先日、レモンバームとセージを切り戻した際、採取した葉っぱを新聞紙の上に広げておきました。1週間経った姿がご覧の写真です。もう少し乾燥させたら小瓶に分けて保存しますが、いまでも香しさが充ちています。そして今朝、カモミールの花を摘んで一緒に並べました。これからいろんなハーブが育ち、食べ頃、いや飲み頃を迎えます。
お花と言えば2週間前の母の日に、次男夫婦からお花が届きました。添えてあったメモを見て家内は感激でした。お嫁さんの直筆で「お母さん、いつもありがとう。〇〇家に温かく迎えていただいて幸せです」。小さなカードに大きな心が溢れていました。
話は変わりますが、先日、聴きたいFM放送があったので、またぞろ倉庫からFMチューナーを持ち出してきました。最近はパソコンでも聴ける時代ですが、私の拘りです。アースを繋ぎ、T字型の簡易アンテナを繋ぎます。でももうひとつ釈然としません。そんなわけで今回は、ヨドバシカメラで日本アンテナの水平受信用 強電界軒先用 1素子 AF-1-SPをご購入。届いてびっくり。全幅1.7mもありました。いろいろ考えて取り付けたのが窓際でしたが、なかなかのすぐれものでした。感度メーターが大きく右に振れます。ご愛用のチューナーは、40年も前のTRIO KT-5007ですが、まだまだ現役です。
ところでいま、岩波新書で辰濃和男著「四国遍路」を読んでいます。著者は新聞記者だった頃、取材で歩き遍路を体験したあと、リタイア後に再度歩き遍路に出かけた由。なかなか興味深い内容です。
「四国の何にひかれるのか。古代からの信仰にもひかれるし、遍路の文化にもひかれる」「こころの垢を洗い流したい、心身の衰弱しつつあるものをよみあがらせたい」「あれこれのことを頭で考える習慣を見直し、からだで感じることを大切にしたい」。
平易で美しい文章の奥に、ずしんと重く迫ってくるものがあります。何よりも、「頭で考える習慣」から「からだで感じる」ことへの軸足の移動に納得です。風景の中に身をおいて全身で感じることの大切さ。これって理屈ではないですね。頭の中で概念化しビジネスモデルをもって世の中を動かそうなんて大それたことばかり考えてきた仕事人生にストップをかけなければ。
この新書、何年か前に古本祭りで購入しましたが、本棚の片隅でお休みになっていました。四国遍路の本はあと何冊かありますが、仕事に疲れたとき、ぱらりとめくることはあっても、真正面から読み進んだことはありませんでした。
ここにきて全身にむずむずしているものを感じます。昨年の夏に高野山夏季大学を聴講し宿坊で過ごしたことも、そんな私を後押しします。というわけで、いま、四国八十八カ所巡りを真剣に考え始めています。宗教心に欠ける私ですから、前のめりになっているわけではありませんが、人生80年と言われるなかで、振り返りの時間ってやはり必要なんだろうと。
まずはバスツアーでひと回りすることを計画中です。そのうえで、一番心に残ったところを歩き遍路にしようかと(笑)。今年度の第1回ツアーが7月から始まるようなので、とりあえず申し込みました。以後、毎月1回のペースで今後1年間続きます。
きょう5月21日は弘法市の日です。家内と京都・東寺にでかけました。まずは旅の安全と計画完遂の誓い(?)です。昼下がり、京都市内は30度を超える暑さにもかかわらず、大勢の人々がやってきていました。境内には骨董品、古道具、古着、手づくり商品などのお店がずらり。日本語のほかに中国語、英語、フランス語、スペイン語などが飛び交います。若い青年はカタコトの日本語で熱心に値切り交渉をしていました。
というわけで本日もまた、6時間ほど家を空けてしまいました。案の定、ゴンタ爺さんはご機嫌斜め。「もういいかげんにしてよ」と言いたげな顔をして私を見つめていました。そんなゴンタ爺さん、おもらしもせずにお留守番をしてくれました。
さて、きょうはフランツ・リストのピアノ曲「巡礼の年」をラザール・ベルマンの演奏で聴きながらのブログ更新でありました。この時間になって何気なく手元のスマホ万歩計をみると、なんとふだんの倍以上の1万4千歩。よく歩きました。