心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

17年目を迎えるブログ「心の風景」

2021-01-01 14:52:25 | Weblog

 明けましておめでとうございます。ブログ「心の風景」も今年17年目に入りました。公開当初は50代前半という現役バリバリの頃でしたが、何故こんな拙いブログを始めたんだろう?。おそらく「心」の内と外で何かしら葛藤のようなものがあったに違いありません。でも、誰に向かって?私に?よく分かりません。....いずれにしてもよく続いたものです。呆れてしまいます。
 ここで、
机の横に貼り付けた2021年のカレンダーをめくって深呼吸です。
 と、書き出してみて、さあて新年早々何を書こう?。若い頃のように新年を迎えて晴れ晴れしく1年の抱負を語る歳でもありません。除夜の鐘を聞いて何かが大きく変わるわけでもなければ、輝かしい未来が待ち構えているわけでもない。いやいや、そんな冷めたことを言っては何も始まりませんよ、あなた(私のこと)。
 朝、近くのお不動さんに初詣に行ってきました。御神籤を引くと「大吉」。いわく、「輝」「一歩ずつたゆみなく歩むこと」「長い道のりに思えてもそれは夢を実現するための一番の近道となる人生に真剣に向き合ってみよ 深き闇を知り本物の輝きを手にいれるでしょう」とあります。背伸びをせず実直に生きよ、ということなんでしょう。きっと。
 手許の「入門歳時記」(俳句文学館編)に、お正月についてこんなくだりがありました。「陰暦では、新年すなわち1年の初めを立春に合わせるようにしていたので、新年は同時に迎春であった」「陽暦になってからは北半球では立春(2月4日ころ)よりほぼ1カ月も前に新年を迎えることになった」と。
 私が小学生の頃の田舎では、お正月休み(陽暦)のほか2月に旧正月(陰暦)のお休みがありました(その分夏休みが短かった)。旧正月には皆で「かき餅」をつくりました。つき上がったお餅を薄く切って乾かします。母親が火鉢で焼いてくれる「かき餅」が大きく膨らむのを皆で待つ、そんなほっこりとした風景が浮かんできます。
 先日、実家からお米とお餅のほか迎春用の品々がどっさりと送られてきました。お礼の電話をすると、今年は60センチ近く雪が積もっていて毎日雪かきが大変だと。コロナのため子や孫が帰省しないので淋しいお正月になるとも言っていました。我が家と同じです。
 そんな田舎の苦労も知らず、元旦からグレン・グールドが奏でるバッハの「フランス組曲」を聴きながらブログを綴っています。この部屋、ハーブの香りが充満しています。年末に花壇の手入れをしたとき生繁ったハーブを刈り取って束ね、キウイの蔓と一緒に窓辺の花瓶に差しているからです。ちょっと贅沢な気分でLPレコードを聴いています。
 この年末年始休暇の間に読み始めた本が2冊あります。ひとつは加藤秀樹著「ツルツル世界とザラザラ世界」。コロナ・パンデミックを見据えた現代社会論です。もう一冊は村上春樹の「遠い太鼓」。30代後半の3年間をヨーロッパで過ごしながら執筆を続けた村上春樹のエッセーです。いずれもkindle(電子書籍)。
 その村上春樹さん自らDJを務めるラジオ番組「村上RADIO」(Kiss FM KOBE)が昨夜ありました。ゲストはマラソン仲間の京都大学iPS細胞研究所所長の山中伸弥さん(前半)と前京都大学総長で霊長類研究の第一人者・山極壽一さん(後半)。新型コロナウイルスのこと、日本学術会議のことなどを軽いタッチ(しかし真実を突いている)で取り上げていらっしゃったことに好感が持てました。これからも要チェックのラジオ番組になりそうです(笑)。
 コロナパンデミックを軸にこれからの社会の在り様を考える一方で、これまで何度か尋ねたヨーロッパの風景に思いを馳せながら同時代人の生き仕方を思う。過去、現在、そして未来。そんなスタンスでこの1年を過ごしたい、なあんて思ったりしています。それにしても、いつになったら海外旅行に行けるんでしょうね。健康寿命を考えると、そんなにゆっくりもしていられない年齢になってきました(笑)。
 新年早々、思いつくままにだらだらと綴ってしまいました。いえいえ、いつもこうなんです。これでよければ皆さまお付き合いください。今年もどうぞよろしくお願いをいたします。

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