心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

現役を退いて5年。~新井満さん、逝く

2021-12-10 14:16:00 | Weblog

 先日、「千の風になって」を訳詞、作曲した新井満さん(75歳)がお亡くなりになりました。芥川賞作家でもあった新井さんにお会いしたのは、ちょうど5年前。現役を退いて1週間ほど経った7月の下旬、40数年に及んだ仕事人生に終止符を打とうと家内と二人で北海道を旅行したときのことでした。

 札幌、函館と巡り、最終日は函館駅から特急で30分ほどのところにある大沼国定公園(亀田郡七飯町大沼)のホテルに泊まりました。その夜は大沼公園で灯ろう流しが予定されていて、食後、ホテルの送迎バスで向かいました。愛犬ゴンタが亡くなって2週間余り経った頃で、園内に「千の風になって」の曲が流れていたためか、二人でしんみりと湖面に浮かぶ灯篭を眺めていました。
 翌朝、新千歳空港に向かう前にもう一度大沼公園に立ち寄りました。愛犬ゴンタに会えそうな気がしたからです。......すると、広場から「千の風になって」の歌が聞こえてきました。その日の夕刻に開かれる「千の風音楽祭in大沼」のリハーサルです。誰もいないステージの上で歌っていたのが新井満さんでした。リハーサルではトワエモアさんも歌っていましたが、ポスターを見ると、名曲「千の風になって」は新井満さんによって七飯町大沼湖畔の森の中で誕生したとありました。(2016-07-26付記事:「千の風になって」誕生の地~大沼国定公園)
 16年8カ月の間一緒に過ごした愛犬ゴンタが他界した直後だったこと、自らの意思で仕事人生に終止符を打った時期だったこと、これらが重なって新たな門出に期待と不安が入り混じり心が揺れ動いていた頃でもあったので、新井満さんの歌「千の風になって」は心に染みました。
 帰阪したあと、いろいろ調べもしました。新井さんは私より4歳年上で、作家、作詞作曲家、写真家、環境映像プロデューサー。小説家としては「尋ね人の時間」で芥川賞を受賞。CD「千の風になって」では日本レコード大賞作曲賞を受賞。こんな多彩な経歴の持ち主でした。手元には自由訳「千の風になって」や「方丈記」などがあります。
 以来、新井さんが歌う曲をiPodに入れて持ち歩くようになりました。「千の風になって」「この街で」「ふるさとの山に向かいて」「万葉恋歌 ああ、君待つと」「富士山」....。海外旅行に出かける時も、四国八十八カ所歩き遍路に出かける時も、これらの曲を聴きながら歩きました。新井さんの歌の世界に私の第二の人生を重ね合わせてきました。不思議と心が安らぎました。
 ご冥福をお祈りします。
 
 話は変わりますが、先週、今年最後のお能を観に山本能楽堂に行ってきました。演目は能「班女」、狂言「蝸牛」、仕舞「鐘之段」「天鼓」、能「遊行柳」。4時間にわたってお能の世界にどっぶりと浸かってきました。
 能「班女」は、美濃国野上の宿で、遊女・花子が東国に下るときに立ち寄った吉田の少将と出会い、契りを交わします。少将が去った後、客をとらずに交わした扇ばかり見つめている花子に立腹した宿の主人は花子を宿から追い出してしまいます。以後、花子は気がふれて狂女になってしまいます。でも、めでたく京の都の糺の森で吉田の少将と再会を果たす、なんとも美しいお話しでした。一方の「遊行柳」は、諸国行脚の遊行上人が白河の関あたりで一人の老人に柳の老木を案内され、そこで柳の精に出会うというこれまた不思議なお話でした。
 笛や鼓や太鼓の音が響きわたる凛とした能舞台。現実の世界からふっと遠ざかってしまうような錯覚、不思議な時空間に放り出されてしまいます。夢うつつになったり、目の前で舞うシテの姿に魅了されたり...。これがお能の愉しみなんでしょうね。堪能いたしました。

◇  ◇  ◇

 函館大沼公園での出会いから5年が経過しました。その間、新しい出会いをいただきながら、今はNPOのボランティア活動に勤しんでいます。ただ、現役の頃の悪い癖で何事にものめり込んでしまい、気がつけば手を広げ過ぎた感なきにしもあらず。これはこれで困ったものです。どういうふうに上手に抜け出して行けるかが当面の課題になりそうです。でも、それだけ充実した愉しい老後を生きていると言えなくもありません。

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