心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

京都・知恩寺の「秋の古本まつり」

2016-11-03 21:42:47 | 古本フェア

 今朝もいつもどおり不動尊に向かって朝のお散歩にでかけました。本堂にお参りをしたあと、四国八十八カ寺の祠の前を通って奥の院に向かい、薄暗い洞窟の中の大日如来像に朝のご挨拶です。そのあと長い石段を登って大師堂にお参りをする、そんな導線をほぼ毎日辿っています。坂道の多い街ですから、往復2キロのお散歩がほど良い運動にもなり、来週の洛北紅葉ウォーキング13キロに備えることになります。
 さて、前回お伝えしたアケビの実ですが、独特の薄紫色の実が秋の深まりを告げています。数日後、果皮が割れて中の果実が姿を現したので、さっそく収穫しました。1日ほど部屋に飾って眺めた後、スプーンで乳白色の果実をすくって食べましたが、たくさんの種を避けながらほんのりと甘い果実を楽しみました。食べた後の皮は、家内がネットで調べて炒め物にしてくれました。紅葉が進み、葉っぱが落ちると、家内お得意の蔓細工が始まります。すべてを無駄にしない我が家であります。(笑)
 本題に入りますが、先週の土曜日は朝早くから京都に出かけました。お目当ては百万遍知恩寺で開かれた「秋の古本まつり」です。今回初めて訪れたわけですが、これでことしは京阪地区の主だった古本祭を総なめにしたことになります。春先に大阪市の中央公会堂で開かれた「水の都の古本展」を皮切りに、「弁天町ORC200古本祭」、「ツイン21古本フェア」、四天王寺さんの「大古本祭り」(春・秋)、京都みやこめっせの「春の古書大即売会」、京都下鴨神社の「下鴨納涼古本まつり」、大阪天満宮の「天神さん古本祭」。そしてこの知恩寺が私にとっては打ち止めになります。
 なぜ古本に拘るのかって?年間8万冊ともいわれる新刊のなかでいったい何冊が生き残るかが問われる時代に、なおも生き残る本。すべてではないにしても、そこに商売が成り立つにはそれなりの意味、価値があるということです。そうした古本から大きな気づきをいただきます。それも格安で手に入るわけですから、一石二鳥です。もちろん手に入りにくい稀覯本は高値で取引されることになりますが、私とは違う世界の話です。
 知恩寺の古本まつりは、3冊500円といった格安コーナーでも興味をそそる古本が多かったように思います。たとえば、「河合隼雄対談集(こころの声を聴く)」「ユング心理学入門」「空海の道」「空海のことば」など。神谷美恵子の「こころの旅」、24歳で四国遍路にでかけた高群逸枝の著した「日本婚姻史」や、「千の風になって」を作詞作曲した新井満の自由訳「方丈記」、600頁にもおよぶ「新島襄とアーモスト大学」なんて本もあります。この日の収穫は11冊になりましたが、来年の春を迎えるまでの冬ごもりの季節をこれらの古本に囲まれて過ごすことになります。(笑)
 午後1時過ぎ、知恩寺を後にすると、重たい古本を入れたリュックを背に、京都大学、吉田神社を横目に今出川通りを東へと進みます。銀閣寺に向かう道をそれて「哲学の道」に入ります。何年振りでしょう。学生時代には友と歩きました。卒業してからは家内と、そして子供たちと歩きました。どう考えても10年以上経っています。
 法然院に寄ってみました。鬱蒼と茂る薄暗い参道を歩いていくと山門がお出迎えしてくれます。観光客はまばらでしたが、なんとも風情のある風景でありました。その後、熊野若王子神社を過ぎて永観堂に向かいます。紅葉には少し早かったのですが、微かに染まっていました。そして、南禅寺にお参りしたあと、京都市動物園、美術館沿いの疎水歩道を歩き、京阪電車の三条駅をめざしました。およそ6キロの道のりでしたが、オーディオプレイヤーで舘野泉さんのピアノ曲を聴きながら、気持ちの良い汗をかきました。
 そうそう、今週のカレッジは「法学(刑事裁判)」と「音楽」でした。音楽講座のテーマは「尺八」。大師範のお話と実演がありました。尺八と琴の二重奏、宮城道雄の「春の海」がすごく印象的でした。法学ではなく「邦楽」の世界との初めての出会い。楽しい時間でした。ちなみに、尺八に挑戦してみましたが、いくら吹いても要領を得ずまったく音が出ませんでした。(笑)
 明日は家内とお出かけです。明後日はシンポジウムを聴講の予定ですが、その前に中之島の国立国際美術館で開催中の展覧会「ヴェネツィア・ルネッサンスの巨匠たち」を観てこようと思っています。姉妹関係にある京都国立近代美術館友の会会員なので無料なんです。

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