心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

純真さと強かさ

2010-05-30 09:35:42 | Weblog
 爽やかな初夏の空気に包まれた5月最後の日曜日。久しぶりに愛犬ゴンタと朝のお散歩にでかけました。道々、立ち止まっては辺りを見回すゴンタですが、11歳になって動作がやや緩慢になったような印象があります。毛並みも以前ほど若々しさがない、老いの始まりなのでしょうか。そう言えば、動物病院の待合室で見た犬の年齢早見表に、犬の11歳は、人間の60歳とありました。私と同い年ということになります。

 ところで、塩野七生さんの近著「日本人へ(リーダー編)」<文春新書>に目を通しました。以前、文藝春秋に連載されていたのを新書として出版したものですが、確固とした歴史観に基づく塩野さん独特のリーダーシップ論、小気味よい塩野節に、自然と背筋が伸びました。
 この新書には珍しく立派な帯がついています。ローマの市街地に佇む塩野さんのお写真があり、その上に「なぜリスクをとるリーダーが出ないのか」というメッセージが添えてあります。政治の世界だけでなくマスコミや職場や地域社会でさえ、御託を並べる人はたくさんいても、自らリスクをとって決断する人がいない。旗を翳して最先端を走っていこうという気概がない。そんな嘆きが聞こえてくるようです。
 そんな折、某政党の党首が罷免されるというニュースが飛び込んできました。その政党の善し悪しは別にして、ある種の筋を通したという意味で、久しぶりに政治世界の「純真さ」のようなものを思い出しました。日本の政治に、まだこんな純真さがあったんだと。しかし実は、よくよく考えてみると、罷免した本人も、ある意味での純真さをお持ちでいらっしゃる。そこに政治の危うさがあります。要するに政治の世界は綺麗ごとではないということです。塩野さん流に言えば、政治とは権力闘争であって、単に純真さだけで歴史は動かない。老獪な政治家が陰でにんまりとほほ笑む。一寸先は闇。強かな戦略と戦術が蠢いている。ここで登場するのが、ルネサンス期に君主論を著したマキアベッリです。
 先週、京都で演劇をみた帰り道、ふと思い出したことがありました。そう41年前の6月4日。入学して間もない、まだ世の中に純真さが満ち溢れていた時代。その日の夕暮れのキャンパスにはインターナショナルの歌が響き渡り、数百人の学生で真っ赤に染まりました。学び始めたばかりの政治の世界が、歴史が、今まさに目の前で新しい時代を迎えようとしている。田舎から出てきたばかりの若い学生が、その大きな流れに遅れまいと必死に走っていった。そして呑みこまれていった。.....そんな古き良き時代の思い出が、いま、静寂な夜のキャンパスに走馬灯のように浮かんでは消えていきました。
 私は社会人になってから塩野さんの著書に多くの気づきをいただきました。数多くの歴史小説を通読しながら、歴史認識を学びました。リーダーのあるべき姿を考えました。さきほど測ってみたんですが、塩野さんの文庫本を並べると、ゆうに50㌢を超えます。来月には「日本人へ(国家と歴史観)」が出版されます。
 そうそう、週末の土日は、田舎の中学校の還暦記念同窓会に出席するために一時帰省します。45年前にタイムスリップです。何人かとは今でも交流がありますが、これまで同窓会に出席していませんでしたから、大半の方々とは実に45年ぶりの再会となります。まあ、これも「還暦」「60歳」という、我が人生のひとつの区切りと自分に言い聞かせています。そんな次第で、このブログ更新は来週お休みをさせていただきます。

写真説明:塩野さんの新書に、先週末購入したグレン・グールドのCD(4枚組1200円)を添えてみました。
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