きょうは、朝から雨が降っています。愛犬ゴンタも小屋の中に籠ったままです。朝のお散歩は諦めて、お部屋の掃除を済ませると、ステレオのスイッチを入れました。グレン・グールドが奏でるベートーヴェンのピアノ・ソナタです。このCD、実はきのう京都に行った際に、JEUGIA三条本店で買った輸入盤です。CD4枚組で1200円(税込)。え?どうして?と思いますが、4枚ともMONOです。それが案外聴けるのです。グールドには申し訳ないのですが、STEREOにはない音の素直さが、そこにはあります。
きのう京都に行ったのは、知人が演出した演劇を見るためでした。夜の7時から始まるその演劇は、今出川通りから浄福寺通りを北に歩いて5分ほどのところにある町家の一画、かつて西陣織の元ネクタイ工場だった場所で行われました。細い路地を入ると、そう30畳ほどでしょうか、そんな空間に観客が30数名、その空間の一画が舞台であり、観客席でした。前列は御座に座り、後列は椅子席。そんな空間のなかで、いわゆる二人芝居が繰り広げられました。1時間あまりの時間、現実世界を離れ、演劇の世界に身を置きました。「時間」と「空間」、そして「人の生きざま」。そんな余韻を心のなかに感じながら、「今出川浄福寺」から市バス59番に乗って三条河原町へ。バス最前列の席に座って週末の京の夜をぼんやり眺めました。
そうそう、きょうのブログは、南方熊楠がテーマでした。先週の日曜日の和歌山市訪問記をご紹介しなければなりません。
幕末の風雲あわただしい慶応3年(1867年)4月15日、紀州徳川家55万5千石の城下町和歌山、橋丁の鍋屋(金物商)南方弥兵衛の家で、ひとりの男の子が生まれた。次男、熊楠。・・・・・熊楠が数えて6歳になったとき、和歌山市の目ぬき通り寄合橋に普請していた家が落成し、南方家は移っていく。寄合橋は、寄合町から湊本町一丁目の堀川に架けられた橋で、この一帯は昌平河岸といわれ夜店が立ち並び、・・・・・・・。 (神坂次郎著「縛られた巨人」から抜粋)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/67/ae695cc5d7d1d54a643eaed6371c416a.jpg)
朝9時45分、大阪難波から南海特急サザンに乗って約1時間。和歌山市駅には10時42分に到着しました。本来の目的である午後の会場を確認したあと、ぶらり市内散策にでかけました。地図を確認しながら、まずは南方熊楠生誕地をめざします。10分ほどで、橋丁界隈にたどり着きました。でも、いくら探しても生家らしきものが見えない。うぬ?ありました。ありました。駐車場の一画に、真新しい熊楠の胸像が初夏の陽に照らされていました。平成6年2月建立、和歌山市と刻まれています。
もう少し趣のある場所かと思っていましたが、あまりにも立派な胸像が、アスファルトの駐車場の一画にありました。生物学者であった熊楠の記念碑にしては、どうなんでしょう。それに、これまでいろいろな書物に掲載してあった熊楠の写真とは何か違う印象で、少し残念に思いました。でも、幼少の頃、この界隈を走り回っていただろうことを思うと、印象深いものがありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/21/bcb71e45baefe74239932f210ad34213.jpg)
南方家が営む酒蔵会社「世界一統」は、生誕の地から堀川を挟んで反対側にありました。寄合橋という古いコンクリート製の橋を渡ると、すぐそこです。その周囲を一周して、ふと気づきました。堀川の向こう岸を眺めると、立ち並ぶ民家のなかに1軒分ほどの空き地があって、ちょうどその向こうに熊楠の胸像が見えます。酒蔵会社と生誕地は、そんな距離感にありました。(寄合橋の写真の対岸に見える白い建物が酒造会社「世界一統」です)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/c6/0271e0911b19e01e24c1810e49d6a72a.jpg)
そのあと、熊楠も遊んだであろう和歌山城に足を伸ばし天守閣に登って和歌山市内を一望しました。手前に紀ノ川の河口が広がり、その向こうには淡路島、四国は屋島の姿が霞んで見えます。そのとき、初めて和歌山という土地の地理感覚に気づいた感じがします。たいへん落ち着きのある、よい街でした。帰りがけに西条八十作詞、中山晋平作曲の童謡「毬と殿様」の記念碑にも遭遇しました。そういえば昨年のこの時期、新潟県糸魚川に出張した際、相馬御風の生家を訪ねたことがありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/6f/e6c0f54d10fc5d21974dd1a63c3f90c2.jpg)
