心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

小雨のなかを能楽堂に行く

2014-02-09 09:40:48 | Weblog

 ここ大阪では、週末の夜、雪が舞いましたが、その後は冷たい雨の一日でした。その雨もあがり、きょうは静かな朝を迎えています。そして、館野泉さんのピアノ曲「夜の海辺にて~カスキ:作品集」を聴きながら、一週間を振り返ります。
 最初のお題は「転職」です。雇用環境も幾分上向いてきた今日この頃、転職の意味を考えた1週間でした。週の初めに、中途採用面接に立ち会いました。ずいぶん多くの応募があったようですが、その日の面接は10人。みんな何度か転職を経験している方でした。彼ら彼女らのお話しを聞いていて、なんとなく違いが判るのが「転職」の意味づけでした。長い人生で転職を前向きに考えている方がいる一方で、仕事人生に対する他責化が見え隠れする方も。理由はどうあれ、転職を通じて自分を高めていこうとする方のお話は聞いていても楽しいけれど、そのあたりが曖昧だと少し不安になってしまいます。
 週の後半は、同業他社に転職する女性社員の方と、広島・流川でささやかな食事会(呑み会)をしました。彼女の思いが職場のスケールを飛び越えてしまった。新しいステージに一歩踏み出そうという熱い思いに感心したものでした。その意味でたくさんの気づきをいただくこともできました。我が社にとっては惜しい人材ですが、中央で大きく羽ばたいてくれることに期待を寄せて、お別れをしました。
 そんな1週間の締め括りは、能楽鑑賞でした。小雨が舞うなか、天満橋駅を降りると、左に大阪城公園、史跡難波宮跡、右に大阪府庁、NHK大阪放送局、大阪歴史博物館を横目に20分ほど歩きます。
 大槻能楽堂に近い交差点で、ふと足が止まりました。道の向こうに「兵部大輔大村益次郎卿殉難報国之碑」の石碑。2週間ほど前に、京都高瀬川の川辺で大村益次郎卿遭難之碑にお目にかかったばかりです。なんだろう。横断歩道を渡って近づいてみました。調べてみると、明治の頃、敵も多かった大村益次郎は、京都で長州藩の襲撃を受け、辛うじて一命を取りとめます。その後、大阪に運ばれ治療を受けましたが、その甲斐なくこの世を去りました。この碑は益次郎終焉の地である大阪府立病院の一画に建てられた......。納得しました。石碑は、現在の大阪医療センターの一画に建立されています。
 その日の公演は、世阿弥生誕650年記念シリーズ「井筒」でした。作者は世阿弥、素材は伊勢物語、場所は大和国、在原寺(現・奈良県天理市)、季節は秋、とあります。
 前段で、大阪大学名誉教授の天野文雄先生のお話「世阿弥、その環境」があり、次いで天野先生と田中貴子先生の「井筒をめぐって」と題する対談がありました。徐々に観客を「井筒」の世界に導いていきます。左の橋掛りから大鼓、小鼓、笛の奏者が静かに舞台に向かいます。右側の切戸口からは地謡方が登場します。笛による登場楽が舞台に響くと堂内が静まり返り、橋掛りから旅の僧(ワキ)が登場して物語は始まりました。
 配られた資料には「井筒」についてこんな解説が綴られています。

「諸国一見を志す旅僧が奈良から初瀬へ参る途中、在原寺を訪れ、業平夫妻の跡を弔っているところへ里女(前シテ)が現れる。里女は僧に問われるままに業平と有常の娘との恋物語などを語り、自分こそが井筒の女と呼ばれた有常の娘であると言い残して、井筒の陰へと姿を消す。僧は回向し、夢で再開を期待しつつ仮寝していると、有常の娘の霊(後シテ)が業平の形見を身に着けて現れ、恋慕の舞を舞い、我が姿を井筒の水に映して業平の面影を懐かしむ。やがて夜明けとともに、その姿は消え、僧の夢も覚めるのだった。夫の装束を着、一体化した娘は、井戸をのぞき込み感極まる」。

 要するに、旅の僧と亡き夫を慕う亡霊とのやり取りです。舞台にススキを添えた古塚の作り物がひとつあるだけ、登場人物はワキとシテ、間狂言の3人のみ。不必要、無意味な言葉や動作はどこにもない、完璧ともいうべきシンプルな空間のなかで、2時間あまりの演劇が繰り広げられます。
 今回は、事前に物語の流れを一応頭に入れて来たし、セリフ(上演詞章)が配られたので、前回とは異なりシテの情念が身に迫ってくるほどの迫力がありました。有常の娘の霊が業平の形見を身に着けて舞う舞は、面や装束の美しさも加わり、まさに幽玄の世界に観客を誘うものでありました。
 帰り道、大阪城の雄姿を眺めながら、400年も600年も前の世界にタイムスリップしたような錯覚を覚えました。天満橋のジュンク堂書店で現代語訳付き「伊勢物語」(角川文庫)を買って帰りました。平成26年度の公演スケジュールもいただいたので、春になったら、また出かけることにいたしましょう。

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