心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

写真資料の保存

2014-11-02 00:30:11 | Weblog

  今年も早や11月。あと2カ月もすれば2014年という年もおしまいです。歳と共に、時間の速度を早く感じるのは私だけでしょうか。そんな秋の三連休に、東京から長男君が孫娘を連れて帰ってきました。3人目の孫が年明けに産まれるので、お正月には帰省できないというのが理由です。無理をしなくてもと思いますが、仕事がひと段落ついたんでしょう。2週間前には、次男君が米国勤務を終えて無事帰国しました。長女一家を含めて久しぶりに賑やかな休日です。
 家族。核家族。子供たちがあちらこちらに散らばると、全員が集まることは滅多にありません。母親と子供たちとのメールのやりとりが、ある意味ホットラインになっています。
 家族といえば、兄の三回忌で田舎に帰る前日、東京の甥からメールが届きました。今夏亡くなった姉の遺品を整理していたら昔のアルバムが見つかったと、私の幼少の頃の写真数点が添えてありました。
 昔のアルバムは、写真の四隅を小さな袋で綴じる方式でした。その後、取外し可能な貼り付け方式に変わりましたが、年数が経つと剥がすのが大変だったようです。それさえうまく行けば、スキャナー付きプリンターで簡単にデジタル処理ができるのだそうです。色褪せたカラー写真は褪色補正をかけることで昔の色を取り戻すこともできます。送られてきた写真は、まさに古き良き時代の風景でありました。
 今週の雑誌「男の隠れ家」の特集は「幕末から明治を訪ねてーー異邦人が見た近代日本」でした。トーマス・B・グラバー、ウィリアム・M・ヴォ―リズ、そしてラフカディオ・ハーン.....。ことし私の前を通り過ぎた歴史的人物の名前が並びます。ここでも写真が貴重な歴史的資料として登場します。150年前の写真と現代の風景を見つめながら、人の生き仕方を考えさせられます。
 アナログとデジタル。尽きないテーマです。孫たちが寝静まった今は、バセット・ホルン・トリオのトリオ・ディ・クラローネが奏でるLP「モーツァルト/ディヴェルティメント集」を聴いています。第1番と第6番そして第3番です。
 最近は、LPレコードを聴きながらデジタル処理も並行して行っていますが、2TGのHDDはまだまだ余裕があります。これが完成すると、壁の一画を占めるLPとCDの音源が、小さな電子箱の中にすっぽりと収まってしまうことでしょう。でも、このHDDが故障したら万事休す。そもそも記憶媒体の保存年限が気になります。むしろ、ビニール樹脂の円盤のまま保存した方が良くはないか。古レコード屋さんで見つけたLPレコードから高らかに鳴り響く交響曲に胸をときめかすことができるのもアナログ音源です。アナログとデジタル。二項対立では処しきれない課題を私たちに突き付けています。
 1千年の後、現代という数百年の間だけが「空白の数百年」なんてことにならなければよいのですが....。と言っても、残す残さないは私たちが判断することではないかもしれません。その価値判断は後世に譲るとしても、残す残さないの判断材料となる人の営みはできる限り残していくべきだろうと思います。

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