心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

「読み始め」と「聴き始め」~南仏を彷徨う

2014-01-12 09:36:39 | Weblog

 寒い日が続きます。昨夜は、部厚い毛布と布団にくるまって、熊の冬眠のように眠りにつくと、朝までぐっすり熟睡でした。そして、蓮鉢の水が凍る朝、いつも通り愛犬ゴンタと元気にお散歩にでかけました。旧暦ではこの時期を「小寒」、第六十八候「水泉動(すいせんうごく=地中の泉が春に向けて動き出す)」と言うそうです。
 先週、広島に向かう新幹線の中で、山陽道を横目に、ポケットに忍ばせた中経文庫「日本の七十二候」をぼんやりと眺めていました。1年を春夏秋冬に分け、それぞれ6つずつに分けた24の「気」が、冬至、大寒、立春、春分などと呼ばれる「二十四節気」。それをさらに5日ずつに3つに分けたのが「七十二候」。「水泉動」はその68番目にあたります。自然の移ろいと豊かな恵みを、昔の人は72の季語で表わしました。
 七十二候を眺めていると、古き良き時代の風景がぼんやりと蘇ってきます。あくせく働く現代人も、時にはゆったりと季節の流れの中に身を置く心の余裕が必要なのかもしれません。気持ちだけでもと、スマホの手帳アプリ「ジョルティ」に旧暦表示を追加しました。(笑)
 先週は、小林秀雄の「ゴッホの手紙」を携えて広島に出かけました。昨年5月のゴッホ展「空白のパリを追う」に触発されて、小林秀雄全集第20巻「ゴッホの手紙」を手にしたのですが、仕事の慌ただしさにまぎれて、最後の20数頁を残し本棚の片隅に置いたままでした。年末、博多の友人から立派なブックカバーをいただいたので、急に思い出して持ち歩くことに。
 この作品は、ゴッホが弟テオや友人・知人に宛てた膨大な手紙を忠実に追いながら書き下ろした作品です。悲運にも、ゴッホは拳銃自殺を図り2日後に息を引き取りますが、その半年後、兄を追うようにテオも亡くなっています。兄に財政的な支援を惜しまなかった弟テオがいなかったら、今のゴッホはなかったかもしれません。死後は、テオの妻ヨオがゴッホの伝記や書簡集の出版に尽くしました。
 ゴッホは、精神的な病と闘いながら、自らの立ち位置を冷静に見つめていました。悲しいかな、時に強い発作に襲われ精神病棟に収容されることもありました。安定期と発作が交互に訪れましたが、死の直前まで絵筆をもち、描き続けました。作品の大半が、南仏アルルに移住した1988年から亡くなるまでの2年あまりの間に集中しているのも、彼の壮絶な人生を彷彿とさせます。
 私には、一枚の絵から画家の心を読み解くことはできません。しかし「手紙」には、ゴッホがどういう状況の中で絵を描いたのかが記されています。文字を通してゴッホの声なき声を聞き、それを絵の中に見つけようとする私がいます。
 週末、広島での新年会を終えて飛び乗った新大阪行最終の新幹線の中で、私はiPodに入れた小林秀雄講演録「ゴッホについて」を聴きました。彼は、著書「美を求める心」の中では「絵は眼で楽しむものだ。頭で解るとか解らないとか言うべき筋のものではない」と言っていますが、ことゴッホに関しては「膨大な数の手紙を知ることによって、彼がどんな気持ちで描いたかをより深く知ることができる」と熱っぽく語っています。納得です。
 最近、どういうわけか、お休みの日に画集や音楽に触れることが多くなりました。それに真正面から向き合う時、どうしても小林秀雄が登場します。難解な文章が多いだけに、何度読んでも新しい気づきを得るのは、凡人の気楽さなんでしょう。今年の「読み始め」「聴き始め」は小林秀雄でした。
  3連休の中日、この時間帯になると窓の外に陽の光が輝き始めます。きょうは館野泉の「ひまわりの海~セヴラック:ピアノ作品集」を聴きながらのブログ更新です。このセヴラックは、南仏の夏の景勝、一面のひまわり畑、トゥールーズに近い田舎町で生まれました。南仏らしい土の香りがする作風が特徴です。 

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