やっと中身をすべて取り出すことができました。でも、でも、石鹸でなんども洗っても、とにかく手の平が臭いのです。香水を振りかけてなんとか落ち着いたところですが、匂いが落ち着いたのか、わたしの鼻が鈍感になったのかは判りません。とにかく、当分、乾燥させてから、表面をサンドペーパーで整えニスを塗って完成となる予定です。
きょうは、めずらしくヴァイオリニスト神尾由美子さんのCD「PRIMO」からカルメン幻想曲などを聴きながら、おまけのブログ更新でありました。今週もいくつかの難題が待ち構えています。落ち着いて、落ち着いて、そして冷静に。などと、自分自身を諭しているところです。
午前中は、文庫本ローマ人の物語29巻「終わりの始まり」を開き、第一部は皇帝マルクス・アウレリウスを興味深く読みました。出だしから考えさせられるくだりがあります。哲人皇帝が残した「自省録」から塩野さんが引用したのは「人間は公正で善良でありうるかなどと、果てしない議論をつづけることは許されない。公正に善良に行動すること、のみが求められるときがきている」。納得です。言い訳や屁理屈を並べたてて時間稼ぎをする余裕はありません。自ら率先して、行動を通じて検証していくことの大切さを、2000年も前の皇帝が述べている。人間って、その当時から基本的なところはなにも変わってはいやしない。物質的な豊かさが、あたかも進化しているかのような誤解を与えてはいないか。そんなことを考えました。
午後は気分転換にと、新潮社とんぼの本「須賀敦子が歩いた道」を眺めました。わたしにとっては不思議な存在である須賀敦子さんが歩いたイタリアの街々を写真とエッセイでまとめたものですが、10数年前に訪ねたアッシジ、ローマ、フィレンツェ、ミラノ、ヴェネツィアの風景をぼんやり眺めながら、.....すうっとお昼寝の世界に。1時間ほど眠っていました。
いつまでもだらだらした生活でも駄目だろうと、心機一転、今度はお庭に出て、お掃除でした。伸び放題の月桂樹の剪定をしました。庭中に、キンモクセイの香と月桂樹の葉っぱの香が漂い、なにやらおとぎの国のよう。水に漬けておいた「ひょうたん」を思い出し、恐る恐る蓋をあけると、強烈な匂い。でもほっとけないとばかりに種出し作業に取り掛かりました。開けた穴が少し小さかったようで、悪戦苦闘。やむなくノコギリを持ち出して上部を小さく切断して、やっと中身をすべて取り出すことができました。でも、でも、石鹸でなんども洗っても、とにかく手の平が臭いのです。香水を振りかけてなんとか落ち着いたところですが、匂いが落ち着いたのか、わたしの鼻が鈍感になったのかは判りません。とにかく、当分、乾燥させてから、表面をサンドペーパーで整えニスを塗って完成となる予定です。
きょうは、めずらしくヴァイオリニスト神尾由美子さんのCD「PRIMO」からカルメン幻想曲などを聴きながら、おまけのブログ更新でありました。今週もいくつかの難題が待ち構えています。落ち着いて、落ち着いて、そして冷静に。などと、自分自身を諭しているところです。