予定の時間まであと1時間、こんどは市立博物館を覗きました。ちょうどその日は、世界の博物館の記念日とかで入館料が無料でした。そこには小さいながら南方熊楠のコーナーもありました。熊楠のデスマスクを拝見することができました。さきほどの胸像とは違う、生身の顔を写したデスマスク。これほど強烈なものはありません。享年75歳。かっての面影はありませんが、しかし南方熊楠その人でありました。
きのう京都に行ったのは、知人が演出した演劇を見るためでした。夜の7時から始まるその演劇は、今出川通りから浄福寺通りを北に歩いて5分ほどのところにある町家の一画、かつて西陣織の元ネクタイ工場だった場所で行われました。細い路地を入ると、そう30畳ほどでしょうか、そんな空間に観客が30数名、その空間の一画が舞台であり、観客席でした。前列は御座に座り、後列は椅子席。そんな空間のなかで、いわゆる二人芝居が繰り広げられました。1時間あまりの時間、現実世界を離れ、演劇の世界に身を置きました。「時間」と「空間」、そして「人の生きざま」。そんな余韻を心のなかに感じながら、「今出川浄福寺」から市バス59番に乗って三条河原町へ。バス最前列の席に座って週末の京の夜をぼんやり眺めました。
そうそう、きょうのブログは、南方熊楠がテーマでした。先週の日曜日の和歌山市訪問記をご紹介しなければなりません。
幕末の風雲あわただしい慶応3年(1867年)4月15日、紀州徳川家55万5千石の城下町和歌山、橋丁の鍋屋(金物商)南方弥兵衛の家で、ひとりの男の子が生まれた。次男、熊楠。・・・・・熊楠が数えて6歳になったとき、和歌山市の目ぬき通り寄合橋に普請していた家が落成し、南方家は移っていく。寄合橋は、寄合町から湊本町一丁目の堀川に架けられた橋で、この一帯は昌平河岸といわれ夜店が立ち並び、・・・・・・・。 (神坂次郎著「縛られた巨人」から抜粋)
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朝9時45分、大阪難波から南海特急サザンに乗って約1時間。和歌山市駅には10時42分に到着しました。本来の目的である午後の会場を確認したあと、ぶらり市内散策にでかけました。地図を確認しながら、まずは南方熊楠生誕地をめざします。10分ほどで、橋丁界隈にたどり着きました。でも、いくら探しても生家らしきものが見えない。うぬ?ありました。ありました。駐車場の一画に、真新しい熊楠の胸像が初夏の陽に照らされていました。平成6年2月建立、和歌山市と刻まれています。
もう少し趣のある場所かと思っていましたが、あまりにも立派な胸像が、アスファルトの駐車場の一画にありました。生物学者であった熊楠の記念碑にしては、どうなんでしょう。それに、これまでいろいろな書物に掲載してあった熊楠の写真とは何か違う印象で、少し残念に思いました。でも、幼少の頃、この界隈を走り回っていただろうことを思うと、印象深いものがありました。
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南方家が営む酒蔵会社「世界一統」は、生誕の地から堀川を挟んで反対側にありました。寄合橋という古いコンクリート製の橋を渡ると、すぐそこです。その周囲を一周して、ふと気づきました。堀川の向こう岸を眺めると、立ち並ぶ民家のなかに1軒分ほどの空き地があって、ちょうどその向こうに熊楠の胸像が見えます。酒蔵会社と生誕地は、そんな距離感にありました。(寄合橋の写真の対岸に見える白い建物が酒造会社「世界一統」です)
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そのあと、熊楠も遊んだであろう和歌山城に足を伸ばし天守閣に登って和歌山市内を一望しました。手前に紀ノ川の河口が広がり、その向こうには淡路島、四国は屋島の姿が霞んで見えます。そのとき、初めて和歌山という土地の地理感覚に気づいた感じがします。たいへん落ち着きのある、よい街でした。帰りがけに西条八十作詞、中山晋平作曲の童謡「毬と殿様」の記念碑にも遭遇しました。そういえば昨年のこの時期、新潟県糸魚川に出張した際、相馬御風の生家を訪ねたことがありました。
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予定の時間まであと1時間、こんどは市立博物館を覗きました。ちょうどその日は、世界の博物館の記念日とかで入館料が無料でした。そこには小さいながら南方熊楠のコーナーもありました。熊楠のデスマスクを拝見することができました。さきほどの胸像とは違う、生身の顔を写したデスマスク。これほど強烈なものはありません。享年75歳。かっての面影はありませんが、しかし南方熊楠その人でありました。