昨夜は、久しぶりにかつての上司の方と美味しいお酒をいただきました。リタイアされて何年経ったのでしょうか。相変わらずお元気なご様子で、悠々自適のお暮らしぶりや職場の現況やらを酒の肴に、楽しい時間を過ごしました。ほろ酔い気分で家に帰ると、家の奥から赤ん坊の泣く声が聞こえてきました。そう、4か月になった孫がやってきていました。満面の笑顔で迎えてくれました。
ところで、今朝は薄っすらと雪化粧でした。雪景色を撮ろうとデジカメをもって愛犬ゴンタの散歩にでかけましたが、撮ったのは小高い丘の上に聳える柳の木でした。通勤途上にあるこの大きな柳の木を見上げながら、私はいつも自然の不思議を思います。
もう20年ほど前のことでしょうか。ある講演会でフラクタルという言葉に出会いました。講師の先生は数式を示しながら自然現象の不思議を自己相似性という難しい言葉を使ってお話になりました。複雑な構造を拡大していくと同じような形の複雑なものが現われてくる、といった趣旨のお話であったかと思います。そこで例示されたのが、樹木の枝分かれの姿でした。地面の下には同じように根が伸びていると。葉脈、血管などへと話が広がってきました。その不思議さを思いました。世に言う「複雑系」という言葉に関心をもったのも、この頃でした。複雑系と言っても、その範囲は広く、深く、残念ながら私にはきちんとした理解ができていません。それでも、創発や自己組織化といった視点から社会現象や企業経営を考える本を眺めるたびに、このときの講演を思い出します。
私たちの身の回りには不思議なものがたくさんあります。それが解明され知識として受け継がれていく。でも、膨大な知識と情報量を1人の人間の頭脳に取り込むのは至難の業です。第一、すべての人間が地球上のこと、あるいは全宇宙のことのすべてを知り、理解するなどという傲慢なことは考えない方が良いのではないか。自然と共に生きる人間として、不思議なこと、判らないことがあってもいいじゃあないか。むしろ、その不思議さに感動する「こころ」の広さ、感性のようなものを大事にしたい。この写真を眺めながら、そんなことを考えました。
きのう日本橋のDISC J.J.で手にしたキースジャレットのLPレコード3枚のうち「祈り」を聴きながらのブログ更新でありました。
ところで、今朝は薄っすらと雪化粧でした。雪景色を撮ろうとデジカメをもって愛犬ゴンタの散歩にでかけましたが、撮ったのは小高い丘の上に聳える柳の木でした。通勤途上にあるこの大きな柳の木を見上げながら、私はいつも自然の不思議を思います。
もう20年ほど前のことでしょうか。ある講演会でフラクタルという言葉に出会いました。講師の先生は数式を示しながら自然現象の不思議を自己相似性という難しい言葉を使ってお話になりました。複雑な構造を拡大していくと同じような形の複雑なものが現われてくる、といった趣旨のお話であったかと思います。そこで例示されたのが、樹木の枝分かれの姿でした。地面の下には同じように根が伸びていると。葉脈、血管などへと話が広がってきました。その不思議さを思いました。世に言う「複雑系」という言葉に関心をもったのも、この頃でした。複雑系と言っても、その範囲は広く、深く、残念ながら私にはきちんとした理解ができていません。それでも、創発や自己組織化といった視点から社会現象や企業経営を考える本を眺めるたびに、このときの講演を思い出します。
私たちの身の回りには不思議なものがたくさんあります。それが解明され知識として受け継がれていく。でも、膨大な知識と情報量を1人の人間の頭脳に取り込むのは至難の業です。第一、すべての人間が地球上のこと、あるいは全宇宙のことのすべてを知り、理解するなどという傲慢なことは考えない方が良いのではないか。自然と共に生きる人間として、不思議なこと、判らないことがあってもいいじゃあないか。むしろ、その不思議さに感動する「こころ」の広さ、感性のようなものを大事にしたい。この写真を眺めながら、そんなことを考えました。
きのう日本橋のDISC J.J.で手にしたキースジャレットのLPレコード3枚のうち「祈り」を聴きながらのブログ更新でありました。
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