心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

71回目の夏 ~ 雨の日にサティを聴く

2021-08-14 10:29:26 | Weblog

 庭先にあるイチジクの樹に、夏の一番果が1個だけ食べ頃を迎えました。さっそく朝の食卓に登場です。老夫婦で半分ずついただきました。なんと美味しかったことか。樹にはまだたくさんの実がついています。熟するまで気長に待つことにいたします。
 それにしてもここ数日、雨の日が続きます。嫌ですねえ。そんななか雨の合間を縫って今日も朝のお散歩に行ってきました。お不動さんの境内もしっとり濡れていましたが、本堂からは朝のお勤めのお経が響いていました。
 私はこのお盆休みに京都の下鴨神社で2年ぶりに開催されている京都古書研究会主催の「下鴨納涼古本まつり」に出かける予定でした。屋外の古本まつりですから2日目から休業が続いています。この雨ではどうしようもありませんね。さきほど天気予報を覗いたら、明日の午後からは曇りマークが付いています。最終日の16日までに雨が止んでくれたら良いのですが....。
 その一方で、コロナウイルスの感染拡大が止まりません。恐ろしいほど急カーブで増加しています。お国では昨日あたりから緊急事態宣言の期間延長が取り沙汰されています。これでシニア向けの講座もまた休講になるのでしょうか。
 今月帰省する予定だった長男、次男一家もやむなく断念です。ならばワクチン接種を終えた老夫婦が出かけようかとも思いましたが、府県を越えた移動自粛が要請されていますから、こちらも断念。遠くの孫たちとはオンラインで近況報告とあいなりました。

◇   ◇   ◇

 そんなわけで、ここ数日、ぽっかりと空いた時間を持て余しています。昨日は、途中まで読んだままの本を広げてみたり、アルド・チッコリーニ奏でる「サティ:ピアノ作品集」(輸入盤CD5枚組)をぼんやり聴いていました。今は、同じくサティのLP「夢と覚醒の交錯」を聴きながら、ブログを更新中です(笑)。
 ピアノはフィリップ・アントルモン。「きみがほしい」「3つのジムノペディ」「自動記述」「気むずかしい気取り屋の3つの高雅なワルツ」「太った木の人形のスケッチとからかい」など、けったいな曲名が並びます。
 エリック・サティのピアノ曲は、雨の日にお似合いです(と、私は思っています)。といっても、サティのことは意外と知りません。そこで、ずいぶん前に古本市で買った「新訂:大音楽家の肖像と生涯」(音楽之友社)を開いてみました。
 「変わり者であることにおいてフランス近代音楽家中でサティの右に出る人物はいない」「彼は皮肉屋で冷笑を事とし孤高を好む」「彼は常に満々たる反抗心といたずら気を持ち、わがまま者」「子供のように単純で、率直で無邪気で、そのためかえって事物の本質を掴み、感じ取る直観力と直感力をもっている」。予想外の紹介ですが、曲の名前の付け方からしても、さもありなん。
 末尾には、「彼の言動はひねくれた、人騒がせな印象を与える。しかしその動機は純粋で、まじめで、単純だった。そこに彼の本当の生命があった」とあります。雨の日の憂鬱さを解きほぐしてくれるのは、案外そんな彼の自由奔放さによるものなのかもしれません。
 話は変わりますが、私は今夏、この世に生を受けて71回目の夏を迎えました。明治生まれの父は73歳まで現役を貫き、東京、京都、大阪で仕事に励んだあと出雲の実家に戻って83歳でこの世を去りました。戦時中、家族を東京から実家に疎開させた後に生まれた私は、企業戦士を貫いた父と一緒に暮らしたことはありません。兄たちは既に独立して東京と大阪にいましたから、私は母親と姉たちに囲まれて育ったことになります。
 そんな私は、父が用意した大企業への就職を断り、私の身の丈にあった会社に就職して43年、自由奔放に働かせていただきましたが、思うところあって65歳のとき少し早めにリタイアさせていただきました。振り返ってみると、サティの世界と少しだけ相通じるものがありそうな気もします(笑)。
 今思えば良い選択だったように思います。その後は、学生時代に舞い戻ったかのように、日々を楽しく過ごしています。母より8年も長生きできましたし、父の亡くなった歳まではまだ10年近くあります。私を温かく包み込んでくれる「人」と「風景」に感謝しながら、残された人生をゆったりまったり楽しく過ごしていきたいと思っています。

